志ネットワーク 青年塾:「志の高い日本」は、「志の高い日本人」によってこそ実現するとの思いに立ち、志ネットワーク活動を展開。 主宰:上甲晃

続・志のみ持参

2001年2月28日 上甲晃 |

続・志のみ持参

 

出版社/著者からの内容紹介
松下政経塾で政治家養成に心血を注いだ著者の実践録。松下幸之助が教え、著者が追い続ける「背中を磨く生き方」とはなにか。

内容(「BOOK」データベースより)
「志に生きるんや!」「志で食べられるの?」...妻は言った。松下政経塾をやめて五年。松下幸之助の求めたものを求め続ける著者の「背中を磨く」生き方。

6冊目の拙著

2001年2月27日 上甲晃 |

 私の最初の本である『志のみ持参』の続編が、一冊の本として完成し、2月の未に致知出版社から出版していただくことになった。題名は、『続・志のみ持参』、サブタイトルは「生き方の一流をめざそう」である。私にとっては、6冊目の本である。

 自分の本を出していただけるというのは、本当にうれしい。初めて出版してもらったときには、本屋さんの前を通るたぴに、中に入ったものだ。はたして私の本が置いてあるだろうか、はたして売れているだろうかと、気になって仕方がないのだ。横積にして置いてある書店では、誰かが手にしないかと観察し続けていた。たまに私の本を手にしてくれる人がいると、思わず声をかけたくなるような気持ちになる。そのまま元へ戻されるとがっかりし、そのままレジヘ歩き始めると、肩を叩いてお礼を言いたくなる、そんな一喜一憂を繰り返したものである。

 本屋に並んでいる本は、自分が選ばれているような緊張がある。それにしても、店頭から本の消えることのなんと早いことか。この間まで店頭に山積みされていた本が、消えている。ずいぶん売れ行きが良いのかと喜ぶまもなく、売れ筋ではないと早々に判断されて、返本されたのだ。あっという間の一週間の出発事である。

 それでも、最初に出してもらった『志のみ持参』は、9刷と重版が続いている。すでに、何万人もの人が読んでくれているのだ。本を通じて、実に多くの人たちと出会っている喜びを感じる。幸い、今まで出版していただいた本は、一冊を除いてすべて重版している。自分が本を出す喜びを感じるだけではなく、出版社さんにも、「出して良かった」と思っていただけるような本でありたいものである。

 『続・志のみ持参』は、私が松下電器を退職して、独立稼業になってから5年間の体験談をまとめたものである。内容は、致知出版社が主催していただいた講演会での4時間の話が中心になっている。妻と共に歩んだ5年間の零細経営体験記といったところである。帯封がなかなかおもしろいのだ。〈「志に生きるんや」「志で食べられるの」と妻は言った。松下政経塾をやめて五年。松下幸之助の求めたものを求め続ける著者の背中を磨く生き方〉。「志で食べられるの」という妻の一言がきいている。もっとも妻は、「なんと現実的な奥さんと思われる」と嫌がってはいる。しかしこの5年支えてくれた妻の、地に足の着いた現実的姿勢にどれほど救われたかわからない。また、『青年塾』への思いもかなりのスペースを割いて開陳した。今日あたりから、書店をそっと覗いてみるとしよう。

「青年塾」塾生諸君への手紙

2001年2月16日 上甲晃 |

 いよいよ、「出発式」です。「良くしめくくる」。それは、この一年間の努力をいっそう輝かせるものであり、また新しい出発の幸先の艮さでもあります。

 "老いる命"を目の前にして

 先選、「鹿児島講座」を終えたばかりです。この講座を開催したいために、例年2月に行っていた出発式を3月に延ばしました。参加人数は、私ども夫婦も含めて16人。まことにこじんまりとした一行になりましたが、学びはとても大きいものでありました。

 この「鹿児島講座」では、鹿児島から「青年亀」に参加している福迫浩一君と、同じく宮崎から参加している元山ユミ子さんが主催事務局を担当してくれました。最初の参加申込者が40人ほどであったのが、実際には16人に激減しましたから、受け入れていただく現地の人たちにはずいぶん迷惑をかけてしまいました。そめ点の反省をのぞけば、「鹿児島講座」は、本年度の最終の研修として大変に意義深いものでありました。

