志ネットワーク 青年塾:「志の高い日本」は、「志の高い日本人」によってこそ実現するとの思いに立ち、志ネットワーク活動を展開。 主宰:上甲晃

茨城県高萩市緊急支援活動報告(井場元伸幸)

2011年3月30日 上甲晃 |

緊急の支援要請

茨城県高萩市の草間吉夫市長(松下政経塾十六期生)から、上甲代表ほかに緊急の支援要請が入りました。「緊急ボランティアを募る」そんな連絡のメールが届いたのが、3月14日月曜日の夜のこと。

さっそく、友人の杉本哲也さん(松下政経塾27期生)に電話をしました。 彼からの提案で、「某企業から物資を提供してもらって、明日の夜にトラックで茨城県北部へ行きます。運転手が足りません」。
「分かった、俺、行くわ」
自分でも意外に思うほど、あっさり決断しました。

家族に、「明日から茨城県へ行くから3~4日帰って来ない」と話すと、やっぱり大反対されました。
「大丈夫、大丈夫。俺、めっちゃ運がいいから」

幸か不幸か、地震後売上も半減しているから会社を休むことは可能だな。そんなことを考えている時、志ネットワーク会員稲田義昭さんから電話があり、
「いばちゃん、明日、うちの家に集合や。うちが事務局になったから。昔取った免許証なら、4t車まで運転できるから。明日の朝、トラックを段取りしとくから、頼むわな」。
「了解です!」

物資なし、トラックなし

3月15日(火)
朝6時半。杉本さんから電話がかかってきた。「某企業に物資の提供を断られました。今から集めないといけません」。

続いて稲田さんから電話がかかってきた。「いばちゃん、トラックがない。引っ越しシーズンも重なってレンタカーがまったくない」。

今晩行くと決まっているが、何もない。多くの方が支援物資を持ってきてほしいというメールを各所に発信してくれました。同じく私も緊急のお願いを、色々な方にいたしました。午前中に事務局となった稲田さんの家に行きましたが、まだ支援物資はほとんどありません。友人の友人の運送会社が2tトラックを貸してくれることになりました。摂津市鳥飼にトラックを取り行きました。

10時間の奇跡

救援物資3時に稲田さんの家に帰ってくると、なんと物資がいっぱい集まり始めているじゃないですか。志ネットワーク会員、青年塾生、一般の方々がたくさん持ってきていただきました。公園にあふれんばかりの支援物資があつまりました。心配したトラックも4t車2台、2t車2台が手配できました。わずか10時間ほどの間に、こんなに集まったのは奇跡のように思えました。夜の8時、ついに大阪を出発です。


下の動画は、青年塾8期生 北岡隆浩さん編集




志の支援部隊

高萩行きのメンバーは、淵脇瑛義さん(志NW)、山本保弘さん(青2)、安田智子さん(青4)、田中真輝さん(青12)、杉本哲也さん(松27)、井場元伸幸(青2)、杉本さんの友人の水谷さん。お米屋さんから派遣されたプロドライバーの方。そして、福井を出発して、浜名湖ICで合流する花山晃さん(青7)

今回、我々よりも一足先に茨城県から福島へ行き放射線量を測定している友人がいました。
古長谷みのるさん(青12)
彼から現地の放射線量の情報をいただきながら我々も北上することになりました。

浜名湖で作戦会議

名神から新名神を経由して、東名高速のルートです。移動中にラジオから速報が流れました。

静岡県で震度6強の地震。清水ICから通行止め。
福井県から水を運んでいる花山晃さん(青7)と浜名湖PAで合流する予定でしたが、電話が鳴りました。
「今、浜名湖に着いたら、いきなり地震にあいました」。
「とりあえず浜名湖PAで待機してほしい。我々もあと1時間ぐらいで着くから」。

浜名湖PAで作戦会議をしました。プロのトラック運転手達はドンドン東へ向かって走っている。行けるところまで行って、通行止め解除を待つか、下道を走るのか分からないが、プロドライバーの後をついていこう。そう結論を下しました。浜名湖からさらに1時間ぐらい走っていると通行止め解除の速報がラジオから流れました。よし、これで問題なくすすめる。

