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お接待の心
2002年8月26日 上甲晃 | 個別ページ
「一本の冷たいおしぼりを出しただけですけれども、こんなにもみんなに喜ばれるなんて」と言いつつ、一人の女性が絶句した。お遍路の途中、私たち全員に冷たいおしぼりが差し出された。炎天下、汗を全身にかいて歩いてきた身にとって、一本の冷たいおしぼりがこんなにもありがたいものかと、私も実感したし、参加した人たちもまたみんな同じ気持ちであった。その私たちの喜んでいる様子を見て、おしぼりのサービスをしてくれた人が感激しているのだ。
四国の地には、゛お接待゛というものがあると、かねてから聞き及んでいた。四国八十八ヶ所を巡礼するお遍路さんたちに、地元の人たちが自発的に接待をして上げる習慣である。「お遍路ご苦労様。ようこそお参り」といった気持ちを表したものだ。
今回の研修に際しては、四国地区在住の塾生諸君が、この゛お接待役゛を引き受けてくれた。それはまことに献身的であり、頭の下がるようなお世話であった。中には、塾生の関係者まで引っ張り出されて、手伝ってくれた。おしぼりを出してくれたのは、塾生である藤井美香さんの妹さんと関係者。お遍路の途中、昼食の場所にテントを張り、シートを敷き、さらには冷たい氷を使っておしぼりを提供してくれた。暑さにあえいでいた身にとっては、何とありがたいことか。心の底から、「イヤー冷たい。ありがいな」の声が上がった。その声を聞いて、重たい氷を運び、一本一本おしぼりを冷やす苦労が吹き飛び、さらにうれしさまでこみ上げてきたのだ。『人を喜ばすことは、自分が喜ぶこと』だとつくづく再認識させられた。
お接待はこれだけにとどまらなかった。炎天下、みんなにうどんを手打ちする指導をしてくれたうどん屋さんのご主人もおられた。聞くところによると、新規開店するあわただしい日にもかかわらず、まったくのボランティアで私たちのために時間と労力を提供していただいた。これもまた、迎えていただく方々の心遣いである。
そして何よりも感激したのは、『青年塾』の先輩諸氏の働きぶりだろう。終始裏方に徹して、実にみごとな働きぶりであった。彼らの額からはいつも玉のような汗が吹き出ていたことを覚えている。炎天下に火を炊いて、どじょう入り煮込みうどんの汁を炊いている諸君のシャツは、汗でびっしょりであった。車の入れないお遍路道に、冷たく重い氷を運ぶ苦労も並大抵ではなかった。そして何よりうれしかったのは、誰一人文句を言うどころか、嬉々としてお接待をしてくれたことだ。
お遍路の心
2002年8月25日 上甲晃 | 個別ページ
弘法大師にも、納経にもまったく縁のない若い人たちが、お遍路の体験をいかに受け止めるかは、私には大いに関心のあるところであった。お遍路は、トレッキングでも、ウォークラリーでもない。目標を決めて歩く行為は同じであったとしても、お遍路は一つの信仰の姿であり、宗教的な行為である。その宗教的な行為を、ふだんまったくといってよいほど信仰や宗教に縁のない若い人たちは、どのように感じ取り、何をつかむであろうか、どうしても知りたかった。
サマーセミナー最終日の研修は、まず体験発表である。十人単位に十一に分けた班の代表者が、それぞれの班メンバーの感想をまとめて発表した。
「急な坂道を歩き、ようやくのようにたどり着いたお寺で、静かに手を合わせながら祈ることの大切さを知ることができた」、「願い事を書いて参拝の時にお札にして入れるのですが、人のために祈ることの大切さを知りました」、「山道を歩きながら、静かに吹く風や鳥の声などに耳を傾ける心をもてました」、「急な坂を登ってくる老夫婦と出会った時、声をかけましたが、二人の目が怖いほど真剣でした」、「納経帳にお参りしたしるしとして、記帳してもらいました。八十八のうち、たった三つだけに記帳してもらっただけですが、いつ全部埋めてみたいと思いました」、「今度は少人数で来たい」。
