志ネットワーク 青年塾:「志の高い日本」は、「志の高い日本人」によってこそ実現するとの思いに立ち、志ネットワーク活動を展開。 主宰:上甲晃

志の進学塾

2004年7月23日 上甲晃 |

 北海道・千歳市にある村上進学塾の塾長である村上義章さんは、゛熱い心の持ち主゛である。口癖は、「絶好調」。年齢は五十を越えているが、雰囲気は万年青年のそれだ。『青年塾』北クラスの研修の最終日は、千歳の村上進学塾を会場としてお借りした。そして、村上塾長にも話しをしてもらった。「人生、志が基本。子供達も、志を持つと、学力が飛躍的に上がる。どこの学校に入るかが人生の最終目標ではない。人生の目標として何をしようとするのか、それを決めると、勉強にも身が入るのです」。そんな村上塾長の話は、私の思いと、ぴたり一致する。

 塾の中には、様々な張り紙がある。その一言一言は、子供達を励ますためのものだ。一つ一つ確認しながら読んでいくと、すべて「志を立てることの大切さ」をうたっている。

 私が、住宅地の真中にある塾の建物に入ると、村上塾長が、生徒達を一人一人紹介してくれる。日曜日の昼にもかかわらず、受験生諸君は目の色を変えて、学んでいる。「将来は、看護士になりたい」、「お医者さんになりたい」などと、人生の目標をはきはきと答える。私も思わず、「がんばって」と励ましの言葉をかけたくなる。「握手してもらったら」と言う塾長の言葉に促されて、子供達は手を差し出す。私は、熱く握り返した。

 塾の中の教室で、『青年塾』の諸君に、改めて志の話をした。隣との部屋の仕切りの一部は、透明のガラスになっている。私の方から、ガラス越しに隣の部屋の様子が見える。多分、その部屋にも、私の声が響き渡っているのだろうと思った。その時、一人の女の子が、そっと私達のいる部屋に入ってきた。そして、静かに、部屋の一番後ろの椅子に座って、私の話に耳を傾け始めた。

 私は、間違って部屋に入ってきたのではないかと、最初のうちは思った。ところが、後から聞くと、本人が希望して、私の話を聞きに入ってきたそうだ。村上塾長によると、「隣の部屋で勉強していたら、志という言葉がしきりに聞こえてきました。いつも塾長が志のことを言っておられるので、ぜひとも志の話を聞きたかったのです」とのこと。村上進学塾の志教育の徹底ぶりを改めて教えられた気がした。

 聞くところによると、いつもは、そんなに強く自己主張する子ではないらしい。その子が、勇気を奮って、「志の話を聞かせてもらっていいでしょうか」と言い出したのだから、偉い。きっとこの子は、これから伸びていくに違いない。自分の心に火がつくと、私達のもつ生命のエネルギーは爆発する。『青年塾』の諸君も、心に火がつく志を見つけてほしい。

栽培漁業

2004年7月21日 上甲晃 |

 「与えられた仕事を好きにならなければ」。そんな一言に、私は、思わず目を見開いた。「好きな仕事をすることが大事なのではなく、自分が今取り組んでいる仕事を好きになることのほうがもっと大事だ」といつも言っている私としては、同志に出会ったような感激を覚えた。襟裳町役場の農林水産課長である三戸 充さんは、「与えられた仕事を好きになった」モデルのような人である。

 とにかく、三戸さんは、熱心である。とりわけ自分が取り組んできた栽培漁業のことになると、時間を忘れて、口角泡を飛ばす。それこそ止まることを知らない勢いで、説明してくれる。まるで丹精込めて育ててきた我が子のことを語るような熱い心が、伝わり、私達も話しに聞き込まれる。

 襟裳町には、埋立地に栽培漁業のための種苗生産センターを建てた。役場の中枢を担う幹部になった今でも、このセンターが三戸さんの活動の場である。ウニはもとより、ハタハタ、クロソイ、マツカワ、マガレイ,エゾボラなどの養殖を手がけているために、種苗センターを離れられないのだ。「正月や盆休みは、若い連中が帰省してしまいます。だから、その間は、今でも私一人で、魚の面倒を見ています。若いころは、何日も種苗センターに泊まり込んで、仕事をしました。面白かったし、やりがいもあった。第一、上司から命じられたからする仕事ではありませんでした。私のほうから上司に、これをやらせてほしい、あれをやらせてほしいと申し出るのですから、こちらから文句の言いようがありません。そんなことから、この仕事が好きになってきたのです」と、三戸さんは、赤ら顔をさらに赤くして、熱弁を振るう。

