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送り人
2009年3月24日 上甲晃 | 個別ページ
永年の友人である本多邦年さんは、長崎県島原市で葬祭業を営んでいる。数年前、本多さんに招かれて、゛やすらぎ講演会゛と名付けられた会合で、話をさせてもらったことがある。その時、私は、「葬祭業は、本来、大変に大事なお仕事です。もしみなさまの仕事がなかったら、人はおちおち死ぬこともできません。目の前の遺体を前にして、どのように扱ったらよいか、途方に暮れてしまうことでしょう。みなさまがいてくださるからこそ、死んだ後も安心して任せておける。その意味では、本当はもっともっと胸を張ってもいいはずの仕事です。ところが、業界の人達は、必ずしも胸を張っていない。みなさんの子供さんも、お父さんの職業を聞かれた時、葬儀屋ですと胸を張って答えていないのではないでしょうか。まことに残念なことです」と話した。
永年、死を扱う仕事は、忌み嫌われてきた。死を忌み嫌う気持ちが、死を扱う仕事まで忌み嫌ってきたのである。また、葬祭業を営む人達も、みんながどうしても必要とする大事な仕事をしているのだといった使命感を必ずしも持ち合わせてこなかった。そこに、業界や仕事に対する偏見を生んできたのである。
「送り人」という映画が、最近、アカデミー賞の外国語映画のグランプリに輝いたことは、周知の事実である。本多さんは、「あの映画のおかげで、私達の仕事も随分見直されるようになりました」と言う。私も、今年の初めにシンガポールに向う飛行機の中で見た。゛送り人゛という名前もいい。また、人の死を、尊厳を持って送る仕事の意義が、見ている人達の心を打つ。まさに、葬儀業の本当の意義が見直されるきっかけになったのだ。本多さんは、「あなたから教えていただいたとおりの映画ですね」と言う。「その通り。私の言ったことを映画にすれば、゛送り人゛です」と答えた。自慢するわけではない。どんな仕事でも、儲け仕事としてやると、人に嫌われる。逆に、どんなに゛汚れ仕事゛と嫌われてきた仕事も、使命感を持てば、光り輝くのだ。
私は、本多さんに、一つの提案をした。「葬儀業という名前を改めて、゛一世一代業゛と変えたらどうですか。人間にとって、゛一世一代の舞台゛と言えば、葬式しかない。結婚式は、二度三度やる人もいるし、やり直せる。ところが、葬儀は、すべての人にとって、一回きりなのだ。゛一世一代゛そのものである。そしてさらに提案した。「セレモニーデザイナーという職業を作るのです。生前のうちに、自らの一世一代のセレモニーをどのように挙行するかを企画してくれる仕事です。私も頼みたい」。
大感謝、そして心からの御礼
2009年3月21日 上甲晃 | 個別ページ
『大感謝、そして心からの御礼』
上甲 晃
『箱根会議』が、私一人の意志から始まったことは、事実です。しかし、私一人が逆立ちしても、『箱根会議』は、開催できませんでした。私の思いを、自らの思いとして、献身的に支えてくれた人達がいて、初めて開催できたのです。
表の会議に対して、゛裏方゛という言い方をすれば、゛裏方゛なくして、表の会議は成り立ちませんでした。だから私にとっては、゛裏方゛は、゛裏方゛ではなく、゛力強い味方゛そのものでした。
゛力強い味方゛達の献身的な働きは、尊敬と感謝の一言に尽きます。私は、その働きに対して、一円の報酬も支払っていません。すべての諸君が、身銭を切って、応援に来てくれたのです。参加費用を支払い、食事の費用も支払い、それでいて、会議の裏方で働いている。こんな人達が、日本にはまだ健在なのです。そのことが、とてもうれしい。
五百人を越える参加者は、志ネットワーク活動が始まって以来の人数でした。最初は、三百人程度を予想していたから、構え方も比較的、小規模でした。それが日増しに参加者が増え、ついには五百五十人になった時、最初の構え方では、とても受け入れが無理なことが明らかになりました。その無理を超えられたのは、ひとえに、裏方で働いてくれた『青年塾』諸君のおかげです。私が、会議の成功以上にうれしいのは、裏方の献身的な働きがあったことです。
私の知る範囲など、まことに狭く、浅い。きっと、私が知っている何十倍、あるいはそれ以上の働き、そして苦労、困難があったはずです。多くの参加者は、『青年塾』の諸君の生き生きとした働きぶりに、おおいに心を動かされた様子でした。そればかりか、口に出して、「お世話をされる人達の働きぶりが印象的だった」と、何人もの人達からお褒めの言葉をいただきました。会議の成功以上に、塾生諸君が褒められることが、私には、とてもうれしいことでした。
塾生諸君の家族のことを考えると、心苦しい限りです。休みを何回も返上し、家族を犠牲にした働き。交通費一つとっても、箱根は、普通以上に高い。手立てを講じようとしても、みんなは、「そんなつもりではありませんから」と固辞する。その好意に甘えるばかりでした。表の大成功の影に、裏の大働きがあったことを、私は肝に銘じなければなりません。そして、何としても、『青年塾』の諸君が、将来、「あの時は大変だったけれども、日本が大きく変わる引き金を引く役割を果たせた」と胸が張れるようになったとしたら、私の肩の荷も、少しは軽くなるでしょう。裏方の諸君、本当にありがとう。君達がいてくれたからこその成功でした。
箱根会議:参加者の声
2009年3月20日 上甲晃 | 個別ページ
『箱根会議から1日過ぎて』
青年塾3期生 大久保守晃
この手で・・・
この手でなんとかする!
他人の手ではない。政治家の手でもない。自分のこの手でなんとかする。
そんな思いを持つ人が集まり、運動を起そう!!!
それが上甲塾長の思いだった。
二人の青年塾生OBがまず壇上でスピーチした。
二人とも「国からの補助金を拒否する」タフな農家だ。未来は自ら切り開いている農家だ。日頃からの思いを力強い声で発表した。凄いエネネルギーが伝わってきた。
全国各地での実践報告をしてくれた方々。
それぞれが生きる場所で、それぞれの思いを日々の仕事の中で実践している。
思いが形になっている。たとえ規模は小さくとも、志が形になり、少しずつ周りを巻き込んでいる。春の息吹のようなエネルギーがそこにはあった。
辰巳芳子さん、櫻井よし子さん
すでにそれぞれの道をしっかり生きている『人間のベテラン』として、積み重ねた経験と知識の上に骨太の主張が、日本の未来を心より憂う気持ちとともに、深く心に響いた。
この手で・・・
この手でなんとかする!
いくらちっぽけな存在でも、今、私は生きている。
私が、この手で、この手で何とかする・・・
そんな思いで自分が生きる、社会と関わる・・・・
この運動が持つ意味は、青年塾で気づいた「志」を日々実践しているかどうか・・・
それを私たちOBに問いかけている。
『未だ 興奮 冷めやらず』
青年塾2期生 山本保弘
私ども夫婦も、先ほど帰宅しました。最終最後まで箱根のキャンプ村で、出発式実行委員会の皆さんががんばっておられました。やはり青年塾は素晴らしいです。参加されたすべてのOBが献身的に動かれていて、本当に皆様お疲れ様でした。
箱根会議 後半。私は何度も目頭が熱くなりました。感動しました。
昨日は朝1番の関西クラスの劇で泣き、出発式の決意表明で泣き、そして箱根会議では 魂が震える感動をしました。思えば10年前、私たち2期生が初めてこの箱根の地で出発式をしました。みんな号泣し、抱き合って誓い合いました。
そして10年。こんなにすごい会議になろうとは、、
私は今だ興奮冷めやらず、、
やはり青年塾はすごい。そして みんなの手で絶対にできる。世界を、日本が良くしていく。良い国日本。そんなことを今、感じています。
遠路箱根に駆けつけ、お手伝い頂いた皆様。みんなの顔が、いっぱい目に浮かびます。皆様本当にありがとうございました。こころから御礼申し上げます。
箱根会議ダイジェスト
2009年3月19日 上甲晃 | 個別ページ
「箱根会議」へ全国から600名もの同志が、
馳せ参じてくださいました。ありがとうございました。
そして、「日本 この手で何とかする」運動に、大きな賛同をいただきました。
日本の政治の現状は、あまりにもひどい。もはや「私達には関係ない」と言ってはおれない。「志ある国民」が「志ある政治家」をもり立て、日本の立て直しに立ち上がる。国家百年の計に立ち、子々孫々のために誇れる日本を実現する。
日本 この手で何とかする! 箱根会議
平成21年3月15日(日) 仙石原文化センター (神奈川県箱根町)