若い人たちに、お遍路体験に対して拒否反応はまったくなかった。どうしてこんなことをしなければならないのか、これは信仰の自由を侵害する研修ではないか、こんな古臭いことをして何になる、そんな声はまったくなかった。むしろ、若い人たちが、まことに素直な心で、新しい何かを見つけた感動・感激を口々にしたことは、私には驚きに近いものであった。「教えない罪」、「伝えない罪」もある。若い人たちにもっともっと色々な体験をしてもらいたい、そして自らの心の拠り所となる原体験をしっかりと積み重ねて欲しいと、私自身、つくづく感じたしだいである。聞くところによると、最近は、お遍路に若い人たちが増えてきているとのこと。物質的豊かさの中に浸りながらも、若い人たちは、心の拠り所、精神の足場を強く求めているのだろう。
お遍路は、日本人の心の遍歴そのものである。浮世で葛藤する人間が、現実のどろどろとした世界をひと時離れて、お遍路に出る。それは、まさに日本人でなければ感じられない心の世界であろう。若い人たちに、日本人の心の遍歴を体験してもらえて良かった。
同行二人
2002年8月24日 上甲晃 | 個別ページ
四国八十八ヶ所巡礼の旅は、「日本人の心の遍歴」の旅でもあった。私たちの先人は、弘法大師が開いたお遍路を通じて、時には自らの心を見つめ、時には自らを反省し、時には亡き人を思慕し、時には自らを鍛えるため、八十八の寺を訪ね歩く旅を続けてきたのである。まさに、日本人の精神性、そして日本人の宗教心の表れである。
私は、『青年塾』のカリキュラムの一つの柱として、゛日本人の精神゛の探求を掲げてきた。時代がグローバル化すればするほど、私たちは自らの精神の拠って立つところを自覚しなければならないと私は確信している。自らの゛心の足場゛を見失ってしまうと、私たちは、誇りを失い、゛精神的難民゛になってしまう危険性をもってしまう。そんな思いから、「日本人の心の遍歴」を、若い人たちに少しでも触れて欲しいと思い、『青年塾』サマーセミナーを四国・香川県で開催したしだいだ。
今年で四回目の開催になるサマーセミナーは、年に一回、すべての塾生が一堂に会して、絆を深め合うところに最大の目的を求めている。あわせて、開催地は、全国を順番に移動していくことしている。すでに、京都府丹後半島、宮城県石巻市、そして昨年の九州・九重高原で開催した。今年は、四国・香川県。私は、香川県で開催することが決まって以来、「お遍路をみんなで経験しよう」と提案し続けてきた。四国在住の塾生諸君も、異論はなかった。自らの住む地域でのお遍路の存在がどれほど地域に根ざしたものであるかは、若い人たちも十分に承知しているようであった。
今回は、八十八ヶ所のうち、香川県下の三つのお寺を一日かけて回った。八十二番の根香寺(ねごろじ)、八十一番の白峰寺、八十番の国分寺である。お遍路は、数字の順番に回るのが本来のようだが、百人を上回る人たちが歩き切るためには急坂が多くて困難が大きいと判断した実行委員会の諸君が、逆周りにコースを組んだ。
たった三つのお寺を回るだけだが、距離にして十キロを越える。しかも、ほとんどは急な山道である。時々舗装された県道を歩くこともあるが、大半は、お遍路道と呼ばれる山道を歩く。参加者を十人単位に班分けして、全員が手に金剛杖を持ち歩き始めた。私たち夫婦と、塾生の代表、並びに志ネットワークの希望者は、白装束。昔ながらのお遍路さんの正装で歩かせてもらった。全員が、炎天下、無事に歩き通すことができた。そして、それぞれが何かを見つけた様子であった。
