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華氏九一一
2004年8月29日 上甲晃 | 個別ページ
大統領選挙を間近に控えたブッシュ大統領にとって、この映画はかなり手ごわいはずだ。ブッシュ大統領の四年間を取り上げ、その手腕を糾弾していく映画は、切り込みが鋭い。私には、ことさら、ブッシュ大統領を始めとして、それを支える最高首脳達が、゛あほ面(づら)゛に見えるのが、印象深かった。とてもこんな愚かで、ずるい輩(やから)にアメリカの政治を任せられないと、アメリカの有権者達は考えるかもしれない。
華氏九一一。テーマからして、どんな意味か分からなかった。九一一は、ニューヨークの世界貿易センタービルが崩壊し、ペンタゴンが襲撃された、あのテロの日である。映画のポスターには、「華氏九一一度は、自由が溶け始める温度です」とある。
九一一事件とアメリカの政治を結びつけ、サウジアラビアの石油の利権で深いつながりのあるブッシュ家、イラクを攻撃することにより巨額の利権を手中にする企業とつながりのあるブッシュ家を取り上げる。そして、九一一事件が起きながら、即座に調査委員会をつくらなかったブッシュに、何か特別の背景があるのではないかと迫る。
特に、事件が起きた当日、小学校の授業を見学していたブッシュが、二機目が世界貿易センタービルに激突した瞬間も、立ち上がらずに、椅子に座ったままであったことをリアルに見せてくれる。最初の飛行機が激突した時に立ち上がらないばかりか、二度目の激突を耳打ちされた時もなおブッシュは、小学校の椅子に座ったまま。心を落ち着かせるかのように、子供達と同じ教科書を開く。しかし、上の空。非情なカメラは、それから立ち上がるでもなく、誰かに指示を出すわけでもないブッシュの表情をアップで映し出す。いかにも無能な大統領に見えてくる。
もう一つ印象的であったのは、連邦議会の議員達に、「あなたの子供をイラクに派遣しないのか」と迫るシーンだ。連邦議会の議員のうち、自分の子供をイラクに送っているのは、たった一人、この映画を製作したムーアが議員を次々に追いかけて、「あなたの子供をイラクに派遣しないのか」と迫る。みんな、逃げるか、無視するか、答えても゛ほうほうの体(てい)゛である。ある議員は、「息子にはまだ幼い子供がいるから」と弁解する。映画を見ている人たちは、幼い子供を持つ人達がたくさんイラクに派兵されていることを知っているから、議員の答えに鼻白む。これもまた政治の偽善を白日のもとにさらすようだ。イラクで息子を亡くした母親の嘆きを追うシーンも印象的だった。共和党関係者は見ないらしいこの映画が、大統領選挙に与える影響に注目したい。
『青年塾』諸君への手紙
2004年8月26日 上甲晃 | 個別ページ
塾生諸君の中には、「『青年塾』は、いったい何をするところですかと人に聞かれても、なかなか答えられない」と言う人が多いようです。確かに、一言で『青年塾』の本質を明快に答えるのは難しいかもしれません。私だって、様々に工夫しながら、できるだけわかりやすい説明をしたいと、努力を繰り返しています。しかし、私は、説明が難しくていいと思っています。なぜならば、全国各地に類似の団体や組織が存在しないからです。『青年塾』は、日本唯一、世界唯一、当代唯一、そんな存在です。だから、一言で説明するのに苦労するのは当然です。
最近、私は、「志ネットワーク活動、そしてその一環としての『青年塾』活動は、゛まともな日本人になる運動だ゛」と説明するようにしています。みなさんは、自分がまともな日本人であると思っていることでしょう。それはそれでまことに結構なことであります。しかし、私達の周りを見回してみたらいかがでしょうか。゛地に落ちた日本人゛、それも゛精神的に地に落ちた日本人゛が多すぎるような気がしてなりません。時々。あまりにも情けなくて、涙が出そうになるぐらいに悲しい思いをすることさえあります。
地べたにしゃがみこんだ若者達、股を広げてタバコを吹かす高校生、漫画に読みふける働き盛りの大人、責任ある仕事をしたがらない若者達、儲けのためなら手段を選ばない経営者、髪の毛を染めてくわえタバコ姿で育児する母親、公衆の面前で恥じらいもなく化粧する女性達、所構わず大声でしゃべるおばさん達。ひとつひとつの例を挙げ始めたら、私は気が狂いそうなぐらいに腹が立ち、情けなくなってしまいます。
