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リーダーたる者
2004年2月23日 上甲晃 | 個別ページ
美山荘の女将の姿勢に大いに感動するとともに、リーダーたる者の姿勢を学ばせてもらった。
リーダーは、人が喜ぶ姿を見て、喜びを感じる人なのだ。だから、四十年間、二畳一間の生活を少しも苦痛だとか、我慢しているなどと思っていない。また、「我慢に我慢を重ね、辛抱に辛抱を重ねて四十年」などと思っているうちは、本当のリーダーとは言えない。リーダーは、「人の喜びを自分の喜び」と感じているので、お客様が喜び、従業員が生き生きと働いていてくれさえすれば、それで満足なのだ。
横浜市長の中田 宏氏は、『先憂後楽』とは、「先に苦しんでおけば後から楽ができる」と解釈するのではなく、「先に行く者(リーダー)が辛いことを我慢すれば、後に続く者が楽をできる」と説明していた。まさにその通りだ。『リーダーたる者、部下の誰よりも損をすべし』。そんな言葉が山口県柳井市近郊にある大晃機械工業さんの研修所入口の碑に刻まれていたのを記憶している。部下の誰よりも損をしていることを辛く悔しいと思うのではなく、それを当然であり、喜びと感じることができる人が、リーダーである。
多くのリーダーは、駆け出しのころ、また創業間もないころには、自分のことなど眼中にない。少しでも資金に余裕ができれば、それをすべて事業につぎ込むことができる。自分が職場の一角に住んでいることを苦痛と感じるどころか、喜びにさえ感じる。リーダーにその心構えがある限りは、事業はぐんぐんと伸びていく。ところが、ある程度事業が成功してくると、自分が楽しむことに走る人が多い。家を新築したり、高級車を乗り回したり、ゴルフ三昧に興じるようになる人が多いのである。リーダーがそのように変化していくと、事業が低迷し始めるのも世の常だ。
繰り返しになるが、我慢して清貧に甘んじるのではない、人が豊かさを満喫してくれるならば自らが清貧であることなど少しも苦にならないどころか、むしろ喜びでさえある。そんな価値観を内面化しないと、リーダーとは呼べないようだ。
本物のリーダーが、概して清貧かつ質素で、謙虚なのは性癖の問題ではない。根本的な考え方において、「人々に仕える心」をもっているからこそにじみ出てくるものなのだ。すべからく経営者は、どんな時でも、心の底から、「お客さまに喜んでいただきたい。社員の人たちに生き生きと働いてもらいたい」と願い続けることだ。その思いなくして、いかなる努力も成果を上げることはないだろう。
女将の志
2004年2月22日 上甲晃 | 個別ページ
「起きて半畳、寝て一畳という言葉がありますが、私は四十年間、畳二畳の部屋で寝起きしてきました」。普段、自分を語ることなどまずない京都花背の宿・美山荘の女将が、舞台裏の話を聞かせてくれた。美山荘と言えば、日本を代表する有名な宿。私は、「日本一のサービスだ」といつも絶賛して、年に何度かは行くことにしている。顧客満足度ナンバーワン、そんな私の宣伝文句(?)に誘われて、何人もの人が出かけていただいた。そして誰もが、「その通りだった」と満足された。それほど魅力的な宿の女将が、四十年間、たった二畳の部屋で生活してこられたと知り、本当に驚いた。「その二畳も、調理場の続きにある納戸のような部屋です。私どもは、自分達家族だけで食事をしたりするようなことはありませんでした。いつも従業員とともに、調理場の片隅で食事を取ってきました」とのこと。これもまた、私にとっては、大変な驚きであった。
「私には二人の娘がいます。そして孫達もいます。しかし、その孫達がここには来ません。孫達が来ても、一緒に食事をしたり、泊めてやれる部屋がないのです。だから、孫達は、どうして花背のおばあちゃんのところへ行ったらダメなのと娘達に聞くそうです」。そんなエピソードもまた、美山荘の舞台裏をうかがわせ、ますます美山荘のことを好きになった。