満員の会場 開会のあいさつ

志ネットワーク 代表 上甲晃
世界は大変な困難な中にあり、誰もが目先のことに困って他人のことなど考えているゆとりが無い状況の中、こんなにも大勢、箱根に集まっていただけたことに、感無量!感激!感謝!であります。
国民に未来への希望と活力、そして誇りを。その思いを果たすために、既に自ら動き出している志高い実践者の方々にお話をいただきます。
日本 この手で何とかする【農業者の青年塾生からの実践報告】
林浩陽(青年塾1期生) 長田竜太(青年塾2期生)
日本 この手で何とかする 【各地の実践者からの報告】

菅野芳秀 レインボープラン会長 大塚 貢 元上田市教育委員長
農業、教育、健康、福祉、食、報道
様々なジャンルの著名な実践者から、お話をいただきました。
箱根会議レポート9(政治家の決意)

鈴木康友 浜松市長 長濱博行 参議院議員
上甲代表と松下政経塾などでご縁のあった志高い政治家にお越しいただき、決意表明をしていただきました。
運動を進めるか?
今回限りの勉強会にするか?これからどうするか?

ご内助の功、美代子夫人が後方支援 皆様の賛同を得て感極まる代表

満員の仙石原文化センター
「日本この手で何とかする」運動への発起人への呼びかけに、割れんばかりの拍手が湧き上がった箱根会議。
「誰かに頼るのでなく、自分たちの手でこの運動を旗揚げしたい。今年の秋ぐらいには第1回の総会を、日本国に向けて地響きが起きるような大きな場を作りたい。
新しい風が巻き起こる予感。みなさんからのご支援、よろしくお願いします。
箱根会議レポート1(上甲晃あいさつ)
2009年3月19日 上甲晃 | 個別ページ
『日本 この手で何とかする!~今、新しい風を起こそう~』
国民に未来への希望と活力、そして誇りを。