 三戸さんは、自分のしてきた仕事に大いに誇りを持っている。北海道庁はもとより、他の自治体で取り組んでいるどの事例よりも、自分が進めてきた仕事に自信を持っている。様々なきめ細かいデーターも、どこよりも精緻で、微に入り細に渡っていると自負する。一見、豪放磊落に見える人が、仕事の上では、実にきめ細かく、着実な進め方をしていることに驚いた。ウニの水槽には、肉眼で見たのでは分からないほど小さな物体が無数に漂っている。その微生物のような物体に餌を与え、温度管理し、やがて漁業者に販売して、海に放つ。襟裳の豊かな海では、ウニ、ハタハタ、マツカワなど、高級な海の幸が毎年豊漁である。山に木を植えると、海にプランクトンを始めとする餌が増え、魚が蘇る。その魚を根こそぎ取るのではなく、育てながら収穫する。それもまた、襟裳の人達が抱く志なのである。条件の悪い地域ほど、志が生まれやすいのだと、教えられた。

襟裳の春

2004年7月20日 上甲晃 |

 私が、『青年塾』北クラスの講座を襟裳岬で行うことを決めたのは、緑化事業について詳しく学びたかったからである。今回の講座に岐阜県から参加してくれた田中義人、美鈴ご夫妻は、「NHKのプロジェクトXで、襟裳岬の緑化事業の取り組みを見て、感動しました。何度も番組のビデオを見直しているうちに、どうしても来たくなりました」と言う。それほど、襟裳岬の緑化に取り組んだ地域の人達の取り組みは、感動的であった。

 ゛襟裳砂漠゛。五十年前、地元では、襟裳岬一帯の荒廃した砂地を、そのように呼んでいた。当時の写真がある。一枚の写真は、目だけを出して、顔全体をすっぽりと布で隠した男が、砂塵の中を行く姿を写している。どこからどう見ても、中近東の砂漠の風景である。

 襟裳岬は、最初から砂漠であったわけではない。元々は、広葉樹が生い茂る緑豊な土地だった。ところが、この地に昆布を求めて、住み着いた人達が、生活のために豊かな森の木を切り始めた。それは、家を建てるためであったり、薪のためであったりした。昆布漁が盛んになればなるほど、木は減り続けた。そして気が付けば、丸裸の土地になっていた。おまけに、日本一風の強い場所である。岬に吹き付ける風は、大地の砂をはるかかなたの海にまで飛ばした。やがて、青い海は赤土のために、赤くにごり始めた。当然、昆布の収穫は減るばかりか、収穫した昆布に砂が付き、どんどんと質の低いものになってしまった。

 気の利いた人、頭のいい人、そしてお金を持っている人達は、襟裳を捨てた。しかし、襟裳から離れたくても離れられない人達もいた。その人たちが、「このままの海を子孫に残すのは忍びない」と、木を植え始めたのである。今から五十年も前のことだ。緑化事業は、容易ではなかった。種を植えても、風で飛ばされてしまう。最初のうちは、ほとんどが失敗であった。そんな苦闘の中から、雑海草と共に種を植えると、肥料にもなり、風にも飛ばされないことを見つけ出した。今、「襟裳式」と呼ばれる緑化方である。

 襟裳に、緑が蘇ってきた。私達は、かつての゛襟裳砂漠゛が眼下に広がる展望台に立った。赤松の林が、広がっている。四十年前の植えた赤松は、苦渋するかのように立っている。最近植える赤松は、十年ぐらいで、四十年の樹齢の松に追い付く。緑が蘇ってきたのだ。そして緑が蘇るとともに、海が蘇り始めた。私達は、この日、およそ百本の柏を植えた。元々広葉樹林であったこの地を、赤松の林から、広葉樹林の林に戻す。これからさらに五十年先に思いを馳せて、みんなで植えた。

