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『青年塾』第10期生の募集について
2005年10月31日 上甲晃 | 個別ページ
来年の4月から始まる『青年塾』第10期生の募集は、およそ一月後の平成17年12月1日から受け付けを開始します。締め切りは、来年の2月末日まで。募集期間は、三ヶ月です。
応募資格は、特にありません。年齢についても、20歳以上を目安としていますが、現状としては、20歳代、30歳代が中心です。しかし、40歳代も50歳代もおられます。「本人さえよければ」という但し書きで、とりたてて年齢も問いません。
『青年塾』は、単なる研修目的の組織ではありません。これは、一つの社会運動です。『志高い青年を一人でも増やすことは、日本の救いである』との信念のもとに、展開しています。高い志、大きな夢、そして高邁なる精神を持った時、青年は、たくましく、雄雄しく、力強い人生を送ることができます。
詳しいことは、募集要項をご覧ください。「10期生・募集要項」をお取り寄せください。募集要項と共に入塾願書をお送りします。応募の方は、願書にご記入の上、お送りください。特に選考試験はありません。各クラス20人を基準として、先着順とします。
■ 請求先は、590~0116 大阪府堺市若松台3丁-3番17号 志ネットワーク事務局「青年塾募集係」です。なお、請求の際には、A4の大きさの封筒に返信先である自分の住所を書いてください。また、500円切手を、封筒に張らずに、同封してください。
なお、『青年塾』の思い、内容などについては、今年の5月に刊行していただいた「志を教える」(致知出版社刊、定価1300円)に詳しく書いています。募集要項と併せて、一度、お読みいただければ、より一相互理解いただけます。
手
2005年10月18日 上甲晃 | 個別ページ
北海道家庭学校の日曜礼拝で聞いた、小田島校長先生の話は、なかなか良かった。窓という窓からは、黄色く染まった木々と、はらはらと散る葉っぱが鮮やかに見える。黒い詰襟の制服を着た子供達が、少しばかり背中を丸めながら、校長先生の話に耳を傾ける。校長先生の話がいささか理屈に走り、お説教調になると、子供達の背中は、たちまちのうちにさらに丸くなり、目を閉じる。校長先生の話が身近に感じられると、途端に、背筋が伸びて、視線が校長先生に向かう。校長先生は、「手」の話を始めた。
「この間、みんなで、研修旅行に行きましたね。その時、サーカスを見ました。サーカスの人達とみんなが握手をしましたね。私もまた、若い女性と握手しました。きっと柔らかい、優しい手だと思って、手を出しました。ところが、それは大変たくましく、ごつごつとした手でした。サーカスの厳しい訓練に耐えた手は、優しくなかった。その時に、人間の生き方は、手に表れるとしみじみと感じました」。子供達は、校長先生と一緒にサーカスに行ったから、思わず話に身を乗り出す。
「諸君、君達の生き方は手に表れるのです。私はかつて大阪に住んでいました。友達が大阪に来るので、大阪駅まで迎えに行ったことがあります。友達を待っている間に、見知らぬ人が来て、私の手を見せろと言う。私は手を見せました。そして、職業は何かと聞きました。私は、教師ですと答えました。ところがその人は、嘘を付けと言う。教師がこんなごつごつとした手をするはずがないと言うのです。確かに、当時の私は、ある施設で、手にタコができるほど、激しい労働をしていました。それを見抜かれたのです。手に、自分の本当の姿が現れます。私が在職した施設に、スリの名人と言われる子がいました。その子の手は、か細く、すんなりとしていました」。校長先生がそんな話をすると、子供達は、そっと自分の手を見ているではないか。私には、忘れられない光景であった。
万一、彼らが、出来心から、スリをしたくなる衝動に駆られるかもしれない。その時、この日の校長先生の話を思い起こすと、ふと自らの手を見るかもしれない。教育とは、そのような効果を願うものではないだろうか。