感無量!感激!感謝!であります。
世界は大変な困難な中にあり、誰もが目先のことに困って他人のことなど考えているゆとりが無い状況です。そんな中でこんなにも大勢の人に箱根に集まっていただけたことに、感無量!感激!感謝!であります。
こういうことを行うと、バックは誰か、裏にどんな団体がいるのかと勘ぐられるが、まったく有りません。
私は年齢を重ねるにしたがって、どんどん二つの耳鳴りが酷くなる。
ひとつの声は会田雄次先生。「僕は君たちが日本を動かす時代を本当に心配している」と大学時代に繰り返し言われた。小泉元総理も麻生総理も私と同じ年齢。戦後のアメリカ占領下で行われた教育を受けた世代。
アメリカの目的は、日本を二度とアメリカに歯向かわない国にするためにどうするか?日本を精神的に骨抜きにする。学校教育で次の3つを教えてはならないとした。
1.日本人として誇りを持たせるような歴史を教えてはならない。
2.修身と言われる道徳教育を行ってはならない。
3.宗教、信仰、「人間の力を越える偉大なものへの畏敬の念」を教えてはならない
日本人は、人を超える偉大なものへの畏敬の念を無くした。だから人が見てなければ何をやってもいいと考える。今必要なのは経済対策ではなく、高邁なる精神を取り戻すこと
もうひとつの耳鳴りは松下幸之助の声。「人間はどんなときに行き詰るか分かるか?それは自分のことしか考えなくなった時だ。自分のことしか考えないのは真理に反しているからだ。人間は周りのお陰で生きているという真理に反して、自分のことしか考えずに生きようとすると行き詰る。このままの政治が続けば、日本は必ず行き詰る。日本の政治家は目先のことしか考えない。自分のことしか考えない。」
その思いが松下政経塾を幸之助に作らせた。国家百年の計を持った政治家を育てたい。そういう人が出てくれば、日本は21世紀大変な繁栄を迎えるだろうと言った。地球上の国の繁栄は西へ西へ移っている。イギリスからアメリカへ。そして21世紀は東アジアへ繁栄は移る。その東アジアの繁栄の中心は日本になる。ただしその前提は、国家百年の計を持つ政治家が国をリードしていればだ。
「日本の国には国家の理念と方針が無い」と幸之助は嘆いていた。会社経営で理念や方針が無かったら必ず倒産する。理念も方針も無い国は倒産して当たり前。
その思いを、一人でも自分から動き出す。そして今日いろいろな人にスピーチしてもらい、それ聞いた上で、何らかの運動をひとりひとりから始めようと思っていただければ、この運動を広げて行きたい。
(このレポートは青年塾3期生大久保守晃さん作成です)
箱根会議レポート2(塾生の実践報告)
2009年3月19日 上甲晃 | 個別ページ
青年塾1期生 林浩陽さん

石川県金沢市野々市町で農業法人を経営している。小さな田んぼを50枚、合計で34ヘクタールで米を作っている。私は「都市部の棚田」と呼んでいる。
農業補助金はモルヒネ。父親に絶対に補助金を使うなと言われた。デザイナーを辞めて父親の後を継いで農業を始めた。どんな仕事もお客様のためになることをするという意味で同じだと思っていたが、農業は何かが違っていた。
青年塾に入塾し、「21世紀は農業の時代だ!」と塾長が言われたが、自分は信じられなくてびっくりした。もちろん今の私はそれを確信している。農業で利益を出し、法人税を払おうと農業者に訴えているが、ほとんどの農家は「税金を払う奴はバカだ!」と私を笑う。
農業補助金とは何か。魚が釣れないといって、魚屋へ行って魚を国に買ってもらうのと同じ。
なぜ学校給食をすべてご飯にできないのか?なぜ米粉のパンにできないのか?
何百年も同じ場所で、作物が作り続けられるのは稲作、米しかない。米はスーパー作物だ!!!私は子供たちに「田んぼの授業」を行い続けています。命を生み出す食の大切さを伝える活動だ。
稲の苗は3本植える。いろいろな人が居てこそ社会。子供も大人も老人も。
食と命の教育が不可欠。食と命の教育の義務化を提言する。
青年塾2期生 長田竜太さん

石川県で米作りをしている。農業は第一次産業と呼ばれている。時代が進むにつれて一次から二次、三次、四次と産業は発達してきた。しかし本当に世の中はそうやって高度化していくことが進歩だろうか。今、命が危機にさらされている。それは一次を疎かにしているからではないのか。
産業の軸、人間の欲求は、高度化した産業から一次産業に移っている。命を大切にするという時代は、一次産業こそが最先端産業になると確信している。
携帯電話を一ヶ月使わなくても誰も命の危険はない。しかし食を一ヶ月断てば死んでしまう。食料自給率40%では、もし輸入が止まれば10人中4人しか生き残れない。その40%の生産も、たとえば米作りをコンバインなどの農機具を輸入の石油の使って動かしていることを考えれば、自給率は1.6%という計算もできる。
店に行けば食品は山ほどある。お金さえ出せば買える。
自分食料自給率。
100%の人は私と林さんだけ。
それでは0%の人は?
この会場の圧倒的大部分の人は0%。
つまりほとんどの人は命を金で買っている。命の元をすべて金に委ねている。私は多くの人が自分食料自給率を1%に、2%にしたらどうかと考える。
抗菌、無菌とか気にする母親世代に育てられた子供たちは、米作りの体験授業をやっても、なかなか田んぼに入ろうとしない。そんな時に私が言う。「田んぼに足を入れることは、地球に足を入れること」だと言うと、子供たちは田んぼに入り始める。
「アースにアースする!」と呼んでいる。
(このレポートは青年塾3期生大久保守晃さん作成です)
箱根会議レポート3(各地の実践報告 1)
2009年3月19日 上甲晃 | 個別ページ
『農業と台所の架け橋』
レインボープラン会長 管野芳秀さん