昆布

2004年7月19日 上甲晃 |

 北の国の朝は、早い。三時半過ぎには、夜が明け始める。この日、起床時間は、午前四時。四時半には、出かける準備をして玄関前に集まるようにと、担当の塾生から指示があった。窓の外には、牧場の景色が広がる。なだらかな斜面の向こうまで晴れている。年中強い風が吹く襟裳岬にしては、奇跡的とも言えるほど穏やかな天候だ。風力発電の風車が、ほとんど静止している。牧場を鹿が飛び跳ねながら、横切る。この天候なら、昆布採りの作業を手伝う研修ができることは間違いない。

 襟裳町役場の農水産課長である三戸さんが、私達を迎えに来てくれた。「昆布漁には最高の天気です」との言葉に促されて、私達は車に分乗して、海岸に急いだ。三戸さんが、港の堤防の近くで車を止めた。堤防の界隈には、昆布漁に出かける舟が、船外機の音をけたたましく立てながら、待機している。「五時ちょうどにサイレンが鳴ります。それが合図です。サイレンの音と共に舟が一斉に魚場に向かうのです」と、三戸さんが説明してくれる。まるで、競艇場のスタート前のようだ。舟の数は数え切れないほど多い。どの舟も、乗り込んでいる人は一人だけ。「どこで昆布を取るか、場所決めはありません。ただ、スタートの時間を決めて、後は自由競争というわけだ。

 海から良く見える小高い丘陵の上に、白い旗がはためいている。この白い旗は、昆布漁師の元締めである旗本が、毎日の天候を決めながら掲げる。昆布は、天日に一日だけ干す。だから、朝から雨が降っていたり、昼から雨が降るような日は、赤い旗が上がる。赤い旗は、昆布漁をしてはいけない日なのである。゛幸せの黄色いハンカチ゛ならぬ白い旗が、穏やかな一日を教えてくれるようである。

 午前五時ちょうどに、海岸線にサイレンが鳴り渡る。待機していた船がいっせいにスタートする。無数の舟が、白い波を立てて、先を急ぐ。比較的海岸線に近い岩場に舟を止めるのは、港に近い地元の人たち。遠くから遠征してきた舟は、港から離れたスポットに向かう。舟に昆布が一杯になると、舟は水揚げのために帰ってくる。その往復を何度も繰り返す。

 陸では、大勢の人達が、舟の帰ってくるのを待ち受ける。私達は、一軒の漁師さんの家で、昆布を干す仕事を手伝うことになった。長靴に履き替え、軍手をはめ、準備万端整った私達のところに、一艘の船が帰ってきた。舟の中には、収穫したばかりの昆布が、独特の色艶を誇るように何重にも積み込まれている。

 手際良く昆布を水揚げするのは、奥さんの仕事。昆布を降ろすと、舟は再び海に出る。私達は、昆布を積んだ運搬車の後に続く。干し場は、白い小さな石が敷き詰められている。その石の上に、昆布をまっすぐに伸ばしていく。十メートル近くあるものも多い。「あまり強く引くと切れてしまい、昆布の等級が下がります。切れたら、請求書を送りますから」と脅されて、そろりそろりと昆布を引く。昆布には海の香りがする。黒光りした表面が、この地方の昆布の良質さを表している。

 どこの家でも、昆布を干す作業に、家族総出。それどころか、学校の先生や役場の職員も借り出されて、地域総ぐるみの働きだ。すべての家が水揚げされた昆布をいっせいに干す様子を見ていると、私の心の中に、なんとも表現しにくいような喜びが、こみ上げてきた。みんなが揃って真剣に働く姿は、こんにも凛々しく、美しいものかと、感動してしまう。

 昆布が、至る所で、太陽の光線にさらされている。整然と白い石の上に並べられた昆布が光線を反射して、黒光りする。休日のこの日、子供達も働いている。都会に働きに出ている若い人たちも、呼び戻されて、手伝っている。日本の原風景、そんな言葉が、私の頭の中をよぎった。

