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青年塾第六期生入塾
2002年4月13日 上甲晃 | 個別ページ
九十一人の『青年塾』第六期生が、入塾してきた。その入塾式を、今年もまた、岐阜県恵那郡明智町の日本大正村で開催した。私の入塾式でのスピーチは、次のような趣旨のものであった。
第六期生を迎えて、『青年塾』は、第一期生から合計して、四百四十一人を迎え入れたことになる。今年は、第四期生の九十人に次ぐ多さである。
一国が、隆々と発展していくか、やがて衰亡していくかは、その国の青年たちを見ればわかると言われる。青年が、生き生き、はつらつ、きらめくように輝いている国は、栄え、青年に活力なく、怠惰で、退廃的で、生気のない国は滅びるというわけである。日本の現状はどうか。街で見かける青年たちの姿を見るにつけ、日本はやがて滅びるのではないかと思うほど、青年たちに活力がないように思われてならない。
しかし、現実を嘆くだけでは何も解決しない。私ができるところから始めよう。少なくとも、私が出会う青年たちを、元気で活力のあふれる人たちに仕立て上げよう、そのような思いをもって、『青年塾』を立ち上げた。わずか四百人少々では、砂漠に水をまくようなものではないかとの声もあろう。しかし、私ができるところから始める、それでいいと腹をくくっている。四百四十一人が、この日本の救いとなる存在になれば、それで十分ではないかと思っている。
人間は、どのようなときに、生気にみなぎり、はつらつとして、輝くだろうか。私自身の経験からしても、腹の底から、心の奥底から湧き出てくるものがなければ、本当の活力は出てこない。「家が欲しい」、「車が欲しい」、「海外旅行に行きたい」、そんな欲望も人間に活力を与える。しかし、そのような活力は、欲望が実現されてしまうと、すぐにしぼんでしまう。本当の活力は、もっと高い理想、大きな夢がなければ、生まれてこない。まさに、「志」があなたを力強く、たくましく、生き生きとし続けるのである。
私は、『青年塾』の教育において、「すべての人たちを生かす」ことを徹底して心がけることを、諸君に約束したい。「若い人を使うのに苦労している。どうすればいいか」と私に聞く人がいる。そんな時、私はこのように答えている。「使うと考えるから苦労するのです。若い人をいかに使うかではなく、若い人をいかにして生かすかと考えるのです。生かそうと考えれば、相手の良いところを見ようとするものです」。諸君の良いところを見つけて生かす、それが私の諸君への約束です。
二回目の中国理解講座
2002年4月12日 上甲晃 | 個別ページ
歴史的な砂嵐が、私たちに一つの悪い予感を与えた「第二回中国理解講座」であった。中国西部の砂漠は、今年の雨不足で乾燥が激しく、砂塵が舞い上がった。その砂塵は、砂漠の東に広がる中国大陸を覆い尽くした。そればかりか、昨日広島に行くと、そこでもかつてない黄砂に見舞われたことを教えられた。そして今朝のNHKニュースは、北海道にまで黄砂が広がっていたことを報じていた。
中国で起きた事態が、対岸の火事ではなく、日本にも直接的な影響を与えた典型的なケースである。黄砂ほど、中国大陸での事態が日本に及ぼす影響をわかりやすく示すものはないかもしれない。
黄砂にすっぽりと覆い尽くされた長春の街を歩きながら、私は、二十一世紀の日本と中国の関係の深さを思い知らされる思いがした。これからは、黄砂にとどまらない。商品という゛黄砂゛も日本に忍び寄っている。不法就労者という゛黄砂゛も各地に広がっている。
中国社会科学院日本研究所の主任研究員は、「中国はようやく目を覚ましました。もうこれからは眠るわけにはいかないし、眠ることはない」と胸を張った。今までの中国のイメージをもって、これからの中国を見ていたのでは、大きな間違いを起こすであろう。
中国の変化の目覚しさには、目を見張るものがある。遼東半島の先端にある大連市は、外資導入により経済発展を目指す戦略地域である。そうした戦略地域では、外資の進出を容易にするために、港湾施設を整え、街を再開発し、道路や住宅をどんどんとリニューアルしている。驚くのは、スピードの速さだ。その上に、徹底して街をきれいにすることに力を注いでいるので、中心街にはごみ一つ落ちていない。政治のリーダーシップの強烈さを見せ付けられる。道路一つ、滑走路一本作るのに、何十年もかかる日本とは余りにも違いすぎる。一年見なければ、すっかりと姿形が変わってしまっている。
日本の資本が入り込んでいる企業には、日本人の常勤の人はいない。「日本人が一人いると、二十人分の給料になる。それでは、とてもソロバンに合いません。技術は徹底して教えて、中国人の手で経営してもらう」、それが中国の合弁事業の実態である。日増しに、安くて、良い商品が中国でもできるようになるのは当然だろう。
「中国から目を離せない」。中国理解講座第二回目の参加者に共通した感想であろう。その一方、歴史の深い傷跡が、いかに深刻かも実感できる。日本人としての課題が身にしみて見える講座だった。
若者よ、怒れ
2002年4月 1日 上甲晃 | 個別ページ
横浜市長選挙に、松下政経塾第10期生の中田 宏君が当選した。投票日の1週間前、私が、横浜駅西口で街頭宣伝車の上から眺めていた時には、無関心な市民の姿がいやに目に付いた。街頭演説を聞いているのは、中田ファンばかり。その後ろを通り過ぎている人たちは、街頭演説の風景に眼を送ることもなかった。日曜の午後の繁華街を通り過ぎる人たちの大きな波は、選挙にまったく関心ないようにさえ感じられたことは事実である。今回の選挙は無党派層の動きが鍵である。無党派層に動きがないと、中田君の選挙は厳しくなると予想した。
ただ、横浜市民は、他の地域とは異なり、変化に敏感である。時代の最先端をいくような動きは、全国でも一番早く、鋭い。私も、六年間ほど、横浜市民であったので、その点は良くわかるのだ。横浜市民は、感情を表にあらわして、意思表示することはあまりない。黙って、じっと横目で見ているのである。そして、皮膚感覚で厳しい判断を下す、そんな市民感覚は今回も健在であったようだ。
三十七歳という年齢は、日本一の人口を誇る横浜市の舵取りをするには、経験不足であることは否めない事実である。平時であれば、まず選ばれない若さだ。しかし、安定感のある現職よりも、未知数ながらも可能性を、横浜市民は選んだわけだ。
私が今回一番喝采を送ったのは、中田君の挑戦の意欲であり、激しい怒りである。私は、若者の最大の魅力は、世の中の不正、停滞、ひずみ、矛盾などに、怒りをあらわにするところにあると思っている。怒りを忘れた若者には、何の魅力もない。目先の損得を計算し尽くして、人生の進路を決めるのではない。止めようもない怒りに燃え、目先の損得を越えて、巨大な敵に力いっぱいかかっていくところに、若者の魅力がある。また、そういう若者が、古今東西、時代を変えていく原動力になってきたのである。
現状に甘んじて、自分の損得に汲々としている若者が、最近、余りにも多すぎる。社会の矛盾、問題点、陋習、不正などに何の関心もなく、ただ、自分さえ良ければいい、目先が良ければそれでいい、そんな若者があまりにも多すぎることが、日本が停滞している原因の一つでもある。だから、私は、中田君の今回の挑戦に、心から拍手を送った。長期居座り政権ノー、財政を無視した都市開発ノー、多選ノー、そんな腹の底からの怒りが、横浜市民の心を動かしたのである。若者よ、世の矛盾に怒れ、そして敢然と立ち上がれ。君たちの時代だ。

