志ネットワーク 青年塾:「志の高い日本」は、「志の高い日本人」によってこそ実現するとの思いに立ち、志ネットワーク活動を展開。 主宰:上甲晃

江戸時代の古地図

2004年12月26日 上甲晃 |

 江戸時代の古地図を片手に歩ける町は、日本中探しても、そんなに多くないはずだ。戦災に遭った町も多い。バブルに浮かれて、再開発した町も少なくない。一部分に昔の建物が残っていたりするが、町全体が昔のままとなると、極めてまれである。山口県萩市は、そのまれな町の一つである。萩の町は、江戸時代の古地図が未だに使える。

 「萩の町は、みんなで努力して、古い町並みを残したのではないのです。萩の町は、昔のまま取り残されてしまったのです」と言うのは、幕末から維新に掛けての歴史研究家である一坂太郎さん。「毛利藩の城下町であった萩が、そのまま県庁の所在地になっていたら、萩の町の様相は一本していたことでしょう。他県の県庁所在地は、ほとんどが昔の藩主の館やお城があった所です。萩のように、お城がありながら、県庁が他の場所に移ったケースはまれです。それほど萩は、不便で、三方を山に囲まれ、川の氾濫ばかりが起きる逆境の土地だった証拠でしょう」と、一坂さんは説明を続ける。『青年塾』萩・下関講座での講話での話である。

 吉田松陰の生誕地は、萩の町全体を見渡すことができる高台にある。そこから見る萩の町は、高い建物など、数えるほどしかない。ホテルかマンションぐらいだ。それも、せいぜい十階程度の高さまで、上に伸びると言うよりは、静かに横に伸びている町と言った印象である。

 明治維新に成功して、長州藩はそのまま山口県となった。「戊辰戦争に勝ち、明治政府の中枢を担ったのは、ほとんどが長州人。そのために、自分達の藩をそのまま県にしたとの説もあります。そう言われてみると、鹿児島県は薩摩藩そのまま、高知県は土佐藩そのまま。一方、戊辰戦争に負けた藩は、まるで解体されたようにばらばらにされてしましまいました。長州藩が山口県になると同時に、県庁の所在地は今の山口市に移りました。殿様は、長府に立派な邸宅を建てて、そそくさと萩を後にしました。要するに、萩は見捨てられた格好になってしまいました」。一坂さんの説明は、明快であり、興味深い。

 関が原の戦いに敗れて、百二十万石の大大名であった長州藩は、お家取り潰しの運命にあった。徳川家康を何とかなだめてくれる人がいて、長州藩は生き延びた。しかし、山陽道沿いにも、あるいはそれに近い所にも城を造ることは許されなかった。泣く泣く封じ込められたのが、現在の萩。もともと湿地帯で人の住む所ではなかった。だから、新政府になって、早々と萩を見捨てたというわけだ。お陰で、萩は古い町並みを残せたのだ。来年は、江戸時代の古地図片手に萩を歩くことにしたい。

堂々たる日本人

2004年12月15日 上甲晃 |

 萩市長の野村興児さんは、かつて大蔵省の役人だった。地元の人達の熱いラブコールに応えて故郷に帰って、市長に就任した。その野村さんは、故郷に帰って、面食らったことがある。何気なく、「吉田松陰は」と話していたら、市民から、「松陰先生を呼び捨てにするのはけしからん」と注意された。萩市民は、それほど吉田松陰のことを尊敬してやまない。

 野村市長は、吉田松陰が主宰した松下村塾の偉大さは、明治維新を起こした高杉晋作や久坂玄瑞、あるいは明治新政府において活躍した伊藤博文や山形有朋、田中義一などと言った総理大臣を生み出したことに留まらないと言う。゛長州ファイブ゛と呼ばれるような、余り有名ではないが、日本の歴史において確実な足跡を残した人たちを多数輩出していることにも注目すべきだというわけである。

 明治になって、松下村塾で学んでいた若者達が、多数、ヨーロッパに出かけた。近代日本のあり方の手本となるものを学び取るのが目的である。中でも、゛長州ファイブ゛と呼ばれる五人は、ロンドン大学に留学して、イギリスの近代化した様子を様々な角度から学んだ。そして、後に、゛日本の鉄道の父゛と呼ばれる人、聾唖教育の父と呼ばれる人、東京工業大学の全身となる学校を創設した人、日本で最初の本格的なトンネルと言われる逢坂山のトンネルを掘った人、造幣局の原形を作った人などが、続々と生まれているのだ。

 野村市長が強調するのは、それらの人達の姿勢だ。「彼らは、まともに英語などしゃべれない。だから、議論中心の授業の中では、きっとずいぶん苦労したはずです。背丈にしても、当時は、今と違って、イギリス人にかなり見劣りしたはずです。ところが、彼らはとにかく堂々としていたのです。当時、清国からは大代表団がイギリスに派遣されていました。それに対して、日本からの派遣団は、ゴマ粒ぐらいの小さなものでした。しかし、その堂々とした姿に、イギリス人は驚いたのです」。野村市長は、すばらしい話を聞かせてくれた。堂々とした日本人。最近は、つとに聞かれることのなくなった言葉だ。野村市長は続ける。「人間はどのような時に堂々とするのか?それは志と意欲がある時です」。

 私にとって、その一言を聞いただけで、今回の萩における講座は、大成果だ。「志ネットワークとは、゛堂々たる日本人゛になる運動である。そして『青年塾』は、゛堂々たる日本人゛を育てる運動である」。そんな風に、勝手に決め込んだ。言葉はしゃべれない、それでも、堂々としていると一目も二目も置かれる日本人をお互い目指したいものだ。

『青年塾』第9期生の応募始まる

2004年12月 3日 上甲晃 |

来年2月末日が締め切り応募要綱が完成しました

来年の四月に入塾する『青年塾』第9期生の募集を開始しました。募集要項、願書が完成しております。入塾ご希望の方は、下記の事務局宛てご請求ください。応募の締め切りは、来年の二月末日です。但し、成功試験は行いませんが、「先着順」になっています。締め切りのぎりぎりに申し込まれますと、定員を大幅に越えた場合、教育的配慮から入塾をお断りしなければならない場合もあります。入塾を決めておられる方は、できるだけ早い時期に申し込まれることをお勧めします。
募集要項と願書の請求先
 〒590-0116 大阪府堺市若松台3-3-17
            志ネットワーク『青年塾』募集係
※ A4の書類が入る封筒に、募集要項と願書の送り先を宛名欄に明記していただきか、500円切手を貼らずに、同封してください。
なお、『青年塾』の研修の様子を知りたい人は、現在実施している第8期生の研修を部分的に見学したり、あるいは参加することができます。その日程は、ホームページにご案内しているとおりです。


                      『青年塾』募集係


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