 この講座では、まず老人福祉施設における介護体験を行いました。"老いる命"を目の前にして、若い人たちもまた、いろいろに考えさせられたようです。老人は、自分とは全く別の人種のように見えて、自分自身の将来の姿以外の何物でもないのです。老人は、姿形は決してカッコよくありません。動きも緩慢です。言葉も聞き取れません。歩くことさえできません。若さあふれる諸君には、もっとも縁の遠い人たちであります。しかし、その人たちの姿形や動作のすべては、諸君の将釆の姿なのです。

 老人は、最初から老人ではなかったのです。老人にも、エネルギーにあふれ、前途洋々たる夢に目を輝かせ、どんなに働いても疲れを知らない青春時代もありました。しかし、その青春時代は永遠のものではないのです。長生きすることは、若いままに生き続けることではないのです。長生きすることは、老いることとの折り合いをどのようにつけていくかというきわめて難しい課題でもあるのです。今回の参加者もまた、そのことを考えさせられたはずであります。老いる姿を目の前にして、初めて、若さのもつ意義、若さのもつありがたさが実感できたとしたら、すばらしい学びであります。

生きることを許されなかった若者

 今回の「鹿児島講座」で、みんなが涙を流しながら学んだことがもう一つありました。それは、知覧にある特攻平和会館を訪問したことです。第二次世界大戦の最後、敗色濃い日本の軍隊は、帰ることのない突撃を青年たちに命じました。ほとんどが、17歳、そして18歳の前途洋々とした若者たちはかりでした。沖縄に米軍が上陸することを阻止するために、飛行機もろとも敵の軍艦に突撃していきました。

 その時の様子を、詳しく聞かせてもらいましたし、展示の見学もさせてもらいました。"生きることを許されなかった命"は、何と悲しく、辛く、切ないものなのでしょう。死ぬかもしれない危険ではないのです。死ななければならないのです。こんな辛いこと、こんな悲しいことが実際にあったのです。しかも、千人にも近い若者です。「お国のため」と懸命に自分自身を納得させようとする言葉の一つ一つさえも、私に切なく、悲しいものでありました。「私が死ぬことにより、みんなが救われる」、そんな風に考えなければ、とても飛び立てなかったことでしょう。「私が命を捧げて敵を阻止すれば、後に残った人たちはきっと平和で幸せな日本を築いてくれるはずだ」と信じて、若者の命は散りました。今の日本が、"生きることを許されなかった若者"に顔向けできる姿になっているだろうか、本当にみんなで考えさせられました。

改めて、「生きることの意味」を求め

 「青年塾」の講座は、高史明さんの著書である「生きることの意味」から始まりました。そして、しめくくりの「鹿児島講座」もまた、「生きることの意味」との向かい合いでありました。"老いる命""生きることを許されなかった命"を目の当りにして、改めて「生きることの意味」を深く考えさせられました。本当は、もっと多くの人たちに参加してもらいたかったのですが、来年以降でも構いません。ぜひとも、「鹿児島講座」に参加してください。やはり、「鹿児島講座」に参加しないと、「青年塾」に参加した締めくくりができないと言ってもよいはど、重くて大切な命題と向かい合う講座でありました。

 私たちは、漫然と生きていたのではいけないのです。ただ単に、惰性で生きていてはいけないのです。私欲を貪るような生き方も許されないのです。自分のわがままだけを貫くような傍若無人な生き方は恥ずかしいことなのです。「青年塾」の一年を通じて、私は、諸君にそのような気づきを心に深くとどめておいてほしいのです。

 私たちは、はかなく移り変わり、やがては永遠に消え去る命を、今与えられているのです。一度失えば、二度と得ることのない、それこそかけがえのない命を何に使うのか。答えは、当然のように見えてくるはずです。