3月16日朝6時。海老名PAに到着。

震災の道を抜けて

道中のPAでガソリン、軽油を給油しましたがおそらく最後の給油場所である海老名で各車両満タンにしました。ここまで、とりあえず給油に困ることはありませんでした。

ここまで一緒に運転の手伝いをしてくれていた田中さん(青12)を東京へ行かすことになりました。30歳独身と若い彼を被曝させるわけにはいかない。40歳以上で、万が一、もう子供が産めない身体になってもOKという人だけで現地へ向かうことになりました。

ここで、古長谷みのるさんから放射線情報の連絡がありました。「現在のところ、放射線は少なく、原発もまだ安定しているようだ。今日一日は健康に影響を与えることはないだろう」

プロのアドバイスはありがたいです。しかし気持ちは映画「アルマゲドン」状態での出発です。

常磐道首都高速を抜け常磐道に入りました。常磐道は空いています。順調に北上を続けました。水戸市を過ぎたところで、警察が検問をしていました。市長の書類を見せると、すぐに通していただけました。さすがに検問をしているだけはあります。そこから先の道路はうねっていました。道が波打ち、道路をつないでいるつなぎ目には大きな段差。一部道路が崩壊しているところは、片側車線の真ん中にコーンを立てて、車が行きかうようになっています。

徐行しながら高萩を目指します。高速から街の風景を見ていると、ブルーシートを屋根にかけている家が結構増えてきました。11時ごろ。ついに高萩ICに到着いたしました。

朝11時、高萩に到着

高萩IC
高萩ICを降りた最初の信号は消えていました。道路はひび割れがおこっているところを何カ所も見ました。ただ、街全体では崩壊している家は少ないです。テレビや新聞で見る東北の壊滅した街と比べると全然被害は少ないように思えました。ICから5分ぐらいの所に高萩市役所があります。市役所の壁が崩壊寸前でした。あと1回、震度5以上の地震が来ると庁舎が崩れるらしいので現在は引越しの準備を始めていると言われていました。

高萩市茨城県内、特に北部を中心として約70万世帯が断水です。市民の方がポリタンクを持って並んでいます。自衛隊の給水車が来て、順番に水を配給していました。

我々は市長の要請できていますので、市役所の役人さんから庁舎裏の屋根のある自転車置き場に物資を降ろすように言われました。トラックを庁舎裏に回して、荷物を降ろし始めました。荷降ろしを、市役所の方も手伝ってくれたのですが、段ボール箱を面倒くさそうに、足蹴にしている役人がいました。さすがに、これには「カチ高萩市役所ン」ときました。多くの方の思いが詰まっている荷物なんです。しかし、ここは我慢、我慢です。ボランティアを押し売りしてはいけない。彼らも、厳し状況の中で、精神的に疲れているのだろうと自分に言い聞かせて、こらえました。

市長から、「高萩市よりも、北茨城市のほうが水不足が深刻です。水を持って行っていただけませんか」と言われました。もちろん即答で「行きます」と答えました。

さらに北へ

福島原発から高萩市・・・約80km。福島原発から北茨城市・・・約70km。
さらに北上します。市役所の30歳ぐらいの役人さんを同行させてくれました。この若い役人さんが、とても気持ちいのいい人で救われました。
「昨日は雨が降って、ずぶ濡れになりました。もう、放射線なんてどうでもいいです。高萩のために働きたいです。実は、先月家を新築して完成したばかりです。海岸に近いところですが、家はつぶれずに残っています。手抜き工事でなくて良かったです。津波で少し床上浸水しましたが、大丈夫です」とお話しいただきました。

北茨城市役所北茨城市へ向かう途中、風が吹くと白い煙が上がります。津波で運ばれた土が乾燥して、土煙になっています。北茨城市役所に着き、水を運んできたというと大歓迎されました。庁舎裏に水を降ろし始めたのですが、役所の方が何度も何度も「ありがとうございます」と頭を下げられます。その横では自衛隊員が炊き出しの準備をしていました。向かいのグランドでは200人位の市民がポリタンクを持って給水車の順番待ちをしていました。同行してくれた高萩市役所の役人さんに、「もっと被害の大きい海岸線を見たい」と話すと、「行きましょう。ご案内いたします」と応えてくれました。

海岸線へ行きました。車から降りて撮影をしようとしたとき突然携帯が鳴りました。

--------------------
エリアメール
緊急地震速報
茨城沖で地震発生。強い揺れに備えて下さい(気象庁)
--------------------