私が一番嫌いな日本人。それは、「凛々しさを失った男、慎みを失った女」です。古来、まともな日本人は、もっと誇り高い存在であったような気がしてなりません。それも経済的な誇りではなく、精神的な誇りです。
人が人として生きていく上で、精神的な誇りを失ってしまったら、まことに醜い存在に落ちてしまいます。そして、戦後間もなく六十年、日本人は、精神的には完全に堕落したような気がしてなりません。さらに言えば、「精神的には滅びてしまっている」といっても過言ではないぐらいに、ひどい姿になっているようです。もっとも、多くの日本人は、今の姿をそれほど堕落しているとは思っていません。私はそのこと自体が問題であると思います。もしも大多数の日本人が、「これは困ったことだ」と思っているとしたら、既に問題は解決の方向を向いていると言えるかもしれません。
私は、現状を嘆く時間があったら、少しでも、解決の努力をしようと決意して、『青年塾』を始めました。『まともな日本人』を一人でも増やしていくこと、それが私の一番の思いです。
『まともな日本人』とは、他人を思いやる心を持った人のことを言います。精神的誇りとは、他人のために惜しげもなく力を差し出すことのできる心であります。「自分の言動、自分の立ち居振舞いによって、他人に迷惑をかけないでおこう」と考え始めただけでも、大変身です。
『青年塾』は、そうした心を養うために、平凡な日常生活をしっかりと励むことを最大の研修方法としています。普段の生活の中で、「他人を思いやり、他人に迷惑をかけない行動」を心がけるだけで、人は生まれ変わることができると確信します。
普段の生活をおろそかにして、特別な修行をしても、絶対に生まれ変わることができません。「生まれ変わった」と錯覚するだけです。莫大なお金をつぎ込んで、自己変革セミナーなどに参加する人もいます。それも一概に否定はしません。しかし、人間は、そんなお金を使わなくても、立派に生まれ変わることができるのです。「目覚めるのに、そんなに多額のお金など要らない」と私は思っています。゛凡事徹底゛という言葉は、「生活を励む」ことと同じ意味です。普段の生活は、平凡の繰り返しです。平凡な日常生活は、私達の人格を磨く、最大の道場であります。
それを少し気の利いた言い方をすると、《万事研修》と言います。その気になれば、日常生活のすべてが勉強になるとの考え方であり、『青年塾』の教育の真髄であります。
箸の上げ下ろし、ゴミの捨て方、大根の切り方、履物の揃え方、歩き方、しゃべり方、すべて修行なのです。自分の立ち居振舞いを通じて、人に迷惑をかけない、人のお役に立つ、そんな心がけを繰り返していけば、必ず、『まともな日本人』に生まれ変わることでありましょう。
そして、『青年塾』から、六百人以上の『まともな日本人』が送り出せれば、日本の国の未来は明るくなると確信します。
諸君、『まともな日本人』を目指そうではありませんか。
目の力
2004年8月25日 上甲晃 | 個別ページ
「若い人の目を見たら、その国、その組織、その会社の未来がわかります。若い人達の目に力があり、生き生き、らんらん、ぎらぎらしているとしたら、その国や組織、会社には未来があります。逆に、若い人達の目に力がなく、何となくとろんとしているようでは、その国の未来、その組織や会社の未来は危ういように思います。未来に希望と夢があり、これから努力すれば、それが実現できる状況にあると、自然に目が輝き、力強くなってきます。一方、未来に対して夢も希望もなく、今が良ければいい、自分さえ良ければいいと考えるとしたら、目の輝きや力は失われてしまいます」。私は、講演の中で、持論を展開した。福岡県北九州市に本社のある株式会社さんすいの経営計画会議でのことである。
「若い人の目に力を」と強調する私のすぐ前に一人の若い女性がいた。会場の最前列、しかも一番中央、話をしている私とすぐ向かい合わせの席である。若い女性だが、目に抜群の力がある。並み居る聴衆の中でも、この人の目はひときわ輝いている。私の話にもすばらしい反応をしてくれる。問題提起の話をすると、首を少し傾け、さらに詳しく説明すると、納得して肯(うなず)く。これほど話し甲斐のある人も珍しい。
日本にもこれだけの目をした若い女性がいるのだと、私はうれしくなった。目が輝き、しかも力強い。「日本も捨てたものではない」と思いつつ、しばしば彼女の表情を伺うように、意識して話をした。こんなにも生き生きとして、輝くような雰囲気の女性に恵まれているのは、さんすいの社長である中谷 豊さんの経営のすばらしさであろうと想像したりもした。
