志ネットワーク 青年塾:「志の高い日本」は、「志の高い日本人」によってこそ実現するとの思いに立ち、志ネットワーク活動を展開。 主宰:上甲晃

みかん山復活大作戦

2004年4月22日 上甲晃 |

 妻の叔父が亡くなったために、淡路島に出かけた。葬儀の後、久しぶりに妻の実家に泊まった。夜半、妻の母とその弟が弔いの会合を終えて、帰ってきた。義母の弟は、淡路島の南、太平洋に面した斜面で、長年、ビワとみかんと花の栽培をしてきた。既に年齢は七十を越しているが、農家としては現役である。ただ、肉体的に負担のかかる仕事をへらしつつある。今は、花の栽培がほとんど。みかんやビワは、自家用以外ほとんど作っていない。

 「あのみかん畑はどうしているの?」と、私は質問した。「もう捨てた」との答え。「捨てた?」。あまりにも生々しい答えに、私は聞き返した。その人は、みかんの栽培を捨てたので、今まで丹精こめてきたみかん畑がどんどんと普通の山になりつつあると説明してくれた。

 淡路島のみかんは、日本一うまいと、私は思い込んできた。静岡の三ケ日みかんは、今、日本一おいしいとも言われる。しかし、私は、淡路島のみかんはそれに勝るとも劣らないと思ってきた。そのおいしいみかんが、生産されなくなっていくことに、限りない寂しさと切なさを感じた。

 話の途中で、ふとひらめいた。「そのみかん畑を私たち素人の力で復活できませんかね」と、とんでもない提案をした。「あなたのみかん畑を貸してくれませんか。私が、会員を募集して、あなたの指導を受けながら、私たちの力でみかん畑をよみがえらせるのです。私たちは、家族ぐるみで、淡路島に通い、あなたの指導によってみかん畑を手入れします」。私は、アルコールの力も借りて、勢い込んで迫った。

 農家の人は、私のような軽薄者の提案をすぐには承諾しない。「素人には難しいよ」とか、「手間のかかる作業もあるし」とか、「継続できないことには」などと、私の頭から冷たい水をかける。私はそのたびに、「承知の上」と言いながら、さらに強く迫った。「いい考えだと思いませんか。この作戦に取り組めば、都会の人達が農業の経験もできるし、子供のためにも自然に親しみながら農業の体験ができるいい機会になりますよ」と一歩も引かなかった。

酒の上の話は、翌日、頭を冷やしてからもう一度考え直すことにしている。しかし、この話は、正気に戻っても、さめなかった。早速、これから志ネットワークの会員と青年塾の塾生諸君を対象にして、会員募集をすることにした。淡路島は、橋ができてから、大阪から二時間、神戸からは一時間あまりで行ける。週末に通うのに、それほど難儀しない。自分たちで復活したみかん畑のみかんを食べられる日を、早くも夢見ている。

梅干の話

2004年4月21日 上甲晃 |

 和歌山県南部(みなべ)は、梅の名産地である。薄い皮と部厚い肉は、゛南高梅゛として、その名を全国にとどろかせている。全国の梅干の一割は、南部で収穫している。紀南(紀州南部)まで枠を広げると、全国の四割、和歌山県全体を取ると、全国の梅干の半分を収穫している。紀伊半島の温暖な気候は、おいしい梅干を作るのに適しているのだ。

 昨日、南部川村に出かけた。梅の名産地の和歌山でも、最も中心の地域である。青い実を付けた梅の木が、平地にも、山の斜面にも、山の上にも広がっている。梅の木の幹には、決まったように青い網が巻きつけられている。夏の収穫期になると、この青い網を木の下に広げて、ぽとぽと落ちてくる実を受け止めるのである。