震度4の地震が起こりましたが、緊急時は、こんなメールがくるのか。

津波の爪痕

常磐線車で移動しながら写真を撮りました。写真では分かりにくいかもしれませんが、線路がかなり歪んでいます。常磐線です。がれきやゴミが一杯です。ガソリンスタンドも閉まっています。 海岸線にある家は、ほとんど崩壊しています。堤防も崩れています。 津波に流された車。そして、高萩市庁舎にもどってくると先ほどの地震でさらに壁が崩れていました。

東北ほどの惨状ではありませんが、しかし、水道、電気、ガスが不通。スーパーやコンビニもすべて閉まっています。ガソリンもありま海岸線せん。茨城北部は、生活物資が何もなく買うところもありません。原発におびえながらも、ガソリンがないので逃げることも出来ません。

ご支援ご協力ありがとうございました

 多くの皆様に、今回はご支援・励ましをたくさんいただきまして本当にありがとうございました。普通に暮らせることの幸せを、今感じています。高萩市では死者も少なく、まだましと言うもののそれでも市民生活は大変苦しいということが分かりました。電気も灯油もないので、夜はとても寒いそうです。小さな一歩ではありますが、今海岸線後とも微力を尽くしていきたいと思います。

東北関東大震災 第2陣支援部隊活動報告(石川一機)

2011年3月30日 上甲晃 |

まずは投稿するにあたりまして、震災に遭われました皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 
 3月11日震災の発生後、関西クラスの有志が高萩市への救援行動を起した頃に一本の電話が鳴りました。相手は普段から仲良くしている渋谷さん@3期生でした。「今回の地震の件で被災地への支援を計画している、ついては手伝って欲しい」との事でありました。たまたま現在は無職である立場、お金は無いが時間を使えるので手伝える範囲、積極的に応援しようと決めました。


 その後、渋谷さん@3期生から仙台に在住の高瀬さん@9期生や杉井さん@6期生が既に個々に動かれていることや、支援物資の募集受入れ準備や現地入りの為に高津東クラス塾頭@3期生を始め、名取さん、鎌形さんといった東クラス各期の主な方々も加わって支援体制の段取りを行い、3月22日に支援物資募集開始、25日仕分けを行いそのまま積込み夜出発。26日より27日にかけ物資を配送し、そのまま帰ってくるというという計画となりました。まあ、普通に行って帰ってくるのは簡単ですが報道でも有るように燃料事情が極めて悪く、下手をすると現地へ行っても帰る事も出来ない状況も生まれる可能性がある中で、現地の事情をよく知る高瀬さん@9期生が「高瀬部隊」が主にガソリン、灯油などの燃料の手配と配送を担当、私石川が全国から集まった支援物資を積み込みトラックで送り届ける「石川部隊」という形になりました。

 
【想い荷物】

 22日に物資を募集して25日にまでに果たしてどれくらい集まるだろうか?」と単純に心配していましたが25日になってその心配は全く無くなる位に青年塾生をはじめ、本当に多く方からの支援物資を預かる事が出来ました。そして25日は昼からに支援物資の集積地である渋谷さん@3期生の会社で持っている倉庫で食糧、燃料、日用品、衣料品等仕分をする。まあ仕分けをするにも人の手が必要、ここでもこの仕分けの為だけに多くの塾生や渋谷さんのご家族等総員約20名が参加してくれてそしてトラックへ積込み、東京町田を18時30分、出発致しました。今まで仕事でも「重い荷物」は運んだ事は有っても、これだけ心のこもった「想い荷物」を運ぶのは初めて、絶対に何があっても事故は許されないと決めて、進路を北へと取りました。

 
【北へ】

 町田を出発して今回一緒にドライバーとして参加くださった富士見さん@6期生と目黒で合流、富士見さんもお仕事柄、気仙沼市と深い関係にあり「忙しい時期ではあるけれども直接現地へ乗り込みたい。」と同僚のからも託された支援物資を持ち込んで参加くださいました。

