恥ずかしいこと

上甲 晃/ 2002年11月7日/ デイリーメッセージ/

明日の美容界を担って立つリーダーを育てることを目的として設立された『若竹塾』の第二期生・最終講座が三重県伊勢で開催された。ほぼ二年間、この二期生諸君とお付き合いさせていただいた。最初のころの幼さが消えて、随分たくましくなったことがうれしい。私が育てたのではない。「自らが育つ力に火がついた」のである。人は、自らの内なる自己成長力に火がつくと、みるみる成長するものである。人から言われたからやるといった程度の成長力ではたかが知れている。私の教育方針は、「私が手取り足取りして育てる」のではない、「自らが成長する力に火をつけること」である。

ある塾生が、神道についての発表の中で、「私は何も知りませんでした。本当に恥ずかしいことです」と正直な気持ちを吐露した。しかし、私は、「それは決して恥ずかしいことではない」と断定した。「知らないことは何も恥ずかしいことではない。第一、人間が知っていることなど、本当に限られている。知らないのが普通であり、当たり前である。恥ずかしいのは、知らないことを知りたいと思わないこと、知らないことを知ろうとしないことですよ」、そんな風に指導した。繰り返したい。「知らないことは少しも恥ずかしくない。知らないことを知ろうとしないことが恥ずかしい」のである。

そしてもう一つ付け加えた。「皆さんは今回の研修で、神道について学びました。色々勉強になったことでしょう。問題はここから先です。人はどういうところで差がつくか。今回の学びをきっかけとして、新しい学びを始められる人と、今回の学びでそのまま終わってしまう人、それが差になって現れるのです」。たいていの人は、「色々勉強になりました」で終わってしまう。ところが成長する人は、それをきっかけとして、新しい学びを始めることができるのだ。「あの時がきっかけとなり、それから随分神道について学ぶことができました」と言えるような学びができる人は、成長する。繰り返したい。「そこで終わってしまう人と、そこから始められる人。同じことを勉強しても、差は大きい。そこから始められる人になって欲しい」。

『若竹塾』の二年間の講座は終わった。ほとんどの人たちは、元の現実に戻り、それとともに再び、やがて現実に深く埋没していくだろう。「終わった」人たちだ。しかし何人かは、講座が終わったあとから成長路線に入ることであろう。最終講座で、「終わった人」と、最終講座から「始められた人」の差である。