志ネットワーク 青年塾:「志の高い日本」は、「志の高い日本人」によってこそ実現するとの思いに立ち、志ネットワーク活動を展開。 主宰:上甲晃

途方に暮れた後

2002年7月29日 上甲晃 |

 前夜、すばらしい夜景を楽しんだ函館山が、すぐ右側に見える。海上はるかかなたに煌煌と光をともしていた漁火も、すでに姿を消している。早朝六時半過ぎに、『青年塾』北クラスの研修に参加した人たちは、そろって海岸に出た。前の晩、海岸に近い湯の川温泉に宿泊した。宿舎から海岸までは、わずか五分ほどの距離にあった。

 海の匂いを一杯に吸い込んで、まずはラジオ体操。それから、海岸のゴミ清掃である。私たちは、ふと海岸線に目を落として、いささかたじろいだ。すさまじい量のゴミが、波打ち際に漂着している。あまりのゴミの多さに、参加している人たちは、途方に暮れた。私だって、正直なところ、「こんなにも大量にゴミがあったのでは、私たちだけの力ではどうしようもない」と絶望感に襲われたことは事実である。

 それでも、みんなはゴミを拾い始めた。花火の残骸、大量の缶、プラスティックの袋、果てはタイヤまである。それらのゴミが、海草に絡んで、海岸に散乱している。わずかな一角だけを限定して、黙々とゴミを拾い始めた。「わずかな一角だけをきれいにしても、何の足しにもならない」、みんなの心の中にそんなむなしさが広がった。

 ところが、一時間も掃除していると、そのわずかな一角が、見違えるようにきれいになっていった。最初に絶望感に襲われていただけに、みんなは感動した。「いやあ、やればきれいになるものですね」、そんな声が聞こえる。そうなると、ますます力が入り始めた。限られた時間ではあったが、みんなは、いささかの手ごたえと何らかの教訓を感じ取ったようである。

 私は、朝食の後、こんな感想を述べた。「確かに、初めて大量のゴミを見た時には、途方に暮れました。しかし、気を取り直して、掃除をしてみたら、それなりにわずかながらもきれいになりました。みなさんの職場でも、あるいは地域社会でも、途方に暮れることは一杯あると思います。私一人の力ではどうにもならないと思うような現実が、目の前にあるでしょう。しかし、だから何もしないのか、だからこそ、できるところから始めようと考えるのか、今日は大変大きな示唆を与えられたように思います。どんなに小さな範囲であり、どんなにわずかな成果しか期待できないことであっても、私の前の現実に立ち向かうところからしか始めようがないのです。そして、毎日欠かさずゴミを拾い続けたら、拾った分だけゴミが減っていくことも事実です。途方に暮れるのではなく、私ができるところから始めるその大切さを教えられました」。

『青年塾』塾生諸君への手紙

2002年7月20日 上甲晃 |

 常に、゛主人公意識゛をもって歩もう第六期生諸君のクラス別研修の第一回目が、すべて完了しました。毎年、最初は特に緊張します。立ち上がりがうまく行かないと、後に響く、そのように思うものですから、私自身も、慎重に、真摯に、そして真剣に研修に臨みました。おかげで、どのクラスもうまく立ち上がったと自負しています。もちろん、個々に見れば色々な評価もあり、課題もあります。しかし、それらは次なる進歩のための゛芽゛です。

 私の場合、研修が終わった後で体の芯から疲れを感じるようなときは、物事がうまく行っていない証拠です。逆に、うまく行くと、肉体的な疲れを感じても、心はうきうきするものです。今回は、すべてのクラスの終わった後、すがすがしい気分と共に、「これからもがんばろう」との意欲がわいてきました。私の゛体内観測計゛が、今年の第六期生の立ち上がりが順調であることを教えてくれているのです。

 順調に立ち上がった最大の理由は、諸君が、気持ちを新たに参加してくれたからです。入塾式のときに、いやいや『青年塾』に参加するようになった人もいました、しぶしぶ『青年塾』に参加するようになった人もいました。それは、まったく構わないのです。大事なことは、「いかなる経過があったとしても、やると決めた限りは、やるぞ」と気分を一新することです。私は、それを゛主人公意識゛と言っています。人に言われたからやる、人に命令されたからやるのでは、自分の人生にして自分の人生にあらず、それは゛奴隷意識゛です。