 そして東北道を北上、北へ向かう車は、多くの災害復旧支援の車両を目にする。また人員交代であろうか東京方面へ上る反対車線も自衛隊や警察、消防の車も多く見かけた。そんな最中、また一つ心配すべき事が発生した。「白河からチェーン規制」の交通情報表示、実はこのトラックはチェーンは積んでいてもタイヤは雪用ではなくノーマルタイヤ。チェーンを装着する事自体は大したことは無いが、チェーンを装着する事によってスピードが上げられずその後のスケジュールにも支障が出る、それ以前にたとえチェーン規制が無くても部分的に積雪もしくは凍結していてそれが原因でスリップ事故を起こせばすべて水の泡となる、燃料調達の為に先発していた「高瀬部隊」から情報をもらいながら宇都宮、那須、そして白河、どうやらチェーン規制がタイミングよく解除されそのまま難なく通過することが出来た、しかしまだ雪は降り続いており気を緩める事無く郡山、福島と続き無事にその日の目的地であった仙台の高瀬さんの自宅へ無事到着となりました。
 

【本格行動一日目】

 高瀬さん宅で数時間仮眠後の翌朝8時に仙台を出発、仙台市内でもガソリンスタンドへ車が100台や200台並んでいる姿を目にする、その長さは1キロや2キロは普通であって、それ以上でも珍しい事ではなかった。燃料事情の劣悪さを痛感した光景であった。仙台を後にし岩手の花巻にへ行き戸田さん@2期生のお宅で荒井さん@7期生と合流し、ここで今後の行動について作戦会議、「高瀬部隊」と「石川部隊」と2班に別れ、高瀬部隊は村上さん@10期生が居られる大船渡へ、石川部隊は被災地の一つ釜石へと行く事になった。

 花巻から釜石までは山間部を通るルート、しかも雪が降っておりここでもスリップ事故の心配をする事となったが、それでも慎重に慎重を重ねた結果無事に釜石へ到着、物資を受付けつけている本部へ向かい、灯油、食糧、日用品などを降ろす。衣類などは別の場所での受付、どうやらニーズが刻々と変化しており、釜石では衣類などの布製品は2次的必需品となっていたようだ。受付所の地元の方々からは「本当に有難うございます、今回の事で人の温かさを身に染みて感じております。」と語る姿は一切建前など無く真剣にお話されるその面持ちは逆に我々が大変勇気付けられました。釜石を後しに花巻へ戻り、「高瀬部隊」は大船渡から一度花巻へ、そしてアーク牧場へと向かっていた。

 花巻では仙台以上に燃料事情が悪にのにも関わらず、戸田さん@2期生が普段からお付き合いが深いガソリンスタンドへお願いして頂いた事でトラックの燃料を満タン、更に自前の燃料缶への給油と格別の対応をして頂いた事でこのトラックにおいては燃料の心配はだいぶ軽減できた。

 その後、アーク牧場へ行っていた「高瀬部隊」と「石川部隊」は岩手の前沢で合流、一関にトラックを駐車し、高瀬部隊のワゴン車にてこの日我々物流部隊を受入れて下さる山形村山にいられる川又さん@14期生のお宅へと向かった。
 

【山形村山市、川又さん宅】

 ここでお気付きになった方も多いかもしれませんが岩手一関から山形の村山市まではかなりの距離がある、ざっと100キロ。なぜかというとか燃料担当の高瀬さんが事前に新潟など日本海側の比較的燃料事情が良い所に住んでいる青年塾生に声をかけ、灯油をかき集め、ここ川又さん宅へ集積し中継するためであった。

 しかし、中継だけに止まらず、川又さんにはご一家総出で迎え入れて下さり、おいしいお酒と名物いも煮、暖かな布団を振舞って頂き、ハードなスケジュールの物流部隊もこの晩はとても落ち着く事の出来る夜を過ごす事が出来ました。川又さん、有難うございました。


【本格行動日二日目】

 翌朝、川又さん家を後にしトラックの置いてある一関へと戻り、そこから気仙沼とへ行きました。気仙沼へは雪の心配も無く、無事に到着、熊谷さん@志ネットワークのお宅へ行き、そこでネットワーク関係者の物資を下ろし、そして気仙沼市役所へ行き、支援物資を下ろす。

 その際に、気仙沼市の副市長さんや市役所の方々とお会いでき、お話を伺う事が出来ました。「これまで防災、津波対策という事で長年やって来たが、なんの役にも立たなかった。」と話されていた事が印象的、それほどまでに凄まじい津波が押し寄せたのだと感じた。事実この後「高瀬部隊」と別れ石巻へ向かう際に、その散々たる光景を目にする事となる。

