家庭学校の教育

上甲 晃/ 2002年10月18日/ デイリーメッセージ

「家庭学校の教師たちは、この場所に住み着き始めると、飛躍的に教育力が向上します」。そんなことを教えてくれたのは、北海道家庭学校の前の校長である谷 昌恒先生だった。その話を聞いたのが、私が松下政経塾に在職していた頃だから、もう十年近く前のことだ。当時、私は松下政経塾の敷地の中に住み込んでいた。「あー、こんなところ嫌だな。早く外に出たいな」と思っているうちは、本当の教育はできない、「ここが終(つい)の棲家(すみか)である」と腹をくくったときから本当の教育が始まる、そんな意味ではないかと自分なりに解釈して、自戒したものだ。

北海道家庭学校の校長である小田島好信先生は、今年、六回目の冬を迎えると言う。小田島校長先生は、『青年塾』の塾生諸君を案内しながら、「ここにはキノコが一杯生えています」、「礼拝堂の前に落ち葉が舞っている様子も美しいですね」、「この犬は、人にかまって欲しいから吼えているのです」などと、説明してくれる一言一言が、この地に住み着いておられる様子をうかがわせる。住み着かなければ、敷地の中の一木一草に至るまで、関心の目が向かない。

小田島校長の話は、住み着いた人が持つ迫力にあふれていた。失礼ながら、毎年、話をお聞きするたびに、内容に迫力が出てくる。家庭学校の仕事を人生のテーマとして受け止め、全身全霊を傾けておられる人だからこそ、力強さが増してくるのであろう。

まずこの日、小田島校長は、北海道家庭学校が厳寒の地である北海道・遠軽に創設された理由を説明してくれた。「もともと、家庭学校は、明治三十二年、東京の巣鴨に創設されました。その後、大正三年、北海道のこの地に北海道家庭学校が設立されました。創設者の留岡幸助先生は、気候温暖な地に学校をつくるつもりはなかったようです。教育には、自然環境の厳しい土地が良い、初めからそのように考えておられました。厳しい自然環境が、人を育てるのです。私たちは、人間が人間を育てると思い込んでいますが、自然もまた人を育てます。それどころか、厳しい自然の持つ教育力は、人間の持つ教育力をはるかに上回るものがあります。家庭学校がこの地につくられたのには深い思いがあったことを、教師は承知しなければなりません」。

自然の持つ教育力。夏の暑い時には三十度を越し、厳寒の冬にはマイナス二十度を越える遠軽の地は、年間の温度差が五十度を越える。自然が厳しいと、人間は自然とのかかわりを真剣に考えなければならない。北海道家庭学校では、伝統的に、毎朝、「昨日のガラス破損昨日何枚、本日何枚」と報告する慣わしになっている。「私が最初にここに来たとき、変なことを報告するなと思いました。非行少年たちだから、次々にガラスを割る子供が絶えないのかとも思いました。しかし、そうではありませんでした。厳しい寒さにガラスが割れる。それを報告しているのです。厳しい自然は、自然と人間の関係を見つめなおす機会を与えてくれます。また、この家庭学校では、゛働く教育゛に力を入れています。林業、酪農、