26歳から農業を始めた。2.6ヘクタール。ちっぽけな農地で百姓をしている。長井市は豊かな水田に囲まれた小さな町。農家の平均年齢は67歳。70から74歳までの間に圧倒的に多い。あと10年したらどうなるか?このままでは間違いなく立ち行かなくなる。
一俵1万5000円で農協が買ってくれたのが1万2000円台になった。農林省の試算では、米農家の時給は173円。これでは誰も継がない。なるべくコストのかからない米作り、作物作り。それが海外の安い農産物と競争させられて重要だと言われてきた。
その結果どうなったか?野菜に含まれる栄養価はどんどん少なくなっている。そんなものばかり食べているから、子供はキレるようになったのではないか。集中力がなくなったのではないのか。
レインボープランとは長井市が町ぐるみで取り組んでいる活動。長井市は人口3万人。5000世帯人たちの生ゴミを集めて堆肥を作る。その有機堆肥を田畑に投入し、栄養素ミネラル豊富な米野菜を作り、みんなで食べるという運動。吹けば飛ぶような2、3の市民から始まり口コミで広がり、それに行政が加わり、農協も加わり、堆肥センターができて、町ぐるみで動き出した。
3000人の子供たちに提供される給食は100%米食で、レインボープランで作られた米。レインボープランが始まって10年。自分たちの町が誇りだという市民が増えている。生ゴミを接着剤にして市民が一緒になって取り組んできたレインボープラン。
立派な論文を書いても、人々はなかなか本を読んでくれない。小さくてもいいから実際に行動を起す。地域で実践する。その実践を見てもらう。小さな地域の実践こそが、人々に大切なものは何かを伝え、国を変えていく力になるのではないか。そしてアジアにまで発信できるのではないか。
でも現実は、農村からはため息しか聞こえない。農業は風前の灯。豪州と農業の二国間協定を結べば、さらに自給率は12%下がると農水省は試算する。私たちは地域の実践こそが国を変えると活動してきたが、やはり見識ある政治家の登場が求められている。
(このレポートは青年塾3期生大久保守晃さん作成です)
箱根会議レポート4(各地の実践報告2)
2009年3月19日 上甲晃 | 個別ページ
『健康道』
株式会社玄米酵素 社長 岩崎輝明さん

主食がパンだと、どうしてもおかずはハムだチーズだ肉だと洋風化する。米にすれば日本の伝統食のおかずになりやすい。
陰陽から行くと、米は胚芽と胚乳で陰陽セットになる。玄米、胚芽米を食べればいいのに。一方だけしか採らず不十分なので、私はその不足する玄米酵素の補充する事業をやってきている。
青年塾は最初から食事作りに取り組んでいることが、まさに的を得ている。
水野南北は健康を害し、粗食の食生活に変えて克服し、後に偉大な観相家になった。
二宮尊徳がたき木を背負いながら読んでいる本は『大学』。
世界で一番古くから続いている国家はどこか?と北海道大学の学生に聞いても誰も知らなかった。それは日本だ。この歴史を知っていれば、日本人の誇りになる。
成人病は西洋医学では治らない。食事を変えなくては治らない。治療の第一歩は非薬物療法。薬をどんどん出せば医者は儲かる。でもそんなことをやっているから、医療費が増え、税金を増やさなければならないようなことになっている。
人間は食べ物と水でできている。食べ物が薬。私は40年間風邪薬も飲んだことが無い。
(このレポートは青年塾3期生大久保守晃さん作成です)
箱根会議レポート5(各地の実践報告3)
2009年3月19日 上甲晃 | 個別ページ
『福祉現場から』
慈愛園 理事長 潮谷愛一さん

妻は熊本知事ですが、熊本は命に関してはもっとも進んでいる県。「子供のゆりかご」を設置し、その必要性について高校生の討論会も行われている。
私の施設は90周年になる。捨てられた子供や、橋の下で暮らす老人などを世話をする施設として始まった。戦前、私の父はハンセン病の方々のお世話をするボランティアをしていた。母は看護婦で結核患者を世話していたが、私も結核で闘病生活を送ったこともある。
父は施設を作り、子供や老人のお世話をし続けていたので、私もその環境の中で育ち、30年前にアメリカに留学し不良青少年の問題を学んだ。多くの子供がキレていた。子供には食が大切といわれますが、私は子供は愛を食べて育つと考える。当時のアメリカには明らかな皮膚の色の差別があった。それも実際に味わった。
日本は多様な文化を経験したことが無い。多様な文化の価値観を知らない。若い人はできることなら海外に住んで、多様な文化を体験してほしい。
昭和55年、日本もアメリカと同じようにキレル子供が増えてきた。子供は愛を食べて育つもの。
欧米と日本の育児はまったく異なる。日本の育児は心を落ち着かせる育児。おんぶ、抱っこ、添い寝、おっぱいです。それを欧米流に変えてしまった。
人間は早産で生まれる。他の哺乳類のように生まれてすぐに自分で生きることはできない。だから「おんぶ、抱っこ、添い寝、おっぱい」が必要なのです。日本は0歳の時にとても子供を大事にしたのです。食も大切ですが、子供は愛を食べて育つことを忘れないでほしい。
(このレポートは青年塾3期生大久保守晃さん作成です)
箱根会議レポート6(各地の実践報告4)
2009年3月19日 上甲晃 | 個別ページ
『食と子供』
元上田市教育長 大塚貢さん
私が校長の時代にとても荒れた学校に赴任した。初めて教育長になった時も暴走行為だらけで町が荒れていた。
なぜ学校が荒れるのか?問題は先生の授業内容だ。ただ教科書を読んで難しい言葉を解説するだけのまったく工夫の無い授業。それなのに子供たちが荒れると教師は子供のせいにする。授業が楽しくないから、子供たちは勉強から、学校から離れていく。
授業を良くしていっても、まだまだ学校の荒れが無くならない。勉強に無関心になっている。なぜか。
犯罪を犯したり無気力な子供たちの親を見ると、共通点がある。弁当の時も作ってやらず、コンビニ弁当を買って済ませている。「今日のおかずは美味しかった?」などの会話も無くなっている。本格的に食事に調査をした。朝ごはんを食べていない子に、荒れる子無気力な子が多いことが明らかになった。
朝食食べても菓子パン、ハム、ウインナー、夕食も焼き肉ばかり食べている子にキレる子無気力な子が多い。カルシウムを摂取できていない。バランスよく栄養素を採れていない。親にバランスの良い食事をさせてくれと頼んでもしてくれない。好きなものを食べさせればよいと言う。
それでは学校で食べさせるしかない。いわしの甘露煮、さばの味噌煮を給食で出したが最初は評判が悪かった。いろいろなご飯を使ってみたが、コクゾウムシもわかない米がある。
それで地元の無農薬の米を使うことにしたら、一部の農家とだけつながっている・・・と批判された。農協から買っても一部の団体と癒着と批判された。
鉄分、カルシウム、亜鉛の含まれる魚のメニューを増やした。アトピー、アレルギーの子供が居なくなった。そして学力も共通テスト比較すると大きく全国平均を上回るようになった。
(このレポートは青年塾3期生大久保守晃さん作成です)
箱根会議レポート7(私の思い)
2009年3月19日 上甲晃 | 個別ページ
「日本 この手で何とかする」私の思い
料理研究家 辰巳芳子さん

