志ネットワーク 青年塾:「志の高い日本」は、「志の高い日本人」によってこそ実現するとの思いに立ち、志ネットワーク活動を展開。 主宰:上甲晃

聞かせるよりも、言わせる

2000年11月27日 上甲晃 |

 最近,いろいろな会社の社員研修に招かれる。時代の変わり目、社員研修についても混迷の様相が感じられる。何よりも、社員研修の担当者が自信を失っているように思われる。自分が力を入れれば入れるほど、社員の熱が冷めていくような気がしてならないのである。

 私には、その混迷が手に取るように分かるのである。松下政経塾に勤務していたころ、私が良かれと思って計画した研修は大半成功しなかった。私が力を入れれば入れるほど、塾生の心が冷めていくジレンマを忘れることができない。

 それでも、企業においては、「会社の命令である」と強制することができる。しかし松下政経塾は企業ではない。塾生たちは、私の気持ちなど平気で無視してくれる。そこで、私は頭を抱えてしまう。苦しみに苦しみながらひとつの教訓を得た。「与えようとする限界」である。どんなに意義のあることであっても、人から押し付けられることは苦痛なのである。

 そうか分かった。こちらが押し付けようとするからだめなのだ。学ぶ人たちが、自ら求めるような研修に変えなければならない、そんなことに気がついたのは松下政経塾を離れるころであった。

 「青年塾」を創設したときから、私の研修の進め方は180度変わった。押し付けない。塾生が自ら求める気持ちを何よりも大事にする。押し付けない,それが基本の指針である。

 まず,「私の話を聞かせる」よりも、「塾生に言わせる」ことにした。受身の研修ではだめなのである。自らが主人公になって、学び取るように仕向けなければならない。その意味では、社員研修においても、担当者がお膳立てし過ぎなのである。担当者がお膳立てすればするほど、受講生はお客様になってしまう。お客様意識の参加では絶対に研修効果は上がらない。それどころか、聞こえてくるのは不平不満ばかりである。

 私が、社員研修の担当者にアドバイスするのは、「自分が動かずに、受講生を動かしなさい」。そして、「話を聞かせるよりも,話をさせなさい」。人間は、自分がしゃべればしゃべるほど,主人公意識が高まるのである。与えれば与えるほど、お客様意識になってしまう。

 社員研修革命。社員研修の進め方が変わると、社員は会社が変わりつつあることを実感できる。社員研修の進め方は10年一日のごとく同じで、社員に意識改革を求めるのは筋違いであろう。「最近、社員研修が変わってきたな。会社が変わりつつあるのだな」。そういう実感が持てる社員研修が求められているのだ。

警告の一言

2000年11月20日 上甲晃 |

 瀬戸内寂聴さんが、朝日新聞に寄せていた原稿は、私の日ごろの思いと大変共通している。まるで、私が青年塾を創設した思いを見透かしているようにさえ思う。
 まず、瀬戸内さんの文章を紹介してみたい。「子供たちが悪くなったと言うけれど、子供たちは大人の背中を見て育つのです。子供だけにしっかりしろと言っても無理です。大人に緊張感がない。他人のことを思いやる想像力を失っている。自分の国さえよければ良い、自分の町さえ良ければ良い、自分の家庭さえ良ければ良い、自分さえ良ければ良い、そんな利己主義がまかり通ると思っている」。

 ずばり、私の思いと同じである。寸分違わない。まるで、私の思いをそのまま代弁していただいているようにさえ思う。本当に日本人の精神は地におちつつあるのだ。精神の退廃とは、「自分さえ良ければ良い」という精神の跋扈である。自らを省みて、その退廃を実感せざるを得ない。

 しからばどのようにすべきであろうか。処方箋もまた、瀬戸内さんと私は同じである。再び瀬戸内さんの言葉を紹介してみたい。「このままでは21世紀の日本はないと思います。でも最近は少し考え方を変えたのです。どの分野でも、一芸にすぐれた若者は、自分しっかり持っている。権威や肩書きにとらわれず、自分の触覚だけに頼っている。それが唯一の希望かも知れません」。最後の砦は、次の時代を担う若者にある。私の思いと、瀬戸内さんの思いは、ピタリ同じであり、私が青年塾を創設した思いである。閉塞する状況に対して、どこから、誰が手を打つか、それが問われているのである。

 私は、次の時代を担う若者に託すことに決めた。若い人たちに、自分さえ良ければ良い、今さえ良ければ良いといった「けちな人間になってほしくない」。その思いを、ひとつの教育として実践していきたいのである。

今の時代、食べることに事欠くわけではない。行きたいと思えば、どこにでも行ける、したいと思えば何でもできる、そんな恵まれ味代に生きているのだ。あとは、「志」、「高い精神」を持つ以外の贅沢はない。

 精神が衰えると、何をしても物事がうまく行かなくなる。精神が欠けると小手先の方法論ばかりが取り沙汰される。目先の動きに右往左往、奈落の底に落ちてしまうのがおちである。亡国、そんな言葉さえ、思い浮かんでしまう。精神を立て直すことが、すべての先決だ。「青年よ、改めて、高い志を持とう」。