 「ずいぶん立派な家が多いですね」と、私を駅まで迎えてくれた梅の農家である内川さんに声をかけた。「このあたりの梅の農家は、年間に三、四千万円稼ぐところはざらです。日本で一番豊かな農家にランキングされました」との説明がうなずける豪邸がいたるところにある。梅は、今、きわめて゛もうかる生産物゛である。口に入れるとすっぱい梅も、生産するとまことに゛うまみのある生産物゛のようだ。「やはり健康ブームのおかけですか」と聞いてみた。「そのとおりです。中国からはきわめて価格の安い梅が入ってきています。もちろん、これからは大きな脅威になるでしょうが、今のところは、価格よりも健康が重視される商品なので、南部産の人気は衰えていません」と内川さんは、自信ありげだ。

 紀州の梅と聞けば、ずいぶん歴史が古いのではないかと想像した。それこそ、紀州藩のころからのお家芸かと思った。しかし、意外にもその歴史は浅かった。明治時代、内本源蔵という人が、この地には梅の生産が適しているのではないかと考えて植え始めたのがきっかけだとか。もともと、この地域では、温州みかんの生産が盛んであった。それが、時代と共に変化して、今はむしろ梅の生産のほうが主流になってきている。

「みかんは生産過剰になると、捨てなければならない。その点、梅は種以外に捨てるところがない。それだけでも、みかんを作るよりも、梅を作るほうが妙味がある」と、内川さんは教えてくれた。

 もっとも、梅が人気になればなるほど、悩みもある。「儲かりすぎると、わがままになったり、傲慢になる。それが一番困ります。儲かりすぎると、すべてに非協力的になる。やはり、崩れるときは、精神から。よほど自戒しないと、自ら梅のブームを壊してしまう」と、内川さんは心配する。梅の話も面白かったが、精神の崩壊を案じる梅農家がいることがうれしい。

夢多き男の物語

2004年4月20日 上甲晃 |

 岐阜県恵那郡蛭川村で石の仕事をしている岩本哲臣さんは、゛夢多き男゛である。『青年塾』の入塾式が終わった翌日、私は、毎年、塾生諸君を岩本さんに会わせることにしている。今年は、七年目。岩本さんが経営する博石館を訪れて、゛夢多き男゛の新しい夢の話を聞く。「夢無くして、何の人生かな」と思っている私からしたら、岩本さんは、とかく現実世界に埋もれつつある最近の青年たちにとって、゛生きるモデル゛だ。

 夢が多いことは、苦労が多いことと、同義語である。夢を持ち、夢を実現するために七転八倒している岩本さん。夢さえ持たなければ、こんなに苦労しなくてすむはずだろうにと思いつつも、なお夢を捨てきれない男の物語。私はいつも胸躍らせて、岩本さんの話を聞いている。

 岩本さんは、若いころ、絵描きになりたかったと言う。今も、絵心は確かである。また、発明が好きだ。取得とした特許件数は、百を超えている。石の博物館とも言うべき博石館は、岩本さんの設計であり、建てたのも自分である。絵心は設計に生き、発明は建築途中の工夫の結果である。石の魅力をふんだんに引き出している博石館は、私の好きな空間である。その感性の高さに、いつも驚かされる。

 今年の岩本さんの夢は、まず、石の家。石は価格が高いとの常識を打ち破り、二百九十万円、三百九十万円、四百九十万円という破格の価格を実現した。それは、「売らんがための破壊価格」ではない。岩本さんが工夫に工夫を重ね、苦労に苦労を積み上げてきた結果が実現した価格である。「普通に注文すれば、倍以上の価格になる」と、岩本さんは胸を張る。日本の建設業界は、手間賃が高い。その手間賃を極端に圧縮したことが、驚異の価格を生み出したのである。

 石の家は、トラックで現地に運ぶ。そして一日で据え付ける。その建て方に、岩本さんの培ってきた特許技術が存分に生きている。話を聞いているだけでも惚れ惚れするほど、工夫の塊だ。外装は本物の石。内装は、本物の木をふんだんに使っている。今はやりの、高気密高断熱構造だ。まだ売り出していないのに、四十五件もの注文が殺到している。

 そしてもう一つは、石のベッド。これこそ、究極の健康ベッドである。石の下に湯が通せる構造になっていて、ぽかぽか温かい。自然の石は、昔から、薬として利用されていた。石に触れることは、石のエネルギーを吸収することでもある。石には宇宙のエネルギーが凝縮されている。既に、病院でも、効用は立証済み。石の家に住み、石のベッドに寝ると、長生き間違いなし。岩本さんの夢もまた、さらに大きく膨らむ。