大豆百粒運動を御存知ですか。私は運動家ではない。
学童に手のひら一杯の豆。それがだいたい百粒なのですが、それを子供達に蒔いてもらおう。私は親の代から食に関わってきた。
なぜ食べなくてはならないのか?それが根源で明確にしておかないと何をやるにもブレてしまう。
BSEの時に福岡先生が「シェンハイマーの学説」を紹介した。その学説は1937年のもの。福岡先生も「命とは何か」の疑問を小さい頃から持ち続けていた。
「食べてエネルギーにするのではない。古い細胞と新しい細胞か入れ替わって刷新するために、食べ続けなくてはならない。」
ではどう食べるのか?
「風土に即して、生命を食べる」その道理に合わせること。
日本の食品は何かおかしい。その道理に合っていない。良い食材を使う会、日本の食材を守る会を作った。素晴らしく多くの食の情報を持つメンバーが集まった。私はその会で「ありがとう」「すいません」しか言ったことが無い。
しかしながらこの国の実態はまったく変わらない。そこで大豆百粒運動を始めた。
大人に蒔いて貰おうとすると必ず圧力がかかる。それなら子供、学童に蒔いて貰う。そして学校から学校へ広がっていく。そして子供達に広がってしまえば、もうどうにもならない。運動を初めて5年。蒔いてくれたのが5,000人。たくさん収穫してくれる子もそうでない子もいるが平均3粒以上で、合計の収穫量の豆が7.5トンになった。
単に蒔くだけでなく、子供に観察させ、記録させる。子供たちの内発力が飛躍的に伸びた。自ら考える力が育つ。
1回蒔いた子供は、卒業するまで続けて蒔かせてくれと頼んだ。小さい時に味わった多くの気付きがどれだけ大きなものになるか。
上甲さんは私の考えに共感してくださり、いろいろな形で活動してくれるようになった。
大人で実際にたくさん大豆を作ってくれる人も出てきた。無農薬であったり、除草剤のみであったりして作る人が出てきた。そうなると私は豆腐屋さんとつなぐ。地大豆で豆腐を作るようになると、できた大豆をすべて買ってくれる。その時大切なのは私心を持たないこと。そういうつながりどんどん生まれてくると枠が広がってくる。
最後に志についてお話したい。日本でもっとも清らかなる心で暮らしている方々は皇室だと思う。皇后様に会いたいと言われお会いした。
部屋は寒かったのでひざ掛けを貸してくれ、ご自分もひざ掛けを使っていた。空調の温度は20度になっていた。「寒ければ着ればいいのよ。」と皇后様は言われた。
廊下の電灯はすべて消されていて、一切無駄使いをされていなかった。皇后様の手は働く者の手でした。皇后様は蚕を飼い絹を作っている。天皇陛下は田植えをして米を作っている。皇室は祈り続けるのが仕事と皇后様は言われた。皇室には私心がない。
志とは私心が無いこと。政治家にも私心無くやっていただきたい。
(このレポートは青年塾3期生大久保守晃さん作成です)
箱根会議レポート8(日本の未来に求めるもの)
2009年3月19日 上甲晃 | 個別ページ
『日本の未来に求めるもの』
ジャーナリスト 櫻井よし子さん

