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みんな、よくやる
2005年3月12日 上甲晃 | 個別ページ
三泊四日の『青年塾』修了発表会、そして出発式に臨む塾生諸君の姿勢には、こちらが本当に感心させられる。寸劇、ディべート、一年間の研修のまとめ、修了発表など、実にたくさんの課題を見事にこなして、準備してきているのだ。仕事もあり、家庭もあり、さらに塾生同士の住んでいる場所も遠く離れている。それでもなお、「そこまでやるか」と感心するほど、十分な準備をしてきているのだ。
十分な準備は、会合の雰囲気を大いに盛り上げてくれる。しかも、各クラス間の競争意識も手伝い、趣向はさらにエスカレートする。どの一つをとっても、本当に面白いし、充実している。私からすると、見飽きないし、聞き飽きない。長丁場の会合で、形式だけの、中身のない発表を聞かされる苦痛に比べたら、雲泥の差である。
初期のころの塾生諸君と比べると、最近の塾生諸君は、比べものにならないほど、『青年塾』活動のすべてについて、熱心に取り組んでいる。
それは、塾生諸君の問題ではなく。私自身の問題である。仕事を持ち、休みの日がないほど忙しく働いている塾生諸君に、余りにも過重な課題は気の毒だと考えてきた、その私の考え方の中に原因があったのだ。余り無理をさせられないと思うから、「この程度でも止むを得ない」と妥協する。その妥協が、研修の取り組みを緩いものにしてきたのである。
年を重ねるに従い、塾生諸君がまことに熱心に取り組むことを知り、私は、次々に困難な課題を提供し続けてきた。塾生諸君は、それに対して悲鳴をあげるどころか、益々食いついてくる。松下政経塾の卒業生で、『青年塾』の研修指導をしてくれている金子一也氏が、「松下政経塾の塾生以上ではないでしょうか」と感心するぐらいに、レベルが上がってきたのである。それは頭の良し悪しではない。研修に取り組む熱心さが、年を追うごとに、増してきたのである。
熱心に取り組むから、中身が充実してくる。中身が充実してくると、益々面白くなってくる。『青年塾』の研修が盛り上がるのは当然だろう。うれしい限りであり、゛塾長冥利゛に尽きる。今年もまた、出発式を迎えるに当たり、「今年が最高」と思っている。そんなことを言うと、過去の塾生諸君から、「それでは今までは良くなかったのか」と批判されそうである。しかし、それは違う。このところ毎年、「今年の『青年塾』は過去最高」と思えるのだ。それは、私として、満足できる研修ができたことを意味する。まだまだ、塾生諸君は、やってくれそうな気がするので、さらに過重な課題を与えていく所存である。来年もまた、「今年が最高」と思えるようにしたい。
志の人
2005年3月11日 上甲晃 | 個別ページ
第八期生の修了発表会である。会場は、いつもの通り、神奈川県・箱根町の芦ノ湖キャンプ村のホール。テーマは例年のように、「志の人」。自らの周りで出会った「志の人」を取り上げて、四百字詰め原稿用紙で十枚の原稿を書くことが、『青年塾』一年間の研修を修了する時の条件である。デジタル化の時代、最近の若い人は、まとまった文章をほとんど書くことはないと聞く。だからこそ、『青年塾』では、敢えてまとまった分量の文章を書いてもらうことも、一つの大事な研修にしている。
最近は、「志の人」の文章を書く時に、一つの条件を付けている。「両親や会社の上司は駄目」。それは、上司や両親を尊敬するなという意味ではない。手を伸ばす範囲の人を取り上げることは、安易なのだ。「ちょっと頑張って手を伸ばさなければ届かない人」を取り上げるところに意味があると考えているからだ。日常性の枠を越えなければ、成長がない。
八十人を超える塾生諸君の発表をすべて、背筋を伸ばし、一言一句逃さないように、しっかりと聞かせてもらった。それは、課題を出した私の責任であり、努力して文章を書いてくれた塾生への礼儀である。
それにしても、なかなか興味ある内容の発表も多かった。名もなく、平凡な人生を送っているようにしか見えない人達にも、ちゃんと志があるのだ。内村鑑三氏の言う、「平凡でも、高尚な生き方」である。名言も、多かった。思わずメモしたりもした。
「精神は、頭の中にあるのではなく、身体のあらゆる細胞に宿る」。これなどは、かなりの名台詞だ。゛精神゛を『志』と置き換えると、「志は、頭の中にあるのではなく、身体のすべての細胞に宿る」となる。頭で考え、口先で唱える『志』ではない。立ち居振舞い、すべての言動、これらすべてが、『志』と言えるようでなければ、本物ではないといった意味である。
「人生において大事なことは、幸せになること。そして幸せになれる考え方をすること」。これもなかなかいい。人生の究極の目的は、幸せになることとすれば、すべてはそこに行き着かなければならない。物事で迷った時には、「それで幸せになれるのか」と考えればいいわけだ。「自分を必要とする人がいれば、苦しみに耐えられる」。これも、含蓄のある言葉だ。
生き残りの特攻隊員。「生き残ったことが恥ずかしいと、ずっと思ってきた。しかし、特攻隊で散っていった仲間のことを伝えるために生かされていることがわかった」と言うその人は、遺族探しに人生をかけてきた。まだまだある。平凡で高尚な生き方。それこそが、『青年塾』のめざすべき志の第一歩である。私もまた、塾生諸君から学ぶところが多かった。