いやいや、しぶしぶの気分をひきづる人が一番いけないのです。それではすべての人が損をします。せっかく良かれと思って送り出してくれた経営者も、休日の予定を犠牲にして送り出してくれた家族も、もちろんあなた自身も、一緒に学んでいるほかの塾生諸君も、みんなが損をするケースです。だから、「やる限りはやる」との気分の切り替えが必要なのです。幸い、今年は、みんなが気分を切り替えてくれたようです。つまり、諸君が、゛主人公意識゛をもってくれた結果、滑り出しが良かったのです。

 これからも、゛主人公意識゛を強く諸君に求めていきたいと思っています。唯一つだけ付け加えておきたいことは、「自分のやりたいことだけをやる」というのが、゛主人公意識゛ではないということです。「自分のやりたいことだけをやる」のは、わがままです。人に命じられたことであっても、会社の方針であっても、強制的にしなければならないことであっても、「やる限りは、自分の主体性をもってやる」、それが゛主人公意識゛なのです。そのためには、なぜそれをやるかを納得するまで理解することも必要です。どんなことでも、やる限りは、自らが必要だと判断してやる、それが゛主人公意識゛なのです。

 食べ物でも、自分の好きなものだけ食べていたら、体を壊してしまいます。必要なものを食べることが大事であって、食べたいものだけを食べるのを偏食と言います。心の面においても、やりたいことだけをやる、自分の好きなことだけをする、人に命令されたことはやらないというのでは成長はしません。それは、心の偏食です。そして、最も問われるのは、自分がやりたいと思っていないことに対する姿勢です。やりたいと思うことは、放っておいても、゛主人公意識゛をもつことができます。問題は、自分が別段やりたいと思っていないことに対する姿勢です。自分がやりたいと思っていないことであっても、やらなければならないことである限りは、気分を一新して、「やる限りは、自らの発意のような主体性」をもつことであります。

 上から言われたことであっても、部下から求められたことであっても、外から無理やり要求されたことであっても、「やるべきことはやる」という主体性、そして「やる限りは自分自身の主体性において取り組む」というのが、゛主人公意識゛です。

 サマーセミナーが近づいてきました。今年は、四国の香川県を舞台にして、お遍路の巡礼体験などが計画の中心に組まれています。計画は、すべて四国地区の塾生諸君が担当してくれます。既に、十人の人たちが下見に出かけたとも聞きます。サマーセミナーの開催は、毎年、各地区を巡っていきます。昨年は九州、今年は四国、来年は北陸、その次の年は中国地方を予定しています。

 どうしてお遍路なのか、それは信仰の自由の侵害ではないか、四国ならやはり高知県ではないか、などと論議を始めると、物事は限りなく泥沼に入り込みます。「いい機会だ。やってみよう。やる限りは、主体的に参加してみよう」、そのような気持ちの切り替え、それが゛主人公意識゛です。やらずして議論しても物事は延々と決着がつきません。とにかくやってみよう、その潔さは、懐の広さでもあります。すべての諸君の参加を心から願っています。

 暑さが日増しに厳しくなります。くれぐれも自愛されて、元気でお過ごしください。そしてまた、お互いに元気で再会しましょう。

                『青年塾』代表 上甲 晃

ハコモノ

2002年7月 8日 上甲晃 |

 最近の選挙を見ていると、橋や道路を精力的に造ったり、様々な建物を建設して業績を上げてきたベテランの首長が選挙で落ちるケースが多いように思う。今まで一番選挙に強かったタイプが、このごろはなぜか選挙に勝てなくなってきたのである。長野県の田中康夫知事なども、その典型だ。ダムを造ることを公約に掲げれば選挙には強かったのは、今までの話。最近は、ダムを造らないことを公約するほうが、有権者の支持を得られるのである。変化の兆しである。

 有権者は、立派な施設ができても、先々のことをお見通しなのである。お祭りの後、その維持をするのに、膨大な費用がかかる。この財政難の時代に、運営の維持管理費用が捻出できるはずがない。だから、一時的な華やかさに目を奪われてはならない。立派な施設は、赤字の元凶である。有権者は、そのことをわかってしまったのである。だから、中央と直結してハコモノを造る腕力を誇るベテランの首長が、選挙に勝てなくなってきたのである。