今日ここへ来るきっかけは『日本よい国構想』の山田区長とのご縁。来るまで何を話そうか決めていなかったが、スピーチされた皆さんの話を聞いて、話したいことははっきりしました。
今、日本人はかつての明治の人がしたように、日本国内を見ながらも国際社会をもっとよく見ることが必要。我が国に影響力を持つ国々が、我が国のことをどう考えているのかを知ると恐ろしくなる。先日クリントン国務大臣が来日したが、彼女に最も強い影響力を持つオルブライトが最近書いた本。「次期大統領に申し送ること」。
アメリカがアジアを考える時には当然ながら大国中国を考える。しかしアジアへ行く時は必ず中国へ行く前に東京へ行くこと。日本は近隣諸国に嫌われているので、アメリカと絆があると思わせると日本は安心するから。
そしてまた「日本の政治家と語ることはなんと退屈であろうか。長期的な戦略はまるでない。自分たちで何も考えない。」とも書かれている。なんと情けないだろう。
日本人は自立するとどうするであろう?南北朝鮮は中国寄りになるだろうなど分析している。アジア地域においてアメリカが日本を守ることは、日本を押さえつけるこにもなるということをアメリカの大統領は忘れてはならないと書かれている。
国家は何によって支えられているのか?軍事力、経済力。
日本には自衛隊は確かにあるが、それを動かし支える法律基盤が無い。軍事力の基盤の無い国に外交力があるはずも無い。現在の中国の軍事力は日本の3倍と言われる。過去20年間、中国は軍事力を19倍にした。日本は毎年2%ずつ減らしてきた。このままで行けば10年後軍事力の差は30倍以上になる。中国とは対等にまったく話などできない状況になる。
アメリカは中国と2国間交渉するが、日本の意見も聞いてやるという態度。もし日本が圧倒的に弱小化したら、アメリカは日本を守るだろうか?それを考える時、台湾が参考になる。今の台湾は事実上、中国とアメリカの共同管理の下にある。事実上独自の外交は難しくなっている。二つの国の顔色を見ながらしか外交はできない。
しかし日本は過去の歴史上ずっと独立を守ってきて、他国の管理にされない状況を維持しなくてはならない。日本はなぜこんなにも力が弱くなったのか。日本人がダメになったから、日本という国が弱くなった。人間がダメになったから。日本人は自信がないから。
こんな誠実な人が居るだろうか。頑張る人が居るのだろうか、と日本人を見て思う。原因は明らか。歴史教育の欠陥。自分の先祖に泥棒が居た、悪い奴が居たということばかりを教えたら、誇りをもてなくなるに決まっている。
ソビエトは日本を侵略国と呼ぶが、ソビエトこそが侵略国家だ。不可侵条約を一方的に破って参戦してきて、満州で多くの日本女性をレイプし、70万人もの日本人をシベリヤに抑留し強制労働させ、その1割を死に追いやった。そんなソビエトに侵略国と言われては、「ふざけるな!」と言いたくなる。
戦争は時の状況だ。日本を焦らし戦争へと追いやった責任はアメリカにもある。戦争に負けたからには負けは認めますが、日本人の価値観を否定するようなことを認めてはならない。私たちの先祖の素晴らしさをもっともっと認め、自信を深め、明るく前向きになりたい。
私もぜひこの運動を応援したいと思います。
大人の私たちが自信を持って日本の素晴らしさを子供達に伝えていこうでは有りませんか。
(このレポートは青年塾3期生大久保守晃さん作成です)
箱根会議レポート9(政治家の決意)
2009年3月19日 上甲晃 | 個別ページ
鈴木康友 浜松市長

浜松で取り組んでいる「共生」精神。浜松は多くの自治体との合併によって、人口80万の政令指定都市となった。合併された市町村の人々は、我々は飲み込まれて疲弊していくのではないかと感じており、財政力の弱い自治体を抱えることで、自分たちの税金がそちらに使われるのではないかと感じていた。そこで「供に助け合う」。
自立した市民によって、自立した地域を作る。言い続ける、やり続けることが大切だと感じている。過疎地域を抱え、大企業の工業地域も抱えて、全国の縮図だという学者もいる。
「がんばらまいか佐久間」NPOができた。過疎地域でほとんどの人が参加して活動している。「市長何とかしろ!」だけでは困る。「自分たちはこうしているがここだけは市で応援してくれないか」となればコミュニケーションも深まり協力できる。
国から1円でも多く補助金を持ってくる首長が偉いと今までは言われた。これからは国から1円も補助金を貰わず自立する地域を作る首長が偉いという時代になる。それを浜松から発信したい。
長浜博行 参議院議員

衆議院議員を4期やり、衆議院議員を辞めて参議院議員になった変わり種。知事は47人、政令指定都市は十いくつしかない。国会議員700人以上は多すぎるのではないか。
私は民主党の国土交通担当。昨年来、「道路特定財源」に直面している。この道路特定財源は田中角栄が作って50年もそのまま。日本新党のほんの短い期間以外は自民党政権が続き、官僚と自民党がつながっている仕組みを変える
脱官僚化そのためには政権交代しかないと考えている。
村井嘉浩 宮城県知事

かつて陸上自衛官でヘリコプターに乗っていた。松下政経塾に入り、県議会議員をやり知事になった。大阪出身の私が宮城で政治家になったのは、上甲さんが「損得で決めてはいかん」と言われたお陰。将来性のある地域と考える東北、宮城で政治家になった。
政治家になるのに反対した親父に二つだけ約束しろと言われたこと。「金儲けをするな」「全体を考えて行動しろ」。
高齢化は子供が減っているから高齢者の割合が増えている。高齢者の絶対数は増え続けるのではない。30年後にピークが来てそれからは減る。30年後に年金はどれだけ必要なのか。それをきちんと示して、10年後、5年後をどうするかを国民に示す。それが政治のやるべきことだと考える。
宮城県の経常収支比率97%。誰が知事をやろうが、自由に使えるのは3%しかない。誰が知事をやろうが、宮城県でやれることはほとんどない。やるべきことは道州制。国と地方の権限を分ける。皇室、外交、防衛だけを国がやる。あとはすべて地方に任せる。国への陳情が無くなる、そんな道州制を実現したい。
逢沢一郎 衆議院議員

