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背筋
2004年3月31日 上甲晃 | 個別ページ
森 信三先生は、「腰骨を立てろ」と教えられた。そして、子供の頃から、親や先生たちから、「背筋を伸ばせ」とも教えられた。いずれにしても、椅子に座った時に、背もたれにもたれずに背筋を伸ばし、腰骨を立てるのは、瞬間的にはできるものの、これを持続することはなかなか難しい。最初は伸びていたはずの背骨が、知らず知らずに湾曲し、腰骨がだらしなく曲がる。人から見ると、決して美しい姿ではない。
私が意識して腰骨を立て、背筋を伸ばすのは、若い人たちの意見発表や声を聞くときである。「きちんと聞く」。それは教育する者が、教育される者に向かう時の、第一の至誠であり、姿勢であると思ってきた。過日の修了発表会は、十二時間を越える長丁場である。私は、その十二時間、背筋を伸ばし、腰骨を立てることにしている。一度も背もたれにもたれないし、足も組まない、そのために、椅子には深く座らない。椅子の前半分に腰をかけ、背筋を伸ばす。
一年間、それぞれの困難な事情を乗り越えて共に学んだ仲間である。誰の発表も聞き逃せないし、おろそかにできない。発表している一人一人と向かい合うつもりで、背筋を伸ばして聞き入った。私は、会場の一番後ろに座っているから、他の塾生に、私の姿勢は見えない。私は、発表に聞き入る塾生諸君の聞いている態度が良く見える。すなわち私は、発表している人たちの様子と、話に聞き入っている塾生諸君の様子の二つが掌握できるというわけである。
発表の態度や内容も大切であるが、人の発表をどのように聞き届けるかもまた、大事な研修なのである。だから私は、塾生諸君の後姿を注目してみているのだ。自分の発表が終わったら、「すべては終わった」とばかりに眠りこけるようなことは許されない。もし自分が発表している時に、人が居眠りしていたらどのように思うだろうか。失礼だと思うだろう。また、それを失礼と思わないような程度の内容の発表であれば、人に聞かせてはならない。やはり、話す方も真剣、聞くほうもまた真剣。そのような状態にならなければ、人を育てる場としては失格である。
十二時間以上も背筋をぴんと立てることは、普通で考えると、大変な難儀である。しかし、私は、塾生諸君の一年にわたる努力の結果を受け止めるのだと思うと、少しも苦にならない。また、苦になるようであれば、ボツボツ私も潮時、引退の時期である。「聞く姿勢は、心の姿勢」である。人の話を聞くその姿に、自らの心の様子は端的に表れる。これからもまた、背筋を立てて、人の話を聞く努力を続けたい。
黄金時代
2004年3月30日 上甲晃 | 個別ページ
後に、『青年塾』の歴史を振り返った時、「七期生あたりから、『青年塾』の黄金時代が始まった」と言えるかもしれない。そんなことを、出発式の間、考えていた。七期生の出発式は、私の期待し、望む理想に近いものであった。個々に見れば、至らない点や改善すべき点はいくらでもある。それはこれから改善していくとして、「塾生の主体的な意志と情熱、そして行動力によってすべてを動かしていく」という私の理想は、最大限にかなえられたような気がした。それほど、今年の出発式は、良かった。何が良かったと問われるならば、「青年のエネルギーに溢れていた」ことである。若い人たちのエネルギーを引き出すことを主たる目的とする『青年塾』らしい出発式ができたことが、何よりうれしかった。
このところ、『青年塾』は、下見が盛んだ。私は何も命じていないのに、塾生諸君は、自ら必要性を感じて、自ら下見に出かけてくれる。それも一度や二度ではない。何度も何度も、それこそ、自分が本当に納得できるまで、現場に出かけている。だから、机上のプランではない現実感覚があり、安心して進行を見ていることができた。
東クラスの波呂君は、修了発表会で行うアトラクションのリーダーであった。しかし、お母さんが重い病気に罹り、ほとんど付きっ切りで看病しなければならなくなった。アトラクションどころではない状況に陥ったのである。しかし、東クラスの人達は、「アトラクションの責任者は、波呂君」と決め込み、待ち続けた。その波呂君が、最後のリハーサルに駆けつけたのは、夜中の二時とか。その一つをとっても、みんなの結束力は否応なく、高まったのである。
今回の出発式関連行事を通じて、私が一番うれしかったのは、塾生諸君の結束力である。「共に苦労すれば、そこに心の絆が結ばれる」と私は信じている。塾生諸君の心の絆がしっかりと結ばれていたことが、何よりもうれしく、ありがたいことであった。七期生だけの結束ではない。上級生の人たちの結束力もまた、目を見張るものがあった。後輩達のために、献身的に働いている人たちが、何と多かったことか。大きな声を張り上げることなく、静かに、そして無駄な動きなく出発式や祝宴の準備を進めてくれた。かつてないほどの多人数にもかかわらず、動きの見事さは出色であった。全体の動きを頭に入れて、自分が何をしなければならないかを承知していないと、これほどの動きはできない。
『青年塾』は、塾生の主体的な意志のもとにすべてを自主的に行うことを本旨としている。その実が上がりつつあることを、私は喜んでいる。
