志ネットワーク 青年塾:「志の高い日本」は、「志の高い日本人」によってこそ実現するとの思いに立ち、志ネットワーク活動を展開。 主宰:上甲晃

『青年塾』塾生諸君への手紙

2001年8月15日 上甲晃 |

 暑さの夏、若い諸君は、思い切り楽しんでおられることでありましょう。また、ふるさとでのお盆休みを満喫しておられる人もいるでしょう。もっとも、あいも変わらず仕事に追われている人もおられることでありましょう。それぞれの夏を、存分に楽しまれることを、心よりお祈りします。


「森」をテーマとしたサマーセミナーに全員集合

 いよいよ、サマーセミナーです。今年は、九州地区の塾生諸君が、事務局を担当して、準備に汗を流してくれています。このサマーセミナーは、塾生諸君が一堂に会するところに、最大の狙いがあります。入塾式と出発式だけでは、一堂に会する機会が少なすぎると思い、二期生から、サマーセミナーを始めました。丹後半島の廃校で二回のサマーセミナーを開催しました。また、宮城県の石巻市で、最初のサマーセミナーを開催しました。今回が、四回目です。会場は、熊本県の小国市と大分県の久住高原。阿蘇の山並みに抱かれて、存分に楽しみたいものであります。もちろん、有意義な学びの多いことも期待しています。

 今回は、「森」がテーマであります。「森」が見直されつつあります。それだけ、「森」が危ない現実もあります。「森」は、命の源であり、生命の根源であります。「森」が危なくなると、命が危なくなります。「森」を守ることは、命を守ることです。サマーセミナーを通じて、「森」に親しみ、「森」を感じてみましょう。また、「森」を通じて、友情の輪をしっかりと結んでいこうではありませんか。


 歴史を学ぷことは、自分を学ぶことに通じる

 さて、『青年塾』も、第二クルーに入りました。北海道クラス、東クラスは、すでに2回目の研修を終えました。9月に入ると、東海クラス、関西クラス、西クラスと続きます。まさに、『青年塾』第5期生の研修も山場に差し掛かります。諸君にとって、『青年塾』の一年が、本当に意義あるものになるかどうかの正念場を迎えつつあります。私も一段と腹をくくります。どうぞ諸君もまた、本気の姿勢を貫いてください。

 第2回目の研修は、『歴史用語』の研究であります。とりわけ、日本の近現代史をテーマとして取りあげて、諸君に研究してもらっています。「お父さん、靖国神社って何なの?」と子供さんから聞かれて、絶句していたのでは、父親の権成にかかわります。明治維新、戊辰戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦、ポツダム宣言、226事件、そんな一つ一つの言葉について最低限度の知識を持つことは、日本人としての常識であります。「仕事に関係ないことは知らない」というのでは、あまりにもさぴしいではありませんか。また、仕事に関係のないことには関心がないのも、まことにさぴしいものであります。

 私たちは、"時代の子供"であります。時代背景を抜きにして、私たちは存在しないのです。過去があって現在があり、現在があって未来があることも事実であります。過去を知ることは、現代を知ることであり、未来を尋ねることであります。その意味での「歴史用語研究」です。もちろん、一つの言葉を調ぺたからといって、歴史がわかるわけではありません。私の思いは、歴史に関心を向けるきっかけとなってほしいのです。


 会社人間である前に、「人間」として立派に生きよう

 『青年塾』の宿題は、諸君にとって、給料や昇進といったことにつながる評価とは無縁であります。これを手抜きしたからといって、給料が下がったり、昇進に差し支えることはありません。逆に、一生懸命に取り組んだからといって、給料が上がるわけでもなければ、昇進につながる"現世のご利益"はないのであります。

 私は、そこで、その人の「志」が問われると、いつも思っています。「現世のご利益とまったく関係ないからこそがんばる。昇進や給料に響かないからこそ、手抜きしない」、そんな考え方ができる人を、私は尊敬したいと思います。

 「仕事」であれば何でもできる、「上司の命令」であれば何でもできる人が、「仕事」でなければ何もできない、「上司の命令」がなければ何もできないというのでは、あまりにも心さぴしいではないでしようか。社員である前に、人間である。私は、この『青年塾』に集う人たちには、そうあってほしいと心から願っています。歴史用語の研究は、まだ三つのクラスではこれからの課題です。どうぞ、これをひとつのきっかけとしてぜひとも、しっかりと研究してください。限られた時間の中で、最高の努力をされることを心から期待しています。


「一歩前へ」の精神がまだまだ浸透していないように思われます

『青年塾』は、「人の嫌がること、人の敬遠したくなること、人の後ずさりしたくなることで、本当に必要なことは、自らその役割を買って出る心を養う場であってほしい」と願い、訴え続けてきました。一部の人たちは、その思いを理解して、「一歩前へ」を心がけてくれています。しかし、まだまだ、『青年塾』全体の精神風土にはなっていません。「自分にとってはちょっと不便だけれども、自分にとってはちょっと負担がかかるけれども、自分にとってはちょっと大変だけれども、みんなが喜んでくれるなら、みんなが必要としてくれるならば、みんなの役に立てるのならば、私がやります」と「一歩前へ」出る人が、研修を重ねるごとに増えてほしい、私の切なる願いです。

 「誰かやってくれませんか」、そんなふうに求められる場面が、さまざまに生じてくることでしょう。仕事のこと、日々のスケジュールを考えると、とても難しい事情もあることでしょう。「しかし、人が困っているのを見逃せないのです」、そんな心が、諸君の中に育ってくることを私は心待ちしています。

 繰り返します。「青年塾は、諸君の人間的成長のための研修の場」です。ほんのわずかでいいのです。「あの人は、人間的に成長した」、そんな声が聞かれるようになりたいものであります。

