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遠大なる計画
2002年9月16日 上甲晃 | 個別ページ
空海が開いた高野山は、今までの私にとって、近くて遠い存在であった。゛いつでも行ける所は、なかなか行かない所になる゛ようだ。私が住む泉北ニュータウンは、南海電車の難波駅から出ている高野線の支線にある。だから、支線で枝分かれせずに、そのまま終点まで乗れば、高野山に至る。だから高野山は、その気になればいつでも行ける所であったが、過去に一度しか行ったことがなかった。昨日から始まった『青年塾』関西クラスは、塾生諸君の希望により、初めて高野山の名刹である三昧院の宿坊で研修を行った。おかげで普段行く機会のなかった高野山に、何十年ぶりかに来ることができた。
まず、三昧院の住職である久利康影氏の話を聞かせてもらった。住職は、きわめてわかりやすく、高野山の由来を教えてくれた。「八百四年、空海は三十一歳で遣唐使として、中国に渡りました。その空海が、八百十六年、四十三歳で高野山を開きました」。今から千二百年前の話である。「当時、高野山は、うっそうとした原生林であり、じめじめとした湿地帯であったはずです」。そうだろう、今の高野山は、一つの町を成している。小学校、中学校、高等学校はもとより、大学まである。標高八百メートルの山の中には、商店街もあり、路線バスも走る。
私が驚嘆したのは、空海が、原生林を開きながら、植林に力を入れたことである。まず、杉を植えた。それから、檜。さらに、高野まき。高野山は、千年の歴史を通じて、植林を続けてきたのである。植林の目的は、建築資材の確保と経済基盤の確立のためである。私は、空海の展望の大きさ、広さ、長さに感心した。寺の規模が大きくなれば、当然、建築木材は必需品である。また、高野まきを植林したのは、お公家さんの棺おけ用の資材として重宝されたため、財政的に役立ったはずである。そればかりではない。空海は、人を育てることに力を入れるために、学校を建てた。その学校を建てる資金もまた、植林で得たお金から出ている。「木を育てて、学校をつくり、人を育てた」のだ。
空海は、遠大な志を持っていた。だからこそ、長大な展望と遠大な計画を持つことができたのだ。志が大きければ大きいほど、計画は大きく、展望もまた長期にわたることの証拠だ。目先の利益ばかりを追いかけていると、計画は小さく、短くなる。「その日暮し」に終始してしまうのだ。手前味噌かもしれないが、大きな志があるからこそ、遠大なる計画を立てられるのだ。日本が行き詰まるのも、国家にも、国民にも、志があまりないからではないだろうか。
出発式
2002年9月 7日 上甲晃 | 個別ページ
山梨県の未来をになう人材を育成したいとの思いから始められた『夢甲斐塾』は、設立してようやく一年を迎えた。そこで、一年の締めくくりとして、塾設立の発案者である天野知事を迎えて、清里で、出発式が行われた。会場は、清里開拓の父とも言うべきポールラッシュ博士の記念館である。
出発式は、塾生諸君の手によって準備され、運営された。まず、新しく旗揚げする゛夢甲斐ネット゛の趣旨と内容の説明である。山梨県の事業としてスタートした『夢甲斐塾』は、一年間の研修年限と決められている。しかし、一年間共に学んだぐらいでは、山梨県のために事を起こすところまではなかなかいかない。せいぜい、「塾生同士、お互い仲良くなりました」といったレベルまで到達するのがやっとだ。そこで私は、一年間の研修を終えた後、山梨県のために事を起こす地域ネットワークとして、゛夢甲斐ネット゛を立ち上げるように仕掛けた。
「事を起こすためには、お互いに気心がわかり、心通じ合うことが必要である。気心がわかり、心が通い合うと、人は何か事を起こしたくなるものである。過去の一年間は、その意味で、事を起こしていく゛心の温度゛を高めていく時間であったとも言える。時、ついに到来。これからは、塾生諸君が、自主的な地域ネットを立ち上げて、山梨のために事を起こしていこうではないか」と、私は呼びかけた。
この一年間、私は、私と塾生、そして塾生同士が気心通じ、心を通い合わせることに一番心を砕いてきた。私のような゛よそ者゛が塾長に任命されて、いささかの戸惑いもあったことは事実である。まして山梨県は、地域の中にいる人たち同士は結束力が強いが、その分、排他的であると聞いていた。私が塾生諸君と心通じ合わないと、何も始まらない。心通じ合わせるためにいつも私が心がけることは、「共にある」ことだ。松下政経塾時代も、『青年塾』でも、「共にある」ことを心がけてきた。共に過ごす時間が短いと、やはり心は通わない。可能な限り、共に過ごす時間を長くすることは、心通い合わせる第一歩。雑魚寝もした。すべての研修は、最初から最後まで参加した。
出発式で、塾生の一人一人が、一年を振り返って感想を述べた時、私は、彼らとの心の通い合いを実感できた。「共にある」努力は報われたようだ。心が通い合うと、きっと、何か事を起こしたいとの意欲が高まってくると信じる。天野知事もまた、塾生諸君の発表を聞きながら、確かな手ごたえを感じ取ったようだ。