畑を耕し続ければ、ごつごつとする手、スリを働けば透明感が増す手、手はその人の人生を表している。どの手が良い、悪い、そんな問題ではない。手に人生が表れると考えることが、大切なのである。私には、校長先生の話を聞きつつ、自らの手を見つめている子供達の姿が、忘れられなかった。そして、改めて、じっとわが手を見つめた。
我が家の方針
2005年10月17日 上甲晃 | 個別ページ
「子供はね、いつも言うのです。これは、みんなが持っていると。それでは、いったい、誰が持っているのかと聞きたださすと、答えられない。ところが、親は、この言葉に一番弱いのです。みんなが持っているのに、自分の子供だけが持っていない、それはかわいそうだからと、子供のねだるものを買ってしまう。一番良くないケースです。大事なことは、わが家の方針を持つことです。他人のことはいい、我が家の方針はこうだから、だめなものはだめと言える。それが、子供達の精神を作るのです」。そんな話を聞かせてくれたのは、北海道家庭学校の校長である小田島好信先生。『青年塾』北クラスの最終日のことである。この日、私達は、北海道家庭学校の日曜礼拝に出席するために、朝の七時に宿泊していた津別町の「でてこいらんど」を出発した。みごとな紅葉に心をしばし奪われながら、北海道家庭学校に着いた。厳しい寒さの冬を直前にして、校内は秋の雰囲気を深めつつあった。礼拝堂の周りは、落ち葉が敷き詰められていた。それだけではない。落ち葉が、風が一吹きするたびに舞い落ちて、秋を伝えてくれる。まるで雪が降るように、落ち葉が音を立てて舞う。
礼拝の後、弁当を食べながら、小田島校長先生と懇談した。「ここにいる『青年塾』の塾生諸君は、子供達を育てる現役世代です。彼らが、親として、心すべきことは何ですか?」と、私は聞いた。その時の答えが、「わが家の方針を持つこと」であった。「うちの家はこうだ。誰が何と言おうが、譲れない。そんな強い信念がないと、子供たちは正しく育ちません。とりわけ父親にそのことが求められます。父親が、頑として譲れない基本の生き方を持っている、それが家庭教育の原点です」。小田島校長の言葉は、まことに明快そのものであった。
それに続く、小田島先生の話が良かった。「家庭の厳格な方針を貫くためには、家庭に一つの文化が必要です。家庭の文化がないところで、どんなに一つの方針を貫こうとしても、子供達は見破ります。家庭の文化、それは家庭の中でこだわり続けてきたものと言えるでしょう。とりわけ大切なものは、家庭の食生活です。舌が感じる味は、一生のものです。何を食べるかは、一生忘れられない家庭の文化の基礎です。コンビ二の味では、わが家の味は出ません。デパートのお惣菜売り場で買うおかずは、家庭の文化ではありません。家庭の文化がないところでは、家庭の基本方針は貫けません」。私達夫婦は、『青年塾』における食事作りに、いっそう力を入れなければならないと痛感した。
政策
2005年10月 8日 上甲晃 | 個別ページ
宮城県知事・浅野史郎氏が、三期十二年をもって、知事の椅子を降りた。浅野知事自らは、後継者に県の元総務部長を指名した。民主党と社民党が、その人の推薦を決めている。それに対抗して、松下政経塾の第十三期生である村井嘉浩君は、自民党の県連幹事長。自民党の推薦である。県会議員としては、三期目。年齢四十五歳である。宮城県知事選挙告示の当日、村井君は、多くの支援者の前で高らかに第一声を上げた。私は、激励の挨拶の後、白いカバーをかけた演壇のすぐ後ろに立ち、村井君の政策に聞き耳を立てた。全国的にその名を馳せた浅野知事の後釜を狙うだけに、浅野知事以上の魅力を感じさせるものがないと、イメージだけでは通用しない。
村井君は、三つの公約を発表した。
