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還暦
2001年10月31日 上甲晃 | 個別ページ
60回目の誕生日を迎えた。世にこれを、還暦と呼ぶ。 改めて、「還暦」の意味するところを、辞書で調べてみた。広辞苑である。「陰暦で、干支(えと)が60年でもとに帰るのを言う。数え年61歳の称。ほんけがえり」とある。本卦帰りをさらに調べてみた。「干支(えと)が一回りして、生まれ年の干支に再び帰ることをいう」とある。
私が生まれた昭和16年10月31日は、日本が戦争に突入する直前である。12月8日、アメリカ・ハワイの真珠湾に奇襲攻撃をする1ヶ月少々前のことである。世情騒然としたなかで、私は生を受けたことになる。そして、戦争、敗戦、物心ついた頃は、とにかく貧しい日本であった。まさに、「食べる物にも事欠く」、そんな時代であった。当時の貧しかった思い出と比べると、今は夢のような時代だ。
私の生きてきた時代の日本は、戦争の痛手から立ち直り、右肩上がりの高度経済成長を成し遂げてきた。ある意味では、努力した分、成果が上がることを実感できる゛良き時代゛であった。31年間のサラリーマン生活において、毎年、給料は必ず上がるものであったし、暮らしぶりは、確実に毎年向上するものであった。
しかし、半面において、GHQの教育政策の一番の影響を受けている世代でもある。「日本は悪い国である」という戦争の贖罪意識を強烈に刷り込まれ、日本の伝統精神から遠ざけられ、経済発展のみを価値観の中心におく、まことに浅薄で、薄っぺらな思想しか持ち合わせていないことも、否めない事実である。
還暦が、今一度、生まれた干支に帰る節目の年齢である限りは、改めて自らの生き様を厳しく見つめなおしたいと思う。年金と預貯金を計算しつつ、何とか生き延びようと汲々とする老後は、願い下げる。私は、「ただ単に長生きするため、健康法に目くじらを立てるようなことはしない。もちろん、長生きしたい欲望は、人に劣らずある。しかし、問題は、いたずらに長生きすることにあるのではなく、何のために長生きするかである。これから、生きる意味を掘り下げて、自らの精神をより高く、より純粋で、より透明感のあるものに仕上げていきたい」。
生涯現役。最後の瞬間まで、志に生き抜きたい。志とは、「日本人の精神を立て直すことに、微力を尽くすことである」。日本人は日本人らしく、誇り高い生き方をしようではないかと、私は死ぬまで訴え続けたい。ここから先は、いつ死ぬかもしれないという緊張感とともに生きる。
服をつくる
2001年10月24日 上甲晃 | 個別ページ
「この地に住み着くようになると、その先生の教育力は飛躍的に向上します」。この日に訪問した北海道家庭学校の元校長であった谷昌恒先生が、かつて私に語ってくれた言葉である。松下政経塾の中に住み込んでいた私には、その言葉が痛く共鳴・共感するものであった。家庭学校の敷地内に住む先生方は、子供たちと寝食をともにするのだから、苦労は並大抵ではない。ともすれば、こんなところから出て行きたいと思うこともあるだろう。そんなふうに考えている間は、十分な教育力を発揮できない。そこを、終(つい)の棲家(すみか)と心に決めたときから、その人の教育力は飛躍的に向上するというわけである。
北海道家庭学校の小田島校長は、「いろいろと心を煩わせることが続きます」と言いつつも、言葉の端々に、この地に住み着き始めたような印象を私は感じた。「この花はね、春先には鮮やかに咲くのです」、「この間、ここの窪みに熊がいたのです」、「冬にはこの牧草地でスキーしています」。ごく当たり前の何気ない言葉に、その地に住み着いた者でなければ感じ取れないものを感じ取った。「家庭学校の教育の大きな特徴の一つは、自ら体験すること、びっしょりと汗をかいて体験することがあります。かつて、創設者であった留岡幸助氏の子供の留岡清男氏が校長であった当時、生徒が服を汚して困ったことがありました。何度注意しても改まらない。そこで清男校長は、洋服の生地を買ってきて、生徒たちに自分の服を自分で作らせたことがありました。すると、生徒たちは服を汚さなくなった。そのことから、家庭学校では、可能な限り必要な物は自分たちで作らせるようになりました。橋も作ります。側溝も作ります。野菜もバターも味噌も、自分たちで作ります。自分で橋を作ると、大雨が降ったとき、橋が大丈夫
だろうかと気になる。気づく力が育ってくるのです。気づく力は、思いやりの心を育ててくれるのです」。小田島校長先生は、きわめてわかりやすく、北海道家庭学校の教育の基本的なあり方を話してくれた。その話し振りに、小田島校長先生の自信のようなものを感じたのは、私の思い過ごしだろうか。
自ら作るという行為は、作った物への気づきの力を与えてくれる。裏返すなら、気づきの力を育てるためには、可能な限り、額に汗をして自分で作ってみることである。私の主宰する『青年塾』でもまた、自らが苦労して作ることに力を入れているのは、気づく力を育てるためだ。
