主人公

上甲 晃/ 2002年3月8日/ デイリーメッセージ/

「君は、川流(せんりゅう)を汲め、我は、薪(きたぎ)を拾わん」。私の大好きな文章の一節である。これは、大分県日田にある、広瀬淡窓の開いた私塾での生活の様子を表わしている。今風に言えば、共同生活のありさまを指しているが、もう少し、意味は深い

「君は川の水を汲んできてくれ。私は、山へ行って、薪を拾ってくるから。そしてみんなで力を合わせて、一緒になって食事を作ろう」。そんな意味である。聞くところによると、川の水を汲むのと山で薪を拾うのとでは、川の水を汲む方が楽な仕事だったそうだ。君には楽な仕事をしてもらいたい、私は、困難な仕事を引き受けるからといった、そんな意味も含まれていると聞いた。

『青年塾』の修了発表会の準備の風景は、まさに、「君は、川流を汲め、我は、薪を拾わん」そのものであった。ほとんどの塾生諸君が、準備のために、前の日から集まった。私は何も口出ししない。ただ、全体の動きに目を配っているだけである。塾生諸君が、自らの計画に従い、時間に正確にすべてを運営している。

準備している会場の隅で、私はこの文章を制作している。パソコンの画面から目を上げて会場を見回してみると、30人ほどの塾生が準備に余念がない。看板を掲げている人たち、書籍販売の場所をつくっている人たち、厚紙を切っている人、志のフラッグをつるしている人、みんながそれぞれの持ち場持ち場で、整然と、そしていそいそ働いている。ぶらぶらしていたり、手持ち無沙汰で所在の無い人のいないのが、何ともうれしい。別の場所では、塾生諸君の手によって、夕食作りが進められているのだ。朝食も夕食も自分たちで作ることになっている。

「命じられて動く」というのでは、いかにも弱い。自分で考えて、自分から動く。まさに主人公意識を持つことこそ、喜びの源泉である。同じ物事をするのなら、「言われてやる」よりも、「自分から進んでやる」方が、終わったあとの感動もひとしおである。また、自分から進んでやることは、苦労を苦労と感じさせない。それどころか、苦労が血となり、肉となって、身についていく。

『青年塾』では。命令されて動くのではなく、自分で考えて自分から動くことが基本。合言葉は、「私にやらせてください」。いつも周囲を見回しながら、今、自分にできることは何かを考えて、行動する。また、みんながともに汗をかいて苦労することこそ、お互いの心の絆を結んでいく最良のであると、改めて教えられる場面が目の前にある。