 次の予定に追われていた私達は、たった一回の水揚げを手伝っただけだ。「邪魔にこそなれ、何の役にも立たなかった」と反省仕切り。それでも、昆布漁師の家族の人たちは、「また、いつでも来てくださいね」と、別れ際に、にこやかに手を振ってくれた。沖から舟が再び帰ってきた。昆布漁は、七月から十月ぐらいまでの間、行われる。

 「漁の期間が終わると、くず昆布を拾い集める人やよそに働きに出る人、農業にいそしむ人など、それぞれに生活の糧を稼ぎます」。そんな話を聞きながら、昆布漁でにぎわう海岸を後にした。

頭取の志

2004年7月18日 上甲晃 |

 「バブル膨張期の金融機関に欠落していたのが、公共性という意識。儲け至上主義とも言うべき収益動機に完全に支配されていたのではないかと思う。とことん営利を追求することが、経営の至上・最大課題であるということから、スケールメリットを狙い、ボリュームを拡大していく。つまるところ、自らが儲ければいいという貧しい考え方が主流を占めてしまった結果、企業の優先課題は必ずしも収益とは限らないという考え方、ある種の公益性を多くの企業から奪ったのではないだろうか」。こんなことを言い切る銀行の頭取がいる。山口県周南市に本拠を構える西京銀行の頭取の大橋光博さんである。私は、日本の銀行には珍しい『志の頭取』であると評価し、最近、親しくお付き合いさせていただいている。

 この日は、大橋さんを、私が出演するラジオ放送に出ていただいた。私とは、学生時代、ほぼ同じ時期に京都で学生生活を送った人である。私の方が一つ年上だが、学生時代は、ほぼ重なる。同じ時代を生きてきた者同士の共鳴共感もあるのだろう。話は打ち解けたものになり、なかなか素晴らしい内容の話が聞けたように自画自賛している。

 大橋さんが最近著した本の題名は、「小さく、ゆっくりでいい」。そもそもタイトルからして、日本の銀行が目指しているものとは逆だ。「業績回復は、結果です。今の銀行に必要なことは、社会性の回復。とりわけわたしたち地方銀行は、地域の経済発展のために役に立つという原点にもどらなければならない」とおっしゃる。私は、惚れ惚れとする。銀行経営に素人の私が日ごろ主張していることと、同じであることがうれしい。

 「女性と若者に、無担保で五百万円融資」。西京銀行は、しあわせ市民バンクを創設した。今まで銀行が一番融資を嫌ってきた女性と若者こそ、新しい地域経済の担い手であるとの思いからである。バングラデッシュのグラミン銀行総裁であるユヌスさんは、貧しい農村の女性に無担保で少額融資するマイクロクレジットを推進している。ユヌスさんの話を初めて聞いた時、これは日本にはいない、志あるバンカーだと感動した。しかし、日本にも、志あるバンカーがいたのだ。

 コミュニティビジネス。地域の小さな起業の芽を育てていくことを目的にすること自体、志がなければできないことだ。既に、五件のコミュニティビジネスがスタートしている。柳井みやげのお菓子を作る人、体験型の農場など、小さいが、今までにない試みだ。また、小さな起業を支援する活動にも力を入れている。来週、日本の進路研究会の講師として招いている。詳しく話が聞けることが楽しみである。

志ネットワーク 全国会議のご案内

2004年7月 2日 上甲晃 |

志ネットワーク 第25回『全国会議』のご案内

 テーマ:"ものづくり、ことづくり、ひとづくり"

 岡山大会以降ご無沙汰いたしております。今年の愛知大会の実行委員会も、岡山の時のように皆さまにご満足をいただけるよう、何度も協議に協議を重ね、ようやく最終案に至りました。昨今名古屋といえば万博と中部空港の2つの巨大プロジェクトが進行中で全国から注目を浴びているようです。先日もある雑誌で「最強の名古屋」という特集が組まれ、好評のようでした。トヨタをはじめとするもの作りの強さの「秘密」はどこにあるのか、徳川以降の精神風土を探ってみて下さい。

 「もの作りは人づくり」という標語が中小の製造工場にも掲げられております。また初日はユニークな「経営」で知られる福祉施設を見学させていただき、その背後にある「人間賛歌」の思想を学んでいただきたいと存じます。村の名前は「ゴジカラ」村。「道草を食えるところ、道草を許せる心のあるところ」がその理念のようです。


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