人間としての強さ

上甲 晃/ 2002年7月2日/ デイリーメッセージ/

次の時代を担う美容師を育てることを目的として設立された『若竹塾』の研修が、昨日から、軽井沢で行われている。私たち夫婦も、この研修にはお付き合いさせていただいている。今回は、特別な外部講師を招いていない。塾生たちが、お互いにより深く知り合うことを目的として、「自分を語る」というテーマで、一人十五分の発表をすることになっている。この日は、終日、塾生諸君の発表を聞かせてもらった。

塾生諸君の大半は、美容室の店長クラス。若いスタッフを抱えながら、一つの店の経営を任されている人がほとんどである。経営者からの強い要求と、若い社員からのさまざまな圧力のはざまにある人たちばかりである。一人一人の発表は、身につまされるような中間管理職の悩みや苦しみそのものであった。何人もの塾生が、時には感極まったり、時にはこみ上げてくる感情を抑え切れずに、涙を流した。

「私は弱い人間です。もっと強くなりたい」、そんな言葉を何度耳にしたことであろうか。思うようにいかない日常生活の苦しみから抜け出て、快刀乱麻、様々な課題や問題をばったばったと片付けて、売上げをぐんぐん伸ばしていけるような゛強さ゛が欲しいと言う悲痛な声が、今も耳元に響く。

しかし、私は、あえて゛強くある゛ことを否定した。゛強い゛ことが本当にいいことなのだろうか。そんな悩ましい問題提起をしたのである。弱肉強食。世の中、強ければいいという風潮ばかりではないか。そしてその裏返しとして、弱いことが致命的な欠点のように嫌われる。しかし、一見、強そうに見える人が、実は弱い人であったり、弱いように見えていた人が、他人の苦しみや悩みに対して深い共鳴・共感をもつ人であったりする。だから、何をもって強いと言い、何をもって弱いと言うのか、実はわからないというのが私の率直な思いである。だから、無理して強くなければならないと思い込む必要はない。

強さを言うなら、『本当の強さ』を求めるべきだ。『本当の強さ』とは何か。『本当に強い生き方』とは何か。それは真理に基づく生き方ではないかと思う。正義に基づく戦いに挑むのも、『本当の強さ』への道筋である。真理に基づいて生きる人こそ、『本当の強さ』を持った人と言いたい。人を犠牲にしたり、人を踏み台にして、力づくで人を押しのけたり、人を征服したり、人を叩きのめすことをもって強いとは言わない。私たちは、生涯かけて、『本当の強い人間』になりたいものである。『本当の強い人間』は、弱さを深く理解している人でもある。