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そこまでやるか
2005年6月26日 上甲晃 | 個別ページ
いささか我田引水とは思うが、『青年塾』の研修がとみに盛り上がってきていると、何よりも、私が出す宿題に対する取り組みが、年を追うごとに、充実してきているのだ。第一回クラス別研修には、毎年、時事用語の研究に取り組んでもらう。今年は、竹島問題、京都議定書、介護保険見直し、合併特需の四課題を出した。いずれも、きわめて大事な時事テーマではあるが、さて具体的な内容となると、なかなか説明しきれない。塾生諸君は、チームを組んで、共同研究してくれた。なかでも、最近の傾向として、インターネットから情報を検索する程度の調べ方ではなく、自分達でテーマに関係した現場を訪問して、独自の調査をし始めたことである。今まであまりなかった傾向である。仕事や家庭のことで忙しいはずの人達が、「そこまでやるか」といった調べ方をしてくれる。
今回の西クラスの圧巻は、日韓の間で深刻な摩擦を生んでいる領土問題「竹島」の発表であった。発表する人達が、自ら「竹島」をデザインしたティーシャツを作ったのは、愛嬌としても、竹島に少しでも近づこうと、隠岐島まで出かけたことだ。島根県からおよそ七十キロ、問題の「竹島」までは百五十キロの距離にある隠岐は、確かに竹島と島根県を結ぶルートの上にある。
「隠岐の島まで行けば、竹島が見えるのではないかと背伸びしました」と言うのは、冗談としても、気持ちはわかる。「せめて島影が見えるところまで近づけないか」と、隠岐の漁師さんたちに訪ね歩いたが、「頭がおかしいのではないか」と相手にしてもらえなかった。当然だろう。
私が感心したのは、隠岐の古老達に、「竹島について教えてください」とインタビューして歩いたことだ。竹島の古老達は、かつて、竹島付近が恵まれた漁場であり、先祖の人達が、いかにその恩恵に浴してきたかを熱く語る。中には、竹島の地図を書いて、この岩場ではあわびやサザエが取れたなどと、克明に書いてくれた人もいた。現地に出かけなければ絶対につかむことのできない貴重な発表だった。
往復十五時間以上掛けて出かけたのだから、並大抵のことではない。お金も時間もかかったことだろう。それだけに、はるばる出かけた塾生諸君には、強烈な印象があったようだ。「今まで、島根県に住んでいながら、竹島について何も知らなかったことが恥ずかしいと言い、これから本気で勉強したいと言う。早速来年の出発式の後、「隠岐特別講座」を開催するのだと張り切っている。私もぜひとも出かけたいと思った。熱心な準備が、本番の講座を盛り上げてくれた。
総動員
2005年6月25日 上甲晃 | 個別ページ
「地域を良くするのは、人間の力だけに限りません。犬も猫も、木も花も、すべてを動員する。それが私の考えです」と言うのは、山口県柳井市の市長である河内山哲郎氏。松下政経塾の第二期生でもあり、三十四歳で市長就任当時は、「全国最年少市長」として評判にもなった人である。今、四期目。最近、隣町と合併して誕生した新市の市長としては、初代である。『青年塾』西クラスの第一回研修で、今年も話を聞いた。河内山市長の発案で、地域の活性化のために活躍している動物が、柳井市にはいる。それは牛だ。今、二十頭以上の肉牛が、市内で朝早くから夜遅くまで、わき目も振らずに働いている。その働きぶりは、市役所の職員以上だといった冗談まで聞こえてくるほどだ。