 一言で言えば「意味がわからない、訳が分からない」光景、津波が押し寄せた海水とヘドロ覆い尽しその匂いは何とも言えない強烈そのものであった。市街地はまるで巨大な万力で潰されたの如く家、商店はメチャメチャになっており道路の真ん中に巨大な船が鎮座している。海から遠く離れた陸地には打ち上げられた魚の死骸があり、鉄道はレール、砂利は流され枕木は宙に浮いているなどしていたり、郊外でも直接津波に襲われた壊滅的な所はすべて瓦礫の山、いや瓦礫の丘、瓦礫の原野と言ったほうが言葉が正しいくらい破壊されており、残っていても家のコンクリートの基礎だけであったりと「言葉を失う」とはまさにこの事でありました。唖然としながら、気仙沼を後にし国道を南下し、三陸道へ経て最終目的地である石巻へ入った。

 石巻市街地は気仙沼や釜石に比べ、街の規模も大きくまた海抜も低い土地が多いせいか津波による被害が広範囲だと感じた。そんな街中を抜けて平塚さん@1期生の自宅へと到着しました。

 平塚さんのご自宅は旧北上川の近くの河口から5キロほど遡ったところに有り津波発生当時は平塚さんは会社におられ、地震発生と同時に全員退社させ、ご自身は一目散へ自宅へ戻り2階に退避して難を逃れたそうですが、奥様は自宅へ到着する100m手前で津波に遭い、そのまま3日間行方不明だったそうですが、自力で戻られ助かったそうです。自宅の1階部分は完全に水没し、土砂が流れ込み、ご自身が使用されていたご家族の車も流され横転し、持ち主の判らない高級外車も流れ着いて、果ては生々しくてここでは話せないものまで流れ付いていたそうです。それらを物語る様に僕らが着いたときも長靴無しので歩くのは困難と思える程に辺りは土砂や瓦礫で覆われていました。

そして物資を降ろし、27日18時石巻を出発し、28日2時にトラックの返却先である東京町田にある渋谷さん@3期生の会社の倉庫へ到着し、帰路へとたどり着きました。
 

【振り返って】

 現地へ行き被災地のそこでは大変厳しい生活を強いられているのを目の当たりにしつつも、東北の方々のお人柄であろうか、不満をこぼす人の声はほとんど聞く事も無く今を必死に耐えて頑張り、そして時間はかかっても前向きに復興というその姿がどうも宮沢賢治の「雨にもマケズ」の詩と重なり、救援物資を運んで応援しようとしたはずの我々の方が逆に何倍も励まされ、勇気付かされ、応援された様な感じでありましたし、そう思うと感動して涙が止まりませんでした。

 最後に今回現地へ行くにあたり、各々が出来る事を出来る範囲で持ち寄り、協力し、行動した事が私たち現地物流部隊が無事に行って無事に帰って来れたのだと痛感して思いますし、こうやって「いざ」という時に団結して組織的に行動できる仲間が身近にいるという事が幸せだとあたらめて感じました。関わってくださったすべての皆様、本当に有難うございました。

東日本大震災 緊急レポ2 女川の現状(千葉俊広)

2011年3月30日 上甲晃 |

 未曾有の大津波が襲い、町の人口の半分が不明となった宮城県女川町。ここは、青年塾14期現役生の千葉俊広さんの実家がある町。現在、大阪の玄米酵素に勤務する千葉さんが、交通手段もない中を、ご家族を思い、帰省した生々しいレポートをご紹介します。

青年塾 14期 関西クラス 千葉俊広

実家のある女川へ
 3月15日から19日にかけて、私の実家がある、宮城県女川町に行って参りました。
あちらには両親、兄家族の他に何人も親戚がおります。幸い両親、兄家族は健在でしたが、家の隣にいた親戚など亡くなった可能性が高い者もおりました。家は実家、兄家族の家、共に流されました。現在、両親は高台にいる親戚宅に身を寄せています。

 私が帰ったときはまだ道が遮断されていたところが多く、飛行機で伊丹→山形の庄内空港。庄内からはバスで庄内→山形→仙台と入りました。仙台からは確たる交通手段もなかったのですが、駅前にタクシーを見つけ「ガソリンがあるところまで走ってあげる」という優しい運転手さんにあたり、実家から車で30分の石巻までタクシーで移動することができました。