 この命もまた、やがては朽ち果て、滅びていきます。今この瞬間をいつくしみをもって生きなければなりません。この命は、幸いにも生きることを許されています。生きることを許されなかった人たちの無念さに思いを寄せれば寄せるほど、この命は、少しの無駄遣いも許されません。そして、何よりも感謝の心がわき出てこなければならないのです。

 議君、今一度、「生きることの意味」に思いを馳せてください。そして、生涯を通じて、その答えを求め続ける同志としての絆をこれからもいっそう深めていきましょう。

 <出発式>に、私は何ができるのか

「鹿児島講座」の事務局を担当した福迫浩一君が、最後に、「お金をもらえるわけでもないのにどうしてこんなに頑張れたか。それは、今まであちらこちらでお世話になった人たちの顔を思い浮かべると、自分もみんなにどうしても喜んでもらいたい、そんな気持ちになったからです」と、しみじみ語りました。少しでもみんなに喜んでもらいたい、そんな思いで献身的に働ける人にみんなが成長することは、私の切なる願いであります。

 <出発式>の準備から本番にかけて、これからは大変な労力と働きを求められます。諸君には、さまざまな事情があるでしょう。許される範囲のなかで構いませんから、「みんなに喜んでもらえる働き、気配り、協力の心」を措しみなく発揮してください。それは、「生きることの意味」を探求する第一歩でもあります。
 <出発式>でお会いしましょう。そして、生涯の思い出になるようなすばらしい<出発式>で、感動のお祝いをしましょう。

経済見通し

2001年2月 5日 上甲晃 |

 日曜日の講演である。会場は、新潟県の神林村。主催者は、同村の商工会。大阪からの日帰りである。新潟空港から新潟駅に出て、そこから秋田へ行く特急列車に乗り、およそ40分。一面真っ白な景色のなかを行く。下りの特急列車が遅れて、私の乗った特急列車も、20分遅れで坂町駅へ到着した。会場へ直接来るようにとの指示に従い、タクシーに乗り込む。しかし、講演会の始まる1時30分まで、あと5分少々しかない。イライラしながら、会場に向かう。しかし、会場に到着して安心した。来場者が続々と会場に向かっている。とても、講演が始まるといった雰囲気ではない。私の顔を見た主催者は、「駅に電話をしたら、遅れているとのことでした」と涼しい顔だ。こちらは、救われる。

 この日のテーマは、「今年の経済展望と企業経営」。私が、本当はいちばん苦手とするテーマなのである。来場者は、今年の景気が良くなるかならないか、それを聞きにくるはずだ。私は、「そんな先のことがわかるはずがない」と思っているから、とても来場者に責任のもてる話ができるはずがない。むしろ、データーを並べ立てて、もっともらしく経済予測すること自体、私はあんまり信用していないから、鼻から経済予測などするつ
もりはない。「景気が良くなるかどうかと考える暇があったら、この厳しい経営環境をどのようにすれば生き残れるかを真剣に考えるほうが、はるかに生産的である」、私は、その持論を展開するしかないのだ。

 経営者には「これからは」、「どうなるか」といった他人ごとのような見方ではなく、「どうするか」といったきわめて主体的なとらえ方・見方しかない、それが私の考え方である。

 そもそも経済の将来見通しについて、私は、楽観的ではない。物事は、手を打つから、結果が出るのである。はたして、日本の国では、バブルが弾けて以来、どれほどの手が打たれてきたのであろうか。ほとんどが、後始末に終われるばかりである。未来に向かって、国民も痛みを我慢するほどの改革の手はほとんど打たれていない。相変わらず、だましだましの先延ばしが、日本の国の実体ではないか。先延ばしして、打つべき手を打たずに、どうして良い結果が出るだろうか。それこそ、神風が吹くのを待つしか道はない。「空白の10年」などと言っておれないほど、本当は深刻な事態である。    

 膨大な借金で、財政がたちいかなくなると、消費税を大幅に上げるしかない。年金や保険は、ますます破綻情況に近付いて、あてにならなくなるかもしれない。本当は、暗い見通しばかりになる。そんなことを言うと、石が飛んできそうだが、現実はそれほど厳しいことを認識すべきである。


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