公務員ならぬ、゛公務牛゛の役目は、市内の空き地にある雑草を食べつくすこと。空き地に生えているセイタカアワダチ草をはじめてする雑草は、地域の雰囲気を殺伐としたものにする。雑草が生え放題の空き地に牛を派遣して、ひたすら食べてもらうのである。牛は、空き地から逃げ出さないように、微弱電流の通っている線を張り巡らせることにより、防いでいる。当然のことながら、牛は文句一つ言わない。しかも、牛が草を食べている風景は、一つの絵になる。地域の景観を良くする上においても、なかなかすばらしい役割を果たしている。
地域の人達が、自分の所有する土地の雑草を借りたいと思えば、農業協同組合を通じて、公務牛を貸してもらえる。この牛達に、気の聞いた名前がつけられた。『リンターカウ』。レンタカーならぬ、『レンタカウ』である。ネーミングの良さもあって、その存在は全国的に有名になり始めている。鳥取県の片山知事は、早速、その知恵を拝借した。「日本全体のためになるならば、どうぞまねをしてください」と、河内山市長は、鷹揚に構える。各地からの視察申し込みもひっきりなしだとか。
「ただ、視察に来てもらっても、牛が草を食べているだけですから、別段珍しいものではありません。わざわざ柳井まで来られなくても、あなたの地域でもいくらでも見ることのできる光景ですよと言うのですが、どういうわけか、わざわざ足を運んで退去して視察に来られます」と、河内山市長は苦笑する。
河内山市長のアイデアは、財政難の折、なるほどと納得させられ、へえーと感心させられるものが多い。「金がなければ、頭を使え」というわけだ。「今まで、゛金の切れ目が縁の切れ目゛のような仕事の仕方をしてきた役所としては、新しい方向だと思います」。河内山市長は胸を張る。
『青年塾』講座のご案内
2005年6月10日 上甲晃 | 個別ページ
『青年塾』講座のご案内
函館の隣町・大野町(北海道)
「木を植える運動」に学ぶ
地元の農家との交流も
新幹線の「新函館駅」ができる大野町は、今、木を植えることに力を入れている。国営農場として開発されるはずの広大な土地が、牧草地から豊かな森へと戻りつつある。大野町の町長である吉田幸二さんが、子孫のための地域づくりの一環として取り組んでいる。
開催日 平成十七年七月八日(金)から十日(日)までの二泊三日
開催場所 亀田郡大野町
集合 平成十七年七月八日 午後一時 函館駅前
解散 平成十七年七月十日 午後二時
日本人の心
2005年6月 5日 上甲晃 | 個別ページ
伊勢の神宮に来るたびに、゛日本人の心゛を読み解いていくような喜びを感じる。日本人ぐらい、四季の変化や草花の営みにまで微妙な変化を感じ取ることのできる民族は、他にないだろう。「神社で拍手を打つ時には、右手と左手を合わせてから、右手を少しだけ下げます。それから拍手を打つと、良い音が鳴ります」と説明してくれたのは、伊勢にある修養団の職員である寺岡 賢氏。私の主宰する『青年塾』の第五期生でもある。神道や伊勢の神宮のことに関しては、実に博識である。若いながらも、次から次へとまるで知識の箱からあふれ出るような勢いで、話してくれる。その中の、一つの話題だ。
確かに柏手を打つ時、右手を少しばかりずらすと、パンパンと良い響きがする。しかし、良い響きを出すために手をずらすのではない。そこにはちゃんとした意味があるのだ。「日本人にとって左手は清浄であり、霊を表します。それに対して、右手は、肉体を現します。左手と右手が合わさることは、霊と身体が一つになることです。それによって一つの音が出る。その際、霊を少し高いところに置き、肉体は少し下げる。すると、良い響きがするのです」と寺岡君は説明してくれる。私は、妙に納得する。霊というか、精神的なものに重きを置く日本人の心を表している。