美山荘の女将である中東和子さんは、十年前にご主人を亡くされた。ご主人は、私もよく知っている。京都を代表する料理人で、その感性の良さは天下に名をとどろかせていた。「結局、主人も、自分の家屋敷を建てることなく、二畳の間で生活し続けていました」とのこと。私はここに本当のプロの心意気と生き様、そして『志』を見つけた思いがした。
美山荘の客室の快適さは、天下一品だ。料理のうまさもまた、最高級。しかし、それを支える経営者の質素で、堅実、つつましい生活ぶりがまぶしくもある。客を犠牲にして、自分達は贅沢三昧の生活をしている経営者達には、想像もつかない世界だろう。
今、美山荘は、調理場の改築中である。私が出かけた時には、青いビニールが掛けられて、工事の真っ最中。女将さんの二畳の間も、既になくなっている。「今度は、もう少しだけ広い部屋を中二階に作ります」と、女将はいかにも申しわけなさそうに言う。
何年もかけて、客室を全面改装し、従業員の寮を作り直し、息子夫婦のための家を建て、最後の最後に、自分の部屋もちょっと手直しする。経営者の心の美しさが、この宿の快適さを支えているのだ。美山荘は、゛美心荘゛でもあるのだ。
いつか花開く
2004年2月 1日 上甲晃 | 個別ページ
予想されたこととは言え、大阪府知事選挙は、投票率四〇・四九パーセント。一九四七年に統一地方選挙が始まって以来、最低の投票率であった。有権者総数が、約六百九十二万人だから、四百十二万人余りが棄権したことになる。新聞は、「府政への関心低く」と見出しをつけている。しかし、その府政は、火の車。本当は、無関心では済まされないような非常事態にありながら、府民は無関心。この矛盾が、どのような結果を招いていくの、本当に心配だ。
ちなみに、大阪府の借金は、四兆七千億円。天文学的数字である。今回再選された太田府知事になってから、借金はさらに九千億円も増えている。単年度の赤字は、二〇〇二年度、三百六十二億円。゛自治体の倒産゛と言われる準用財政再建団体への転落寸前である。要するに、大阪府民は、自らが乗り込んでいる『大阪丸』が沈没寸前なのに、その事態に対して関心がないのだ。 再選された太田知事が、大胆な改革を進めているのであれば、私も、納得する。現実は逆だ。借金を大幅に増やしただけでも、本当は引責辞任だ。しかし、各種団体、各政党は、とにかく言うことを良く聞いてくれる知事の方が、使い勝手が良い。「既得権益者にはもっとも使いやすい知事」なのだ。だから、全政党相乗り、既製団体の推薦揃い踏み。裏返すならば、「大阪はこれから五年間、抵抗勢力を潰すような改革はしません」と決めたようなのである。
それにしても、関西改革会議の若い人たちは実に良くやった。私は関西改革会議の単なる゛言い出しっぺ゛に過ぎない。その私の思いを受けて、関西改革会議を実質的に切り回してくれたのは、若い人たちだ。多くは『青年塾』の塾生諸君である。「若い人たちが立ち上がれば大阪が変わる」と信じて、熱心に行動した。分別ある大人であれば、むなしくなるような現実に少しもめげることなく、行動をしてくれたのだ。私にとって、今回の知事選挙の大きな救いであった。
彼らは、毎日、大阪の目抜き通りを行列して、「選挙に行こう」と呼びかけた。本当は、太田府知事を倒して、江本孟紀氏を知事にしようとした。しかし、彼らは勝手に応援する団体。選挙期間中は、江本選対と別に動くために、「江本をよろしく」とは叫べない。だから、無党派、無関心な人たちが投票に行くことこそ、江本勝利の道を開くと、投票を呼びかける運動をし続けたのだ。結果は、改革ののろしにならなかった。しかし、継続することこそ、道を開くと信じて、若い人たちにこれからもがんばってほしい。きっといつか、君達の時代がくるのだから。