2001サマーセミナー

おそるべし

2001年8月 6日 上甲晃 |

 目の色が違う、目つきが違う。私は、テレビの画面に映し出された特集番組を見ながら、直感的に感じた。番組は、世界一の家庭電機メーカーを目指す中国のメーカーを特集している。このメーカーは、冷蔵庫、エアコン、洗濯機など、かつて日本のメーカーの独壇場であった家庭電機分野で、世界の生産シェアーのトップを占めつつあるのだ。

 私が注目をしたのは、工場で働いている作業者の目つき、目の色、そして手つきの早さである。他を寄せ付けないような早業で、言葉をかけることさえはばかられるような真剣さである。私はふと昔を思い出した。私が松下電器に入社した昭和40年代の工場の作業者と同じである。30年か、40年前の日本のエネルギーを、中国の現在の姿の中に見る気がする。

 中国の製品は、価格こそ安いものの、品質も悪く、粗悪品などという先入観から抜け出られないと、とんでもない目にあいそうなぐらいに、中国製品の質は高くなっている。かつて日本の車は、アメリカの高速道路を走ると、エンジンが止まってしまうと言われた。その日本の車が、あっという間に、世界のトップクラスにのし上がったではないか。中国にはその勢いがある。あなどるなかれ。

 同じ日の就寝前、夕刊を読んでいたら、ひとつの記事に目が止まった。日本の製造業に携わる人たちの平均給与が、世界一になったとあった。平均年収は、650万円とある。アメリカやドイツを上回る給与水準になったのだ。まことにめでたいことではある。しかし、この高水準の給与水準をいつまで維持し続けられるかとなると、不安感は大きい。第一、日本の製造業に携わる人たちは、現在の中国の人とは比べ物にならないほど、優雅で、静かで、のんびりとしている。生活水準が上がるとは、そういう姿の実現を言うのだ。まことにありがたいことではあるが、激しい世界の競争場裡においては、優雅やのんびり、物静かは、敗北につながることが一般的なのである。

 日本の選択肢は二つある。一つは中国の人たちと同じ水準の給与に逆戻りさせること。そしてもう一つは、中国の人たちがとてもかなわないよう高水準の仕事をすることである。競争原理に従う限り、どちらかを選ばなければ、敗北してしまうのは当然の理である。さて、私たちは、どちらを選ぶのか。これからの10年、日本は、かつて先進諸国を激しく追い上げた時とは、逆の立場に立たざるを得ないであろう。アメリカやヨーロッパは、「日本人は安い給料で働きすぎだ」と私たちを非難した。私たちは、「ほうっておいてくれ。悔しければ、あなた方ものんびりせずに、しっかりと働いたらどうか」と開きなおった。今度は逆の立場である。「中国の人たちよ。あなたたちは安い給料で働きすぎだ」、そんな悲鳴にも似た叫び声が、日本中から聞こえてきそうである。

懲りない面々

2001年8月 2日 上甲晃 |

 酷暑が続く。異常な暑さである。環境異変、どうしてもそんな言葉が頭の中をよぎってしまう。そのうち、40度を超えるような温度が、当たり前の時がくるかもしれない。先週、山梨県の清里高原で、「この高原では育てられない、生育が無理だとされた作物や花が、最近、どんどんと生育可能になってきました」と聞いた。千メートルの高さの土地は、気侯が寒冷で、植える作物にひとつの限界があった。先人たちは、その限界を何とかして克服して、高原野菜などの栽培を進めてきた。ところが、その限界がなくなりつつあるというのだから、やはり地球環境は変だ。

 過日、熊本県水俣市に出かけた折、市内にある水俣病資料館で、次のようなすばらしい詩に出会った。その詩は、水俣病資料センターを見学した中学生が作ったものである。

 中学生の名前は、友座あゆみさんと記されていた。「どれだけ世の中を便利にしたら、どれだけ自然を壊したら、どれだけ人を傷つけたら、人間は気がつくのだろう。人間が、自分を苦しめていることを。私は水俣から学んだ。あんなにきれいな海、青い海、広い海、豊かな海。この海を黒く染めてしまった人間の罪の深さを。それでもまだ人間は気がつかない。自分を苦しめていることを。夢に見る、美しい自然。豊かな自然。命はぐくむ自然。そんな日がくることを、私は信じたい」

 鋭い、まことに厳しい内容を、美しくうたっている。すばらしい詩ではないか。そして、中学生の純真な心の痛みに、改めて深く考えさせられてしまう。「どこまで苦しめば、人間は心の底から気がつくのだろうか」と、私もまた思う。まさに、私たちは、懲りない面々ではないか。こんなに苦しみ、こんなにつらい経験をしてきたにもかかわらず、悔い改めていない人間。相変わらず同じような罪を犯し続けている人間。そして、最後は自分の犯した罪によって自ら苦しみを深めている愚かさから、人間はいつ抜け出られるのであろうか。

 あまりの酷暑に、深夜でもエアコンをつけっぱなしにしておかないと眠れなくなってきている。夜中までエアコンを使うものだから、とりわけ大都会は、温度が一日中下がらない。いったい、いつになったら、人間は愚かな悪循環に気がつくのだろうか。このまま行けば、悪魔のような苦しみが待ち受けているのではないかと、誰もが不安に思っている。しかし、勇気をもって、悪循環を断ち切る勇気のある人はあまりにも少ない。私にも、とてもかなわないことである。あ-、懲りない面々を待ち受ける地獄のような苦しみが怖い。人間は、とことんの極限状況に陥らなければ、悔い改められない存在かどうか、21世紀はそんな本質的な問いかけの世紀でもあるような気がする。


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