いちばん苦労する人
2001年10月10日 上甲晃 | 個別ページ
「いちばん苦労した人が、いちばん感動するのです」。今年の『青年塾』のサマーセミナー解散のとき、私は、運営事務局に携わってくれた人たちにねぎらいの青葉をかけた。『青年塾』の九州地区塾生諸君は、献身的に準備してくれた。その力の注ぎ具合は、運営の流れ全体を見ていたら、手に取るように解る。『青年塾』の合言葉の一つである、「そこまでやるか」というところまで、徹底した準備がなされていた。ずいぶん苦労したであろうことは、運営に携わってくれた人たちから、聞き及んでいた。5回も現地に足を運んだ人もいたと言う。看板を書いた人、実際に宿泊を体験した人、案内のパンフレット作成に精魂込めた人、それぞれの人たちが、自分の許される範囲で、力の限りを尽くしてくれたのである。参加者は、たくさんの感動をもらった。しかし、本当の感動を得たのは、いちばん苦労した人たちではないかと私は思っていた。
私の思いは間違っていなかった。一昨日からの『青年塾』西クラス研修で、サマーセミナーの事務局を担当した人たちが、順番に立って、サマーセミナーのときの感想を述べてくれた。みんな口をそろえて、「すべての日程を終えて、参加者がバスに乗り、帰っていきました。その人たちを手を振って見送っているうちに、熱いものがこみ上げてきました。本当に、涙が出そうになったのです」と言う。やはり、いちばん苦労した人たちが、いちばん感動したのである。私はそのことを知って、改めてうれしくなった。
世の中、いちばん苦労した人がいちばん損であるととらえがちである。「私ばかりがどうしてこんなつらい日にあわなければならないのか。私ばかりがやらされて、損な役回りだ」と嘆く人も決して少なくない。しかし、それは見方があまりにも浅いし、狭いし、被害妄想的だ。自分から進んで苦労すれば、誰よりもいちばん感動できるのだ。「苦労は買ってでもしろ」と教えた先人は、偉い。苦労を買って出ることが損ではなく、いちばん得をするのである。そのことに確信をもてたことがうれしい。自分が精一杯の努力をしてお世話をして上げた結果、みんなが喜んでくれる。「あ-、手抜きせずに、精一杯お世話してあげてよかった」、そんな体験を積み重ねることは、多くの感動を得ることであり、自らの人間的な成長をはかっていくいちばんの方法であり、人生を豊かなものにしていく道である。
無一物
2001年10月 1日 上甲晃 | 個別ページ
「人間、死ぬときは裸。どんなに財産をもっていても、首からどれほどの勲章をぶら下げていても、あの世には持っていけない。とすれば、たくさんの財産を抱えたまま死ぬのはまことにつらく、苦しい。惜しい惜しいと思えば、死んでも死にきれない。無一物だったら、どんなに楽か」田中晴雄さんは、そんなところから話を切り出した。
岐阜県恵那市に完成した中仙道広重美術館は、2日前にオープンしたばかり。その美術館の3階で、志ネットワーク全国会議に参加したメンバーは、田中さんの話に耳を傾けた。田中さんは、この美術館に、自分が人生かけて集めた中仙道69次の浮世絵を残らず寄付をしたのである。その人の口から、「無一物」の話が出ると、説得力がある。
田中晴雄さんは、およそ400点の浮世絵をすべて寄付した。自分の手元に残す。自分の家族に何枚か残すといった、そんないじましいことはしない。「人にものを差し上げるときは、一番大事なものを差し出す」精神である。そういう精神の持ち主から聞く話は、聞く者の心をとらえて離さない。参加者は、一言も聞き漏らすまいと、身を乗り出した。
田中さんの心の支えは、"観音さん"である。「信仰を持たない人生はつらいものよ」と言うだけあって、観音さんを日夜の支えにしているのである。それにはきっかけがあった。まだ駆け出しのころ、岐阜から、鹿児島の黒砂糖の買い付けを命じられた。60万円の現金を出して買い付けたところが、いつまでたっても物が来ない。そのとき、母の背中で観音さんの祈る母のことを思い出して、観音さんに祈り続けた。不思議なことに、それからまもなく物が届けられた。
田中さんの口からは、聞く者の心を揺さぶる言葉が次々に出てくる。まず、「南無地獄大菩薩」の掛け軸を示しながら、「白隠禅師の言葉であるが、人間、地獄の向こうには極楽がある、地獄のような苦しさの向こうに極楽があるといった意味である。私はこの言葉を支えにして、人生を歩いてきた。もちろん逆もある。人間にとって一番怖いのは、有頂天。私は自分の手帳にも、有頂天と書いて戒めている」。「不合理な富を得たり、勲章をほしがらない。人様の物を掻き分け掻き分けて奪い取り、息子に残すようなことはしない。人と肩をぶつけ合うようなときには、そっと横によけて通る」。そんな一言一言も、いささか迷いの多い私には、新鮮に響く。最近、こんなに輝く、しかも骨のある人物に出会うことは少ないように思う。得がたい人である。