『青年塾』第八期生

2004年4月11日 上甲晃 |

 三月の『青年塾』第七期生の出発式は、過去最高とも言える充実したものであった。それは、第七期生のがんばりもあるが、伝統の力が養われてきている証拠だと思った。そして昨日から今日にかけての第八期生の入塾式関連行事もまた、今までの中では最高に充実した満足感を感じるものであった。帰りの新幹線車中でこの日のデイリーメッセージを制作しながら、私は大いなる満足感に浸っていた。肉体的な疲れは別としても、精神的には疲れるどころか、いささかの高揚した気持ちさえある。

 左団扇。まさにそんな心境だ。私の思いと塾生諸君の動きが見事に一致していた。私は何も言っていないし、ほとんど何もしていない。しかし、第七期生を中心とした塾生諸君が、私の思いを汲み取り、みごとな入塾式とその関連の行事を成し遂げてくれた。私も妻も、今までのような余裕のない動きではなく、どことなく余裕を持って時を過ごすことができた。これも、初めての経験である。それほどに、先輩の塾生諸君が、主体的に、そして積極的に働いてくれた。うれしい限り。『青年塾』を始めて良かったと、心の底から思うことができた。

 それにしても、先輩塾生諸君の静かで無駄のない動きには驚かされる。バタバタ、ドタドタしていないのである。これはよほど入念な事前準備が行われていなければ到達できないことである。実行委員長の兼松 巧君は、「現地に何度泊り込んだかわかりません」と言うほどだから、会場となる場所に数え切れない回数、みんなで泊まりこみ、細かいところまでチェックとリハーサルを重ねてきたのだ。さらに、モラロジー瑞浪生涯学習センターの幹部が、「とにかく細かいところまで行き届いた仕事をされました。昨日は、早朝からこのセンター周囲の掃除もされました。たいしたものです」と、手放しで誉めていただいた。

 さらに今回は、実にたくさんの先輩塾生が手伝いのために参加してくれた。延べにして百人は下回らないとのことだから、新入塾生を上回る手伝いの塾生がいたことになる。これまた、前代未聞である。北海道から、東京から、関東から、北陸から、関西から、そして地元から、先輩が次々に現れる。ずいぶんたくさんのお金と時間がかかるはずなのに、それを少しもいとわない。それどころか、文句などまったく聞こえてこない精神レベルの高さには、私も頭が下がる。

 さらに感心したのは、実行委員長・兼松 巧君の挨拶だ。「みなさん、私たちに感動を与えてくれてありがとう」。本来、御礼を言われてしかるべき実行委員長が、逆に深々と頭を下げて御礼を言うのには驚いた。

家庭的青年

2004年4月10日 上甲晃 |

 『青年塾』第八期生の入塾式前日、ほとんどの塾生が岐阜県瑞浪市の郊外にある広池学園の生涯学習センターに集まった。山の起伏を巧みに生かしたこの生涯学習センターは、今を盛りと桜の花が満開である。空は一点の雲もないほど、青い。入塾式にはうってつけの場所であり、季節である。研修センターの宿泊室のベランダに出ると、下手な観光地のホテルも顔負けするほど、山間のすばらしい景色が楽しめる。

 この日、午後二時から、入塾式前の行事が行われた。私が三十分ほど話をした後は、恒例の自己紹介である。何事も、゛延々゛をモットーとする『青年塾』では、自己紹介も゛延々゛と行う。一人一分かけても、二時間近くはかかる。そんなことは問題外。一人一人を少しでも良く知ることが目的であるから、効率的であることはまったく考えない。私は、名簿を片手に、一人一人の自己紹介する内容のポイントを書きとどめていった。

 昨年から、新入塾生の自己紹介には、書初め方式が導入された。すなわち、その年のテーマに則して、自らのもっともふさわしいと思う言葉を書いてきて、みんなに紹介するのだ。今年のテーマは、『感動』。様式は自由である。だから、ノートの切れ端のような紙に書いてくる人もいれば、堂々たる紙に黒々とした太い字で力強く書いてくる人もいる。中には、立体方式でみんなを喜ばせる人もいるし、写真入りも登場する。