暗闇の中を歩く
女川1 石巻に入るとタクシーもなく、やむなく徒歩で女川に向かいました。向こうは電気が来ておらず、暗闇の中を歩いていると、偶然女川行きの方に車で拾っていただき、たどり着くことができました。
 両親、兄家族、親戚、同級生と安否を確認しながら、女川を端から端まで歩き写真に納めました。まさに何もないという状況で、ニュースで壊滅と言われていたのが実感できました。向こうでは避難所生活も体験しました。山の上にある総合運動場には2000人以上の被災者が避難所生活を送っており、私も毛布1枚借りて一緒に寝泊まりしました。

報道されない町の実情
女川3 電気は自家発電で照明だけはありましたが、ガス、水道は止まっていて、水、食料の支給は生きていくための最低限といった感じです。それでも、食事に関しては日に2回、具なしの白米おにぎり2個に味噌汁も付きましたからずいぶん良くなってきたと友人が言っておりました。私が行った日から雪が降り、2センチほど積もりました。ただでさえ寒い避難所はかなり室温も下がり、高齢者にはきつかっただろうと思います。

女川2 自衛隊の活躍で瓦礫は取り除かれ、落ちた橋は埋め立てられ、町内の移動は日ごと良くなりました。それでも夜は真っ暗になり、帰りの道がわからず危ない経験もしました。治安は悪く、火事場泥棒のような徒党を組んだ窃盗団や、ガソリン泥棒が横行し、警備隊が負傷するという事態も起きています。美談ばかりが伝わっていますが、現地は決してそんな感じではありません。「たばことガソリンの話はできない」という声も聞かれました。
水、食料もそうですが、それ以上に深刻なのがガソリン不足です。近隣の地区では、営業していないガソリンスタンドに250台の車が並び、他へ移動しようにもガソリンが全く手に入りません。

女川4

女川5住民の半数が不明
 被害の状況はテレビで報道されているとおりです。鉄筋の建物は枠組みだけが残り、木造住宅はほぼ残っているところはありません。友人の家は鉄筋のビルで中華飯店を営んでおりましたが、津波が来て鉄筋の家が海に浮き、ビルごと倒れました。
この時点では、住民は半数近くがまだ行方不明で、1万人の人口が最悪半分になる可能性もあります。家と職業を同時に失った方が多数という状況です。復興にはどれだけの時間がかかるのか想像もつきません。

女川6

有難いご縁
 帰りは仙台まで車で1時間半の距離を全くあてなしのヒッチハイクでしたが、5人の方に乗せていただき仙台まで帰ってきました。再度に乗せていただいたのが会社社長とその社員さんでしたが、社員さんは女川の同級生の従兄弟、社長は以前玄米酵素を会社で扱うか検討したことがあるという方(致知で知った)で、その偶然に驚きました。再度、玄米酵素導入を考えたいと言ってくれました。
 今回の経験を仕事にも生かし、これからも精進して参りたいと思います。

女川7

東北関東大震災支援活動写真

2011年3月30日 上甲晃 |

現地(宮城県仙台市近辺)支援レポート(高瀬慎一)

2011年3月30日 上甲晃 |

青年塾9期生 高瀬慎一 さんのレポートです。

■3月17日

3月16日に山形 庄内空港⇒羽田空港のルートで奥さんの実家(小田原)へ一次避難完了して支援体制構築に着手して一定の目処がついたので新幹線で実家のある名古屋へ移動を決意。

東京都町田市の弊社 東京支店へ出社した際に渋谷さん@3期と合流して義援金受け取り。

名古屋到着後に家族、地元の友人達の迅速な行動により車両、日用品、食料、飲料水、ガソリン携行缶(140L)分を積み込み。

取引先(モリデンキ、エム・システム技研)からの救援物資を受け取り、積み込み。

父親と夕食を取りながら情報交換して東名で小田原へ移動。

※富士川より西側では給油事情は良好でした

※日用品は名古屋でも確保がいくらか難しい状況でした

小田原の奥さん家族からも救援物資をいただき車両(日産キャラバン)はほぼ満載状態となり「必ず無事に届けよう」と決意。



■3月18日

東名、首都高、環八、関越ルートで移動

越後川口SAで丸岡さん@14期と合流して携行缶(5L)と義援金受け取り

※ガソリン給油は上限2000円、ただし緊急車両は満タン給油可能

黒埼SAでガソリン、携行缶へ満タン給油

※新潟市周辺はガソリン事情良好(これが今回の救いでした!)