世も末
2004年3月 8日 上甲晃 | 個別ページ
ホテルの外からガラス越しにロビーを見た時には、華やかな着物姿の群れにしか見えなかった。どこかの女子大学の卒業謝恩会が開かれているのだろうと思いながら、横の入口からロビーに入ろうとした。入口のドアーを押そうとして驚いた。入口の横に置いてタバコの吸殻入れを囲んで、着物姿の女性がかがみ込み、ぷかぷかとタバコを吸っているのだ。着物姿が華やかなだけに、その姿は異様を通り越して、醜いと思った。
ロビーの中で談笑する女性達も、着物姿のあでやかさとはかけ離れた醜い姿をさらしていた。「酔っ払っちゃったわ」などと、大きな声で怒鳴っている人もいる。しゃべり方に、つつしみ深さや奥ゆかしさなどかけらも無い。外見の着物は上品であっても、中身の人間性はどうしようもないほどに下品である。目を覆い、耳を塞ぎたくなった。
福岡のキャナルシティにあるグランドハイアットホテルにたどり着いて、私は自分の間違いに気がついた。私の目的とする講演会の会場はここではない。このホテルから車で十分ほど離れたところにあるハイアットリージェンシーであった。着物姿の女性達の醜さに辟易して、逃げるようにしてロビーを後にし、早々にタクシーに乗り込もうとした。そこで目撃したのも、別の着物姿の女性達が座り込んでタバコを吸っている姿であった。とても絵にならない光景だ。
私が乗り込んだタクシーの運転手さんも、客待ちをしながら、入口に座り込んでいる女性達を呆然と見ていたようだ。タクシーに乗り込んだ途端に、「ひどいですな」と私に声をかけてきた。「着物は美しいけれども、中身の人間が美しくない」と、私も吐き捨てるように同意した。運転手さんは、「先ほどから見ていましたが、手にしているのもすべてブランド物の高級品ばかりです。贅沢なものです」とさらに追い討ちをかけた。
日本人が、美しくなくなった。凛々しさも消えた。奥ゆかしさ、つつましさ、楚々とした様子、そんな言葉がすべて死語となりつつある。悲しいではないか。昔は今ほど贅沢ではなかった。持ち物も、質素で、つつましかった。それでも、中身の人間性は、今よりはずっと優れていた。゛外見二流・中身一流゛であった。今は逆だ。゛外見一流・中身三流以下゛。それどころか、眉をひそめたくなる醜さがある。
若い女性だけでない。中高年のおばさん達の多くも、中身は三流。つつましさを失った姿は、醜悪でさえある。立居振舞にも美しさを求めた日本人の精神性の高さを今一度取り戻したいものだ。せめて、私の主宰する『青年塾』や『志ネットワーク』は、゛美しい心の集団゛でありたい。
隔世の感
2004年3月 1日 上甲晃 | 個別ページ
『青年塾』も八年目を迎えた。もちろん私としては、過去八年間、その時々に全力投球してきたつもりである。手抜きした記憶など、まったく無い。しかし、一期生の諸君らと時々話すと、「私たちのころと今とでは、隔世の感がありますね」と言う。私は、毎年、積み上げているのでそのことが良くわからないが、一期生の人たちは、自分の学んだころと比較できるので、゛隔世の感゛などと言った言葉が口を衝いて出てくるのだろう。
゛隔世の感゛と言われるほど、『青年塾』の研修は、充実してきているのだ。何よりも、゛主体的に学ぶ゛姿勢、そして自主性においては、゛隔世の感゛があると、私も思う。
『青年塾』の二大行事と言えば、出発式、そして入塾式。かつては、私が先頭に立ち、必死でお膳立てをしていた。今、私はほとんど゛左団扇゛(ひだりうちわ)である。ほとんど具体的なことについて、手出しも口出しもすることはない。「任せっきり」と言い切っても良いほど、信頼して塾生諸君に任せている。また塾生諸君は、見事に期待に応えて、「そこまでやるか」と言うほどに完璧を期している。下見も、何度繰り返されていることか。中には、深夜に準備会に駆けつける人もいるそうだ。
繰り返して行われる下見やリハーサルには、お金も時間もかかるはずだ。それでも、自らの負担感について、一度も不平不満の声が聞こえてきたことは無い。その事実一つを取ってみても、『青年塾』は、゛志の場゛として成長してきていることがわかる。
そして、塾生の間に、主体性が確立してくると、より高い目標の学びができるようになる。時事用語、歴史用語の研究についても、驚くほどレベルが高い。それは塾生諸君が優秀であるとか、ないとかの問題ではない。やる気が高まると、レベルが高くなる表れである。そして八期生は、とうとう八冊の課題図書に挑戦することにした。その八冊は、司馬遼太郎著「坂の上の雲」の文庫本。近代日本の文学では最高峰と言われるこの作品は、今年開戦百年記念を迎えた日露戦争を題材にしている。
第一期生のころ、八冊の文庫本が課題図書などと言ったら、みんなどれほど驚いたことであろう。八年の積み上げが、八冊の文庫本読破に挑戦するレベルまで上がってきたのだ。これもまた、゛隔世の感゛あり。そして八期生は、来年の一月、初めて愛媛県松山市、すなわち「坂の上の雲」の舞台で修了研修を行う。私も、これには大いに燃えている。先輩諸氏にも、ぜひとも、八冊の課題図書の読破と松山での研修には参加して欲しいと願っている。さらなる゛隔世の感゛を求めて。