 それぞれ個性的な内容の発表ではあるが、いくつかの共通した言葉があった。例えば、「出産」、「命」、「出会い」、「笑顔」、「誕生」などは、複数の人達から出た。

 その発表を聞いていた先輩の塾生の一人が、「ちょっと気になるのは、家庭的で、自分の子供のことなどがほとんどだったこと。もちろん、それが悪いというのではないのですが、少しさびしい気がしますね」と言う。感動の世界が、小市民的空間に留まっているのが物足りないと言うわけだ。そう指摘されると、天下国家や社会的なことで感動したと紹介した人はほとんどいなかったことに気が付いた。最近の青年は、尊敬する人は家族、感動は家族にちなむことというケースが圧倒的だ。

 私は、「だからこそ、『青年塾』は歴史を学び、時事用語を研究し、志の人を探求するのだ。スタートの時にはまことに小市民的であった塾生達が、一年間かけて、天下国家に思いを馳せられるように成長するのが楽しみだ」と答えた。日本の青年は、私の若かったころに比べると、はるかに家庭的である。それは悪いことではない。しかし、その範囲にだけ留まっているのは、日本の未来を思うにつけ、問題であろう。

入塾式に向かう

2004年4月 9日 上甲晃 |

 第八期生の入塾式のために、新幹線に乗った。青い空、桜の花咲き乱れ、最高の時節である。私は、いつもこの時、「真っ白なキャンバスに絵を描いていく興奮」を少しばかり感じる。あまりに先入観を持たないために、入塾願書に目を通すのは、前の夜。「父親から言われて」、「あまり興味がなかったけれども」、「会社から突然命令されて」などと、例年と同じような消極的な言葉が随所に現れる。最初のころは、そんな一言にも、いささか抵抗を感じたものである。しかし、最近はまったく違う。やがてこの人達が、生まれ変わったように生き生きとして、積極的に、主体的に研修に参加するようになっていくようになるのが、一番楽しみなのである。「いやいや」、「しぶしぶ」と聞くと、「そうでしょう。そうでしょう」とにこにこしながらうなづいてしまう。

 研修は、゛人の変化を楽しむ゛のが醍醐味。『青年塾』に行くようになって、「あの人は少し変わったね」と聞くと、本当にうれしいものだ。成長力旺盛な人は、『青年塾』に参加したから変化したかどうか見極めがつかない。それに対し、「いやいや」、「しぶしぶ」の人が変化していくと、『青年塾』の研修のおかげと評価される。また、「いやいや」、「しぶしぶ」の人が、「いきいき」、「はつらつ」とした姿になると、我が事のようにうれしい。

 毎年、「いやいや」、「しぶしぶ」参加の人達は、七割ほどはいる。それは、『青年塾』のことをあまり知らないこともあるが、「人に言われたこと」はどんなに良いことであっても、抵抗感があるものだ。私は、塾生諸君が、受身の姿勢から、能動の姿勢に転換することに力を注いでいる。「やらされてやる」のではなく、「やりたいからやる」姿勢への転換である。人間、自分の意志がやり始めると、苦労が苦労にならない。耐えられるのだ。それどころか、苦労が感動につながっていくのである。

 今年は、結局、九十四人の応募があった。昨年は九十二人で過去最高であった。それをさらに二人上回った。北クラスは八人。東クラスは、十九人。東海クラスは、二十一人。関西クラスは、二十七人。西クラスは、十九人。それにしても、うまい具合に、各クラス二十人程度の枠に収まったものである。やはり、私が名前を覚えられる程度の人数が基本である。その意味からも、今年はさらに充実した研修ができる予感がする。

八年目を迎えて、『青年塾』の塾生は、累計で六百人を超えた。「日本に、あの六百人がいたからこそ、救いであった」と評価されるような精神的レベルの高い集団を目指したい。『青年塾』は、日本一志高い集団でありたい。私の生涯の夢であり、志である。


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