服をつくる

上甲 晃/ 2001年10月24日/ デイリーメッセージ/

「この地に住み着くようになると、その先生の教育力は飛躍的に向上します」。この日に訪問した北海道家庭学校の元校長であった谷昌恒先生が、かつて私に語ってくれた言葉である。松下政経塾の中に住み込んでいた私には、その言葉が痛く共鳴・共感するものであった。家庭学校の敷地内に住む先生方は、子供たちと寝食をともにするのだから、苦労は並大抵ではない。ともすれば、こんなところから出て行きたいと思うこともあるだろう。そんなふうに考えている間は、十分な教育力を発揮できない。そこを、終(つい)の棲家(すみか)と心に決めたときから、その人の教育力は飛躍的に向上するというわけである。

北海道家庭学校の小田島校長は、「いろいろと心を煩わせることが続きます」と言いつつも、言葉の端々に、この地に住み着き始めたような印象を私は感じた。「この花はね、春先には鮮やかに咲くのです」、「この間、ここの窪みに熊がいたのです」、「冬にはこの牧草地でスキーしています」。ごく当たり前の何気ない言葉に、その地に住み着いた者でなければ感じ取れないものを感じ取った。「家庭学校の教育の大きな特徴の一つは、自ら体験すること、びっしょりと汗をかいて体験することがあります。かつて、創設者であった留岡幸助氏の子供の留岡清男氏が校長であった当時、生徒が服を汚して困ったことがありました。何度注意しても改まらない。そこで清男校長は、洋服の生地を買ってきて、生徒たちに自分の服を自分で作らせたことがありました。すると、生徒たちは服を汚さなくなった。そのことから、家庭学校では、可能な限り必要な物は自分たちで作らせるようになりました。橋も作ります。側溝も作ります。野菜もバターも味噌も、自分たちで作ります。自分で橋を作ると、大雨が降ったとき、橋が大丈夫だろうかと気になる。気づく力が育ってくるのです。気づく力は、思いやりの心を育ててくれるのです」。小田島校長先生は、きわめてわかりやすく、北海道家庭学校の教育の基本的なあり方を話してくれた。その話し振りに、小田島校長先生の自信のようなものを感じたのは、私の思い過ごしだろうか。

自ら作るという行為は、作った物への気づきの力を与えてくれる。裏返すなら、気づきの力を育てるためには、可能な限り、額に汗をして自分で作ってみることである。私の主宰する『青年塾』でもまた、自らが苦労して作ることに力を入れているのは、気づく力を育てるためだ。