目の前にある危機にどう対処するか。年度末で地方の経済は大変な状況になっている。ただそれだけでなく日本の未来についてどう考えるか。
金が有れば好きなだけ外国からモノを買える。これからも本当にそうだろうか。自給率40%しかない。もっと深刻になるべき。
命の大切さ、食を基本にする。稲作、水田の大切さを日本人がもう一度見直す。畑作には連作障害がある。田んぼは水や太陽や自然の力で連作ができる素晴らしいもの。
エイズ、マラリアなどを撲滅するグローバル・ヘルス組織の代表も務めて取り組んでいる。
中田宏 横浜市長

市長になって7年。赤字の財政を黒字にし、多額の借金を返済し、ズウと赤字続きのバスを黒字にし、風俗店の取締りをしてきた。それらの政策について賛否両論はありますが、「このまま行ったら必ず行き詰る」ことに手をつけてきた。
親に育ててもらい、松下政経塾に入り上甲さんに鍵山さんに出会い、役割、使命を自覚した。
国政を見ると、政策論ばかり。日本はどんな姿を目指すのか、そのうえでどういう政策論を行うという姿は見えない。
役割、使命はどこから自覚するのか。子供が、親が居て、そのまた親が居てこそ自分が居る。自分の役割を自覚していない。子供も日本も縦糸をしっかり持つことが今必要ではないか。
「男らしく」「女らしく」を男女同権の法律論ではなく、私は「男らしく」ありたいと思っている。「お兄さんらしく」「お姉さんらしく」「社長らしく」、「日本人らしく」、『らしく』が必要だと考えている。
山田宏 杉並区長

日本人の精神の根源。もっと自信を持つべきだと思っている。パリのドゴール空港に多くの学生服を着た日本の高校生を見た。席がなくだらしなく床に座っていた。そんなだらしない人は日本人しか居ない。ロサンゼルス空港では日本の高校生が集団万引きをした。日本人はいつからこんなになってしまったのか。
「もったいない」をアフリカの女性のお陰で日本人は思い出したが、「みっともない」も日本人は忘れている。確かに経済も悪い、政治が悪い。でもそれよりも日本人の心が悪い。心さえしっかりしていれば、どんな状況であれすべては乗り越えられる。
首長は政策で何かやれば誰かは反対する。その政策が得かどうかは人によって違うからだ。大切なのは正しいかどうか。長期的にみんなにとって良いのはどちらかを説明し続ける必要がある。これが政治の根幹にあるべきだ。
松下幸之助はNHKの歴史番組に愕然とした。奈良の大仏の解説で、あれは聖武天皇が民衆の血と汗と涙を集めて作ったものだと説明していた。もちろんそういう要素もあったかもしれないが、もしそれだけなら、1千年以上も大事にしてくるわけが無い。民衆が疫病や天変地異から民衆が守られるように仏にすがってできたからこそ、ぴかぴかに磨かれながら維持されてきた。なぜそのことを教えないのかと。
私は毎年成人式の祝辞で必ず同じことを言います。靖国神社にある20歳の青年の遺書を読む。60年前に君たちと同じ成人を迎えた人はこう考えていた。今日成人したことは親に感謝することはもちろんこういう人にも感謝してほしいと言う。いつもざわざわしている成人たちもこの遺書を読むとも必ずシーンとなる。
今大切なのは信念を貫く政治家。愛される政治家ではない。
今の状況は放っておけない。中田横浜市長、中村松山市長と3人で言いだしっぺになって、『日本よい国構想』をみんなと議論してきた。
渋沢栄一は片手にそろばん、片手に論語と言った。最近のアメリカは両手にそろばん。それでは行き詰るに決まっている。
中村時広 松山市長

私は今日集まった政治家は皆松下政経塾出身ですが、私は違う。「坂の上の雲」を縁に上甲さんと知り合い、共感した。
政治を弱くした原因は2世、3世議員のせいであることは間違いない。私も2世ですが、家族も自分もまったく政治をやるつもりも無く大手商社で石油の輸入をしていた。後援会などはまったく無かった。
国の政治はまったく現場を知らずに行う。高齢者の医療も今回の給付金もそうだ。現場が困難することを平気に行う。
政治の質を高めるのに簡単な方法。市町村合併。議員は80人を45人に。幹部職員は辞めてもらう。しかしそれを実行できるかどうかは市民、国民にかかっている。
私は政治家になるつもりはまったく無かった。一部の市民の方々が勝手に私に立候補させようという運動を始めた。固辞したら止めるどころかさらに運動を広げて署名を6万人も集めた。それで仕方なく立候補した。政治家の力では何もできない。市民の力が広がった時初めて実現する。
司馬遼太郎がこの作品だけは映像化させないという遺言があった『坂の上の雲』。その映像化を奥さんがなぜ許可したのか。「いつから日本人はこんなになってしまったのだろう。」と映像化拒否の封印を解いてくれた。
『坂の上の雲』は極めて楽天的な人々の話し。前のみを見つめて歩いた。今私たちもそこに学ぶべきだと、松山は『坂の上の雲』の街づくりを進めている。
(このレポートは青年塾3期生大久保守晃さん作成です)
箱根会議レポート10(今後の進め方)
2009年3月19日 上甲晃 | 個別ページ
今回の箱根会議のテーマ
『日本 この手で何とかする!~今、新しい風を起こそう~
上甲塾長が参加者みんなに問いかける。
「この運動を進めるのか?今回限りの勉強会とするのか?これからどうするか?」