かつて伊勢の神宮の神官を四十年勤めた矢野さんは、今、地元学を学ぶ五十鈴塾の塾長である。今回、初めて私達の講座で話していただいた。この人は、また、伊勢のことについては、゛生き字引゛である。サメ、亀、枕、あわびなどについて、それぞれの文明史の観点から研究成果を専門書にまとめている。「祝儀袋につける゛のし゛は、あわびを伸ばしたもの。それはちょうど、゛のし゛と字を続けたような形をしている」などと説明されると、若い人達も、思わず驚きの声を上げる。「物事の意味がわかると、実に面白いですね」と、ある塾生が言う。
まさにその通り。私たちの身の回りに根付く生活習慣や儀式、祭りごとなどにはすべて深い意味があるのだ。そしてそれは、古来、私達の先祖達の祈りであり、思いであり、願いであったのだ。私は、物事の意味などわからないままに、形だけを追っているのが恥ずかしいと思った。
「枕は、まくら。くらは、蔵です。古代の人達は、夢に深い意味を持たせていました。だから、枕(まくら)は、夢の蔵。とても大切なものであったのです」とも聞いた。だから枕は踏んだり、投げたり、粗末にしてはいけないと教えられてきたのだ。知らないことが多い。また、知ることによって、普段の行動や生活が変わっていくような気がした。
"清らかな心"宿る
2005年6月 4日 上甲晃 | 個別ページ
足元も見えない暗闇に立った。目の前を五十鈴川が流れている。小雨が、衣服を脱いだ身体を濡らす。それほど寒くない。かつて大雨の時、水に入る前から寒さに震えたことがある。その時に比べたら、比較にならないほど、この日の外気は暖かい。「礼」の掛け声に、総勢三十人を超える参加者が、五十鈴川の流れに向かって頭を下げる。今年の『青年塾』東海クラスの伊勢講座は、禊(みそぎ)でクライマックスを迎えた。
まず準備の運動をする。女性は白衣、男性はふんどし姿。周りが暗いので、隣が誰かもわからない。舟こぎの要領で、掛け声をかけながら、「えい、えい」と気合を入れる。左に二回、右に一回。やがて深呼吸をすると、いよいよ水の流れに向かう。「流汗鍛錬」の掛け声をかけながら、両手をしっかりと結んだ腕を上げ下げしながら、三列横隊で前に進む。あっという間に、足首まで水の中に入ってしまう。外気の暖かさに比べると、川の水は思った以上に冷たい。さらに数歩で、腹の辺りまで水の中だ。川面が目の高さ近づく。足元は、ごろころと転がっている石を踏むたびに不安定に揺れる。思わず、履いてきたビーチサンダルを流す人もいる。事前に、「ビーチサンダルが脱げても、追わないように」と指示されていたので、ビーチサンダルだけが私達の群がりから、静かに去っていく。誰かが、「くすり」と笑う。
「えーい」。鋭い賭け声が暗闇を切り裂く。全員、合掌のまま、首まで水の中に沈む。全員の首から上だけが、五十鈴川の川面に並ぶ。川の対岸は茂みになっていて、真っ暗だ。かつて蛍が舞う姿を見たこともあるが、この日は、蛍の光を見ることはできなかった。いくつかの街頭の光が、川の流れに揺れる。そのほかに、目に入る光はない。闇の中で五十鈴川の流れが、心を静めてくれる。
「五十鈴川 清き流れの末汲みて 心を洗え 秋津島人」。明治天皇の作られた和歌を朗詠する。腹に力を入れないと、水の冷たさに負けてしまう。だから、全員、腹から搾り出すように声を張り上げる。昼は観光客でごった返すこの辺りの民家も、夜になると、人影がまったくなくなる。商家の人達も、別に構えた住まいに帰ってしまい、商店は固く戸を閉ざしている。二度、和歌を朗詠した後、しばらく静寂が闇の中に広がる。参加者が、静かに自分を振り返るにふさわしい時間だ。もう一度和歌を朗詠したら、再び、「えーい」と声がかかる。それを合図にして、川原に向かう。一言も話さない一段の中に、安堵の気持ちが広がるのがわかる。古来、日本人が大切にしてきた"清らかな心"の宿る気がした。