ところが、懇親会になって大いに驚いた。「彼女は、ハローワークから紹介された中国の人です」と、中谷さんが言う。私と同じ席に着いている男性達は、一斉に彼女のほうを見る。そしてみんな揃いも揃って、彼女の雰囲気に引き付けられた。
「彼女は、まだ二十三歳か四歳です。とにかく笑顔がすばらしい。また、誰が何を言っても、゛ありがとうございます゛と頭を下げます。既に結婚していて子供もいるのですが、毎日保育所に迎えに行き、それからきちんと食事の準備をしています。本当に気持ちのいい人です。彼女のおかげで、職場の雰囲気も良い方向に変わってきました」と、中谷さんも絶賛する。事実、絶賛に値するだけの魅力を備えた人だ。
講演の中で、私は、「中国の若い人たちの多くが目に輝きと力があるのに対し、日本の若者にはそれが弱い」と言った。あまりにも図星に、我ながら驚いた。「青年の目に輝きと力を」。『青年塾』の合言葉にしたい。
ホームステイ
2004年8月24日 上甲晃 | 個別ページ
「みなさん、本当にありがとうございました」。お世話になった塾生の代表が、お礼の挨拶に立った。百人を越える塾生からは、熱い拍手が起きた。鳴り止まない。拍手が、静かな過疎の集落全体に響いていくようだ。『青年塾』サマーセミナーの二日目は、塾生全員が広島市安佐北区志路という名の集落の十八軒に、゛一宿一飯゛のお世話になった。それぞれの家のご主人、あるいはご夫婦が、一列に並んで、塾生のお礼の言葉を受けていただいたのである。
ホームステイを受け入れていただいた幹事役の竹下さんが、突然、涙ぐんだ。年輪を刻んだ顔が見る見る崩れ、目頭が赤くなる。その様子に、塾生もまた感極まる。私は、竹下さんに歩み寄り、強く手を握った。「ありがとうございます」。私も、声が詰まった。竹下さんの隣にいる人達の手も握り締めた。そして、ホームステイを受け入れていただいたすべての家の人達と熱い握手を交わした。七十代、八十代の人達ばかりだ。私が手を差し伸べると、はにかむ。とりわけおばあさん達は、いかにも恥ずかしそうだ。それでも、熱く手を握り返してくれる。ホームステイをさせてもらって、何かが通じ合ったのだ。
「戦後、間もなく六十年。今回の行事は、この集落としては。最大の出来事でした」と地元の人は言う。のったりと時間の流れていく平和な集落に、私達『青年塾』の塾生がおよそ百二十人も入ってきて、泊り込んでいくのだから、集落としては、大事件、大行事だったのだ。
それにしても、十八軒の家族が、初対面の若い人達を、よくぞ同じ屋根の下に泊めていただいものである。今回の計画を影で支えていただいた木原伸雄さんの人柄と信用のおかげだ。各家庭に、六人平均、一番多いところは九人もの塾生や家族を預かっていただいた。それだけではない。塾生諸君に対して、自らの戦争体験や田舎の暮らし振りなどを懇切丁寧に話していただいた。そのことが、若い塾生諸君には、かけがえのない機会であったようだ。「初めて戦争のころの話を聞いた」、「うなぎの取り方を教えてもらった」、「若いころの集落の様子を話してもらった」などと、口々に一夜の経験を新鮮な驚きをもって語り合っていた。
今回のホームステイは、いかにも『青年塾』らしい研修である。一歩踏み込んで、現実の中に身を置く。そこから見えるものは、通り一遍の研修では得られない感動と発見がある。おまけに、たった一晩のホームステイにもかかわらず、別れる時には涙ぐむ人がいるほど、心通じ合うものがあったのだ。身をもって経験する学びの深さを、改めて実感した。
お遍路の計画
2004年8月21日 上甲晃 | 個別ページ
「デイリーメッセージを読んでいたら、今、広島におられるはず。もし良ければ、明日の朝お目にかかりたいのですが」と、横浜市長の中田 宏氏から、突然電話が入った。中田氏は、福岡へ行く途中とのこと。私は、『青年塾』のサマーセミナーのために広島市内のホテルに滞在していた。「明朝は、七時前にはホテルを出発する予定になっている」と答えた私に、「構いません。明日の朝、滞在中のホテルに出向きます」と中田氏。
約束の朝六時半前、中田氏は現れた。『青年塾』の塾生諸君も、突然現れた横浜市長に驚きの様子。私達夫婦と中田氏とで、食事を始めた。中田氏は、夏休み中。あごにひげをたくわえ、リラックスした雰囲気だ。