第一に、官の力や中央に依存しない。民間の力を存分に生かしていく。まず、副知事に民間人を選ぶことを含めて、゛官力゛を打破する。県民の総合力を発揮してもらい、宮城県の未来を切りひらきたい。第二に、宮城ブランドのトップセールスマンとして、現地現場に赴き、県民のみなさんと共に力を合わせて、全国に通用する独自の宮城ブランドを育てていく。第三に、知事の退職金を辞退する。一期四年の任期に対して支払われる五千万円を超える退職金は、この財政難の時代、受け取ることはできない。まして県民の皆様にお力をお借りする以上、知事自らが身を削るような姿勢がなければならない。
私は、村井君のすぐ後ろに立っていたから、支援者の表情が良くわかる。支援者の反応が一番大きかったのは、やはり、退職金の返上だ。「自ら身を削ることから始める」といった大向こうをうならせる宣言に、支援者は熱い拍手を送っていた。大衆は、いつの時代になっても、リーダーが私服を肥やすことを嫌い、自ら身を削るような姿勢を求めるものだとつくづくと再確認させられた。
そしてもう一つ、私が評価したことは、「五十年、百年先を見通して、本当に誇りをもてる宮城県を作り上げていきたい」と言い切った部分である。大衆は、常に目先、そして自分の利益を求めるものだ。しかし、本当のリーダーは、それを越えて、歴史の評価に耐えうる仕事をしなければならない。五十年、百年先を考えることは、松下幸之助が塾生に求め続けてきたところでもある。松下幸之助が求めた本当の政治家として、村井君が大成することを祈りつつ、私は仙台駅に向かった。仙台での滞在は、わずか三時間だった。しかし、私の心は、すっかり熱くなった。
出陣式
2005年10月 6日 上甲晃 | 個別ページ
目の前にはテレビカメラが、五台並んでいる。歩道の一角を区切った報道陣のためのコーナーには、カメラマンがひしめいている。ビルの軒先にしつらえられた白い台は、高さが五十センチはある。私に手渡されたマイクは、およそ十本。すべてのマイクが、ひとかたまりにまとめてある。目の前は、仙台市の目抜き通りである広瀬通。私は司会者に促されて、壇上に立った。壇の上から見ると、左手には、宮城県知事選挙に立候補した村井嘉浩君の夫婦が立つ。そして右手すぐ横には、自民党の官房副長官である安部晋三氏が立っている。私は、壇上から、辺りをまず見回した。報道陣の向こうに、大勢の支持者が立っている。広瀬通をはさんで、向かい側の歩道にも人が大勢こちらを向いている。街頭宣伝車が、これから始まる選挙戦に向けて、いつでもスタートできる体制を整えている。
私は、一呼吸置いて、話を始めた。左手、壇から少し離れた所に、松下政経塾出身で、気仙沼市を選挙区としている衆議院議員の小野寺五典氏の顔が見える。私は、力を込めて、次の話をした。
「私は、村井嘉浩君を塾生として選び、五年間、寝食を共にしながら育ててきました。その意味で、私は、村井君について、品質保証責任を負っています。今日は、大阪から、村井君を品質保証するためにわざわざ馳せ参じました。松下幸之助は、塾生を選ぶ時、三つの条件を求めました。まず、゛運と愛嬌゛です。考えてみれば、゛運と愛嬌゛があれば選挙には当選するわけです。村井君は、一目見ただけで、誠実さが顔に表れています。県会議員当選三回にして、知事候補に押し出されるのも、運が良い証拠でしょう。そして第三番目の条件が志です。塾生時代、村井君から相談を受けたことがあります。それは、選挙に出る時に、出身地である大阪から出るべきか、それとも生活の本拠地である宮城県から出るべきかについてです。その時、私は、どこから選挙に出たら得か損か、そんなレベルで考えるような政治家になるな。自分はどの地域に命をかけたいか、それを考えて決めるべきだと助言しました。村井君は、宮城県に命をかけると決断しました。今回の挑戦は、命がけの選択の結果であります。松下幸之助は、政治家の数を誇るのではなく、本物の政治家を育てるのだと思って松下政経塾を創設しました。日本は中央からは変えられません。日本を変えるのは地方です。どうか、宮城県こそ日本の新しいモデルであるとの思いを持って、本物の政治家として羽ばたこうとしている村井君のご支援を心からお願いします」。

