隔離

上甲 晃/ 2002年12月1日/ デイリーメッセージ/

「らい予防法」という名のいまわしい法律が廃止されたのは、今からわずか五年前のことである。らい病は、今でこそハンセン病と呼ばれ、感染性が極めて弱いこともわかり、すぐに治癒する特効薬も次々に開発された。しかし、この病気が、かつてどれほど人々から恐れられ、嫌われてきたことか。らい病は重症になると、鼻や耳、手などが著しく変形し、さらに感覚障害のために五感が麻痺するために、いつの時代も、どこの地域でも、深刻な差別を引き起こしてきた。

私がこの病気のことを知ったのは、子供の頃、母親に連れられて見た映画・ベンハーのシーンである。チャールトンヘストンが扮する主人公の母親と妹がらい病にかかり、死の谷に棄てられる。顔が醜く変形した母親と妹は、いつもぼろぎれのような布を頭からかぶり、人目を避け続けていた。食糧が、深い谷の下に、手動式のリフトで下ろされていく。そのシーンの強烈さから、らい病の怖さを深く刻み込まれた。

日本では、千九百七年、今から百年ほど前、「強制隔離政策」が始まった。らい病にかかった人たちを、強制的に収容して、そこから一歩も外には出さない政策である。病気のための強制収容所である。この隔離政策が、どれほど多くの患者の人権を奪い、家族を崩壊させ、不幸のどん底に突き落としてきたことか。

民族浄化。実におぞましい言葉である。ナチスドイツがユダヤ人を大量に殺戮した事実を思い起こさせる。その民族浄化という名の下の差別が日本でも行われた。らい病患者は、一般社会から完全に切り離され、一生涯を閉じ込められた空間の中で過ごすように義務付けられてきたのである。しかも、つい数年前まで。

今から五年前に、ライ予防法を廃止する法律が成立され、隔離政策はなくなった。しかし、ハンセン病の元患者さんたちが原告となり裁判が起こされた。それは、まず国が謝ること、次に今までの被害に対して弁償すること、そして療養所から出たい人たちが出られるような支援をすること、最後に真相の究明をすること、その四つが裁判を起こした理由であった。裁判は異例のスピードで終結した。原告側が勝訴し、国は小泉首相の決断により控訴を断念して、すべては決着した。

法的には解決したものの、差別に苦しんできた元患者さんたちの心に深く刻まれて傷は、簡単に癒されるものではない。「今まで死んできたから」、そんな言葉が深い傷跡をうかがわせる。「人に知られたくない」、「家族に迷惑をかけたくない」。その気持ちは今も根深いと言う。