「今年の夏、十歳になったばかりの娘と一緒に四国のお遍路に行きました。一番から十六番まで。三泊四日でしたが、父親と娘のお遍路は貴重な体験でした」と、中田氏は、目を輝かせながら話してくれた。中田氏は、一年前から、長女が十歳になったら、十年かけて四国八十八カ所の巡礼をしようと心に期してきた。休日はおろか、眠る時間さえままならない激職に追われる身。せめて夏休みのようなまとまった時間の取れるときに、娘に父親として向かい合う機会をつくりたいと思っていた。
「一年前から、娘には計画を話して、大変だぞと言い続けてきました。だから、娘はある程度の覚悟をしていたと思います。しかし、実際に歩いてみると、想像を越えていました。三日目などは、一日歩いて、誰にも会わない。会うのは、蛇であったり、蜂やトカゲ。私は、いつも娘の左前を歩いて、娘を車やマムシから守りました」と中田氏。そこで妻がすかさず、「昔から家族を危険から守るのがお父さんの役回りなのよね」と、私をけん制するかのように、合いの手を入れる。
「十五番まで来たら、いかにも足が痛そうでした。もう止めるかと聞いたら、突然泣き始めました。それでも、行くというので、私は手をつなぎながら歩き始めました。途中、農作業をしている女性に挨拶をしたら、しばらくしてその女性が追いかけてきて、冷たいコーヒー牛乳を接待してくれました。その時、女性は娘に向かって、あんた偉いね、きっといいことがあるよと言って別れていきました。やがて十六番に着いた時、思いもかけず、りんごジュースが振舞われました。娘は喜んで、さっきのおばさんがいいことといったのはこのことと聞きました」。私達の隣にいた志ネットワークの会員である高木真地子さんが、涙を流した。「いいこととはね。このことではないの。これから生きていく人生のなかで、きっといいことがあるという意味だよ」と、中田氏は、娘さんに教えた。いい話だ。
ゴミの分別
2004年8月 7日 上甲晃 | 個別ページ
今年の『青年塾』クラス別研修も、北クラス、東クラスは、既に二回目の研修を終えた。二つのクラスを終えて、「そこまでやるか」を合言葉にしている『青年塾』にしてはお粗末だと思ったことがある。それは、自分達の出したゴミの処理。大いに反省し、これから始まる各クラス研修については、「そこまでやるか」という徹底したゴミ処理に挑戦したい。
北クラスの研修の最終日。宿舎の掃除については、いつものように、「そこまでやるか」の徹底ぶりだった。その様子を見届けて、私は、宿舎の外に出た。何人かの塾生諸君が、研修期間中に出たゴミをまとめている。しかし、よくよく見ると、すべてのゴミが袋に無造作に突っ込まれている。「これは仕分けしているの?」と私は聞いた。「宿の人が、燃えるゴミと燃えないゴミに分別すればいいと聞きましたので」と言う。
私は、「ちょっと待て」と制した。そしてゴミの中身を調べてみた。ゴミ袋の中を開けてみた。一言で言えば、「ぐちゃぐちゃ」、「むちゃくちゃ」である。生ゴミもあれば、タバコの吸殻もある。弁当の箱もあれば、ゴムバンドもある。空き缶も混じっておれば、野菜の切れ端もある。私は、「すべてやり直し。きちんと分別しよう」と声をかけて、ゴミ袋の中に素手を突っ込んだ。塾生諸君は、しばらく呆然としている。しかし塾長が作業を始めたから、何時までも茫然自失というわけにはいかない。みんなで、ゴミ袋に手を入れて、生ゴミは生ゴミ、弁当のケースはケースといった具合にすべてを分別した。「分ければ資源、捨てればゴミ」とどこかで聞いたことのあるスローガンを唱えながらの作業である。ゴミ袋は、たちまち小さくなった。
同じことが、東クラスでも起きた。ここでは、私は目撃者ではない。台所で、調理実習を指導していた妻の証言。「台所を片付けていたら、燃えるゴミ、燃えないゴミの二種類の分別でいいと言って、何もかも突っ込むの。良い加減にしなさいと叱ったら、この地域はこれでいいのですと言うから、あなた方は行政の基準に従うのですか、それとも自分の考え方に従うのですかと詰問したわ」と言う。妻の言い分は、正しい。たとえ行政が、ゴミを二つにしか分別しないとしても、「私には私の納得するやり方があります」と貫いて、きちんとした分別をすること、それが志ではないだろうか。
とりわけ、「食は命」などと天下に標榜している館ヶ森アーク牧場で研修させてもらっているのだ。ゴミの捨て方まで、「そこまでやるか」といった姿勢を貫かないことには、会場を提供していただいている館ヶ森アーク牧場さんに対して申し訳ない。これからは、ゴミの捨て方一つ、「そこまでやるか」という徹底した分類をしたい。