新潟市在住の同期 中山さん@9期と合流し救援物資を受け取り、積み込み

☆取引先(OMRON)からの救援物資は横浜⇒新潟(3/17夕方発送)ヤマト便で無事に到着していたので車両へ積み込み


山形へ向かっていたところ土屋さん@12期より「長井⇒山形であれば運転代わります」とのありがたい申し出があり合流して、しばしナビシートでPCにてメールチェックと携帯で各地と連携


山形駅前⇒山形県東根市へ移動して川又さん@14期と合流

山形⇔仙台の運転代わってもらい携帯で各地と連携

仙台への峠越え(約1時間)して仙台駅前を経由して最初のポイントへ

※山形県内はガソリン事情がひどく、給油は困難

※仙台駅前は外観上では大きな被害は見受けられないが電気の消えたビルが目立ち閑散としている状況

※仙台市内はガソリン事情が最悪で給油待ちの無人の駐車車両が3~5km続いていました


木皿さん@NWへ20L給油、義援金及び差し入れのおにぎり受け取り

佐藤さん@11期 北クラスへ20L給油

☆18日朝、気仙沼で行方不明となっていた父親と連絡が取れたので 「これで早速迎えにいってきます」とのことなので車に乗せられるだけの救援物資を積み込んで現地の避難所へ支援要請

東海林さん@9期へ20L給油、義援金及び差し入れ受け取り

門田さん@10期へ20L給油、救援物資引渡し

仙台市泉区の自宅内部の治安状態を確認



仙台市泉区のベースキャンプにしている猪俣さん@10期の書店へ救援物資引渡ししてライフラインが復旧していない地区への救援物資(ランタン、ツーバーナー、クーラーBOX等)受け取り


川又さんの自宅へ移動して2時頃就寝


■3月19日

山形⇒新潟へ再度上陸して携行缶へ満タン給油、ペール缶へ軽油満タン給油を決意

川又さん宅を出発して多田(片桐)さん@10期、安藤さん@11期と寒河江で合流して情報交換して安藤さんは別働部隊で新潟へ燃料確保に行動を決意


土屋さん@12期と長井で合流して長井⇔新潟の運転応援いただく

☆土屋さんも独自ルートで携行缶(30L)確保


新潟市のスタンドで携行缶にガソリン145L、ペール缶に軽油140L確保

中山さん@9期と合流して情報交換後、長井へ土屋さんの運転で移動


長井⇒寒河江へ移動して須藤さん@11期と合流して20L給油、携行缶引渡し多田(片桐)さん@10期へペール缶の軽油60L引渡し


川又さん@14期と合流して東根⇔仙台の運転応援いただく


木皿さん@NWへ20L給油、携行缶引渡し

門田さん@10期と合流して20L給油、携行缶、救援物資引渡し

☆熊谷さん@9期向けの救援物資も託しました


伊藤さん@OMORN(取引先)へガソリン20L給油

桐山さん@SOLINK(取引先)へガソリン10L給油、携行缶引渡し

川又さんの自宅へ移動して1時頃就寝


■3月20日

山形⇒新潟へ移動して中山さん@9期と合流、昼食

ガソリン満タン給油して関越⇒環八⇒首都高⇒東名⇒小田原厚木道路で

小田原に帰着



総走行距離2500kmでした。

とても一人ではやりきれない状況でいしたが各地の塾生が支援してくれた

おかげで今回の支援活動を無事に完了することができました。

心より感謝いたします。



今後の支援体制は本日、渋谷さん@3期と協議してきます。

支援内容についてはおかれている状況によりニーズが多岐にわたるため適材適所で支援できるように情報収集、取り纏めをしていきます。

まだまだ、復興には多くの皆さんのご支援が必要です。

現地現物での支援だけではなく全国の皆さんでできることを

ご支援いただけますよう心よりお願い申し上げます。



直近の最大課題はガソリン、軽油、灯油と考えています。大量の燃料を現地へ運ぶ手段に苦慮しています。どなたかお知恵があれば教えてください。


現地の皆さん、昨晩のメールでもお伝えしましたが日本全国が応援に駆けつけてくれています。

通信手段がある方はどんどん現場ニーズを連携ください。

もちろん、こちらから現地へ伺って情報収集に努めます。

共に復興に向けて力を合わせましょう!

義援金を募ります

2011年3月18日 上甲晃 |

今後の緊急援助活動と救援物資調達のための義援金を募ります。

振り込み口座は、郵便振替 00270-5-3521 志ネットワーク友情基金。

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