 その変化の兆しの舞台裏をみごとに解説してくれた人がいる。山口県柳井市の河内山市長。「日本では、建物を立てるための財源はたくさんあります。補助金もその中に含まれます。それに対して、維持管理する裏づけになる財源はありません。だから、建物を建てやすく、維持管理しにくいのが、当然なのです。例えば文化ホールを建てるための財源は山ほどあります。その財源を使い、最高のレベルの施設を造ることはできます。そして、海外から世界的なレベルの演奏家や楽団を招いて、柿(こけら)落としをします。しかし、華々しくスタートした音楽ホールが、維持管理する裏づけの財源がないために、年を追うごとに、赤字体質になってしまいます。気がついたら、地域のカラオケ大会に、音楽ホールが利用されている、それが実態です。もちろん、カラオケ大会に最高級の音楽ホールを使ってはいけないとは言わないけれども、裏返せば、台所が火の車になっている証拠です」。

 ハコモノを造れば造るほど、維持管理に苦労して、財政がますます逼迫することを私たちは承知してしまった。全国各地に、雨後の筍のごとく、サッカー場が建設された。河内山市長は、「やがて十年もすれば、地域のゲートボール大会の会場になっていることでしょう」と予想する。既に、すべてのサッカー場が、見通しのない赤字の泥沼にはまってしまう恐怖にある。あの華やかなワールドカップは、いったい地域にとって何だったのだろうと、うつろにつぶやく日は近いようだ。

人間としての強さ

2002年7月 2日 上甲晃 |

 次の時代を担う美容師を育てることを目的として設立された『若竹塾』の研修が、昨日から、軽井沢で行われている。私たち夫婦も、この研修にはお付き合いさせていただいている。今回は、特別な外部講師を招いていない。塾生たちが、お互いにより深く知り合うことを目的として、「自分を語る」というテーマで、一人十五分の発表をすることになっている。この日は、終日、塾生諸君の発表を聞かせてもらった。

 塾生諸君の大半は、美容室の店長クラス。若いスタッフを抱えながら、一つの店の経営を任されている人がほとんどである。経営者からの強い要求と、若い社員からのさまざまな圧力のはざまにある人たちばかりである。一人一人の発表は、身につまされるような中間管理職の悩みや苦しみそのものであった。何人もの塾生が、時には感極まったり、時にはこみ上げてくる感情を抑え切れずに、涙を流した。

 「私は弱い人間です。もっと強くなりたい」、そんな言葉を何度耳にしたことであろうか。思うようにいかない日常生活の苦しみから抜け出て、快刀乱麻、様々な課題や問題をばったばったと片付けて、売上げをぐんぐん伸ばしていけるような゛強さ゛が欲しいと言う悲痛な声が、今も耳元に響く。

 しかし、私は、あえて゛強くある゛ことを否定した。゛強い゛ことが本当にいいことなのだろうか。そんな悩ましい問題提起をしたのである。弱肉強食。世の中、強ければいいという風潮ばかりではないか。そしてその裏返しとして、弱いことが致命的な欠点のように嫌われる。しかし、一見、強そうに見える人が、実は弱い人であったり、弱いように見えていた人が、他人の苦しみや悩みに対して深い共鳴・共感をもつ人であったりする。だから、何をもって強いと言い、何をもって弱いと言うのか、実はわからないというのが私の率直な思いである。だから、無理して強くなければならないと思い込む必要はない。

 強さを言うなら、『本当の強さ』を求めるべきだ。『本当の強さ』とは何か。『本当に強い生き方』とは何か。それは真理に基づく生き方ではないかと思う。正義に基づく戦いに挑むのも、『本当の強さ』への道筋である。真理に基づいて生きる人こそ、『本当の強さ』を持った人と言いたい。人を犠牲にしたり、人を踏み台にして、力づくで人を押しのけたり、人を征服したり、人を叩きのめすことをもって強いとは言わない。私たちは、生涯かけて、『本当の強い人間』になりたいものである。『本当の強い人間』は、弱さを深く理解している人でもある。


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