新旧のせめぎあい

2000年11月13日 上甲晃 |

 今日の経済環境をどのように捉えるか、企業によって、明暗が分かれているように思われる。概して混迷しているのは、過去の成功者。それに対して元気なのは、最近創業した人たちである。過去の成功者たちは、「今までのようにいかない」と嘆く。一方、最近創業した人たちは、「実にやりやすい時代になった」と、ほくそえんでいる。

 そのことを具体的に教えてくれた人がいた。愛知県半田市で運送業を営む榊原さんがその人である。「私のところのような新参者の企業にもようやくチャンスが巡ってきました。たいていの大手企業では、今まで出入りの運送屋さんが決まっていました。その壁は厚くて、とても私のような新参者を受け付けてくれませんでした。ところが、最近、大手企業がきびしい競争に勝ち抜くために、今までの取引関係を白紙にして、私どもにも競争に参加のチャンスをいただけるようになりました」、それが榊原さんの話の骨子である。

 要するに、過去に実績があった会社が、既得権益を失い、実績のなかった会社に新規挑戦のチャンスがめぐってきたというわけだ。同様の変化がすべての業界で、同時進行しているのが、今日の日本である。これは、経済界だけの変化ではない。政治の世界でも同じようなことが起きていることは、最近の選挙結果にも明らかだ。

 時代の変わるときは、常に新旧のせめぎあいから始まる。そして、「古来、攻撃は最大の防御」。新規に挑む側が有利である。追いかけられる方がたじたじとする。榊原さんのもうひとつの言葉がそれを教えてくれる。「新しく競争に参加させてもらったら誰でも張り切ります。今まで、参加が許されなかった悔しさがばねになり、全力を出しますから、既得利益にあぐらをかいてきた会社はたじたじです」。

 今、日本で一番遅れている業界は、規制により手厚く保護されてきたところだ。高い壁に囲まれてぬくぬく過ごしてきた業界は、壁を守ることに必死である。しかし、それは時間の問題。早晩、壁は崩れ去り、激しい競争にさらされることは間違いない。

 このような時代には、「挑戦」がキーワードだ。守勢に入ると、守りきれないだろう。とりわけ過去に実績のある会社ほど、自己革新が図れるかどうかを厳しく問われところである。また、志のある者は、今こそ立ちあがるべき大チャンスを手にしている。失敗を恐れてはいけない。果敢な挑戦こそが、道を開いてくれるのだ。これから10年もすれば、時代の流れは、ひとつの方向に向くだろう。それからでは遅い。

町の顔

2000年11月 6日 上甲晃 |

 "パークストリート"と、ハイカラに名付けられた目抜き通りと大通りが交差するところで、私の乗った自動車が停止した。赤信号である。「ここが山口市のいちばんの中心です。ここのすぐ横には、随一の商店街があり、さらにその先には山口駅があります」と、車を運転してくれている山口商工会議所の担当者が案内してくれた。

 私は、町のいちばんの交差点に目をやって驚いた。「アイフル」、「お自動さん」、「プロミス」、「アコム」、「武富士」、「シンキン」の看板が目に飛び込んできた。四つ角で見える看板のほとんどすべてが、消費者金融の看板とネオン。見事といえば見事としか言いようのないほどに、消費者金融の会社の看板が、町の中心地で誇らしげに競い合っている。

 もちろん、消費者金融が悪だなどというつもりは毛頭ない。それによって助けられている人もいるのだ。時には、救いの神になっている人もいるだろう。しかし、県庁所在地のいちばんの街角が、すべて消費者金融の会社の看板で埋め尽くされている実態には、心寒いものを感じた。

 山口県と言えば、今まで、何となく格式を感じさせられてきた。萩、下関をはじめとする県下の諸都市は、日本の近代の夜明けをもたらした維新の志士たちの出身地として、あまりにも名高い。近代の日本をひらいていくために命まで投げ出して戦った人たちの生きざまを思い起こすにつけ、私が、山口県にある種の畏敬の念を抱いてきたことは事実である。

 街角の景観を見ているうちに、私が抱いてきた畏敬の念ががらがらと音を立てて、崩れていくように感じられた。街角には、風に舞う落ち葉が広がり、ますます寒々とした雰囲気を感じさせた。「私の友人に、このなかの一社に勤務している者がいますが、山口市内で、10億円はくだらない貸付金があるそうです」と、商工会議所の担当者が教えてくれた。とりわけ家庭の主婦や若い人たちの利用が多いのだそうである。国に膨大な借金があるばかりか、個人においても、目の飛び出そうな高金利のお金を借りなければならない事情の人たちが急ピッチに増え続けているのだ。

 街角を少し離れたところに、ザビエル聖教会の塔がそびえている。フランシスコザビエルが、日本で最初に建てたキリスト教会である。今から400年以上も前、フランシスコザビエルは、この地を支配していた大内氏の手厚い保護の下、山口市内の街角でキリスト教を布教するための活動をしていたのである。その街角が、今、消費者金融のメッカだ。町の顔にも風格が必要だ。そしてその風格は、市民の生き方に風格が生まれてこないかぎり、永遠に望めないのではないだろうか。


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