もちろんこの場に居るのはそういう運動が必要だと感じているから。感じているからこそ全国から箱根に集まってきている。大きな拍手で運動を始めることが決まる。
「私たち国民の手で新しい政治の枠組みを作っていこう。新しい枠組み、新しい政治の流れを、政治家にやってもらうのを待つのでなく、国民の側から発意をして起したい。ただ、作家の三浦綾子さんが「人類愛は簡単ですが、隣人愛は難しい」といつも言われていた。隣人よりも近いまず妻の了解も無くてはどうにもならないので、妻の意見を聞きたい。」
塾長の話に奥さんの美代子さんが登壇する。
「私はいつも大風呂敷を広げる主人にブレーキをかけるのが役割りだと考えてきました。そこらの政治家と同じで、出来もしないことを言うだけでは仕方がないからです。しかし今回だけは私も怒っています。今の日本は大人も子供もあまりにも弱々しすぎます。良識のある日本人を信じたい。今回の運動は私は初めて主人の背中を押しました」。
熱気の中に笑いと和やか空気が流れる。
上甲塾長は具体的な話に

「誰かに頼るのでなく、自分たちの手でこの運動を旗揚げすると決めたい。今年の秋ぐらいには第1回の総会を、日本の国に向けてある程度の地響きが起きるような場を作りたい。
日比谷公会堂1,500人規模か、日本武道館15,000人規模か、東京ドーム50,000人規模か。まあドームはあくまで参考にすぎませんが・・皆さんのご意見を聞きたい。」
驚くべきことに圧倒的多数が日本武道館15,000人規模でやろうと手を上げた。壇上の上甲塾長も少し驚きの表情を見せる。これはあくまで参考にさせていただくまでですがと言いながら、将来的には東京ドームでやるぐらいにすべきかとの問いにも結構な人数が手を上げた。
上甲塾長はたとえ30年後になろうとも東京ドームでやれるような運動にしていきましょうと最後の締めの言葉につなげた
「幕末日本を動かした原動力に、長州の高杉晋作が旗揚げした奇兵隊がある。功山寺で高杉晋作が奇兵隊を旗揚げしたのは、たった80人だった。当時と今の人口の違いを換算すると340人ぐらいだろうか。ここには500人もの人が集まってくれた。ぜひ自分たちの力でこの運動を広げていきましょう!!!」
(このレポートは青年塾3期生大久保守晃さん作成です)
青年塾講座のご案内
2009年3月13日 上甲晃 | 個別ページ
中国理解講座のご案内
2009年3月13日 上甲晃 | 個別ページ
司法倶楽部のご案内
2009年3月13日 上甲晃 | 個別ページ
人生に無駄な経験などひとつもない
2009年3月11日 上甲晃 | 個別ページ

―「難有り」を「有難い」に変える「志」の力

内容(「MARC」データベースより)
よほどの困難はよほどの覚悟をさせてくれ、よほどの覚悟はよほどの改革をもたらしてくれる。松下政経塾元塾頭が、「難有り」の今の状態を将来の「有難い状態」への契機としてどう生かすべきかを説く。
不況期の過ごし方
2009年3月 5日 上甲晃 | 個別ページ
不況期になると、松下幸之助が、なぜか見直される。既に亡くなって21年が経過する。しかし、松下幸之助は、今もなお、経営の神様としては、健在のようである。何よりも、松下幸之助は、「好景気良し。不景気なお良し」と言う。そのたった一言が、世の多くの経営者の心をとらえるようだ。みんなは、「好景気は良し。不景気は悪し」と思っているから、松下幸之助の言葉は、ある種、衝撃的なのだ。
どうして不景気が良いのか。「好景気の時にはな、誰が経営しても、そこそこにうまく行くものや。経営力よりも、景気力が、後押ししてくれるからな。ところが、不景気の時は、経営力がなければやっていけない。だから、経営の本当の差は、不景気の時に付くものや」。私なりのとらえ方を、松下幸之助風に語ってみたら、こんな台詞になるのだろう。
経営の本当の差は、不景気の時に付く。そう言われると、私が在職中、゛松下電器は不景気のたびに伸びる会社だ゛と世間で言われていたことを思い出す。不景気のたびに伸びたら、他社との差はみるみる開いていくのは当然であろう。松下幸之助が、゛経営の神様゛などといった言われ方をしたのも、その辺りに秘密があるようだ。
なぜ、不景気は、好景気の時よりも、゛なお良し゛なのであろうか。
先ず、経営の改革は、不景気の時にしかできない、と言う。業績が好調な時は、社員に自信を与えるものの、「この調子で行きましょう」と、現状を肯定する傾向にあり、本当の反省ができない。反省がなければ、改革はありえない。反省は、改革の始まりである。さらに言えば、「このまま行けば、会社がつぶれるかもしれない」といった危機感が浸透すると、今までのやり方を抜本的に変えなければならないと、誰しもが思う。゛かつてない困難は、かつてない改革のチャンス゛だと、松下幸之助は、社員を励ましたものである。また、不景気の時は、好景気の時に手が回らなかったことに着手するのには、きわめて良い機会だ、と言う。「好景気の時は仕事が忙しい。猫の手を借りたいような時には、社員の教育をじっくりしている余裕がない。不景気は、基本的には、暇である。社員教育に一日掛けても、なお時間が余る。不景気の時にしっかりと社員を育てた会社は、やがて好景気になったら、どんどん伸びていく」。そんな言葉も、私の記憶の中に鮮明に残っている。好景気の時は忙しくて手が回らなかったことを順番に挙げていけば、不景気の時にやることが一杯、見えてくる。やることが多いと言うことは、゛不景気もまた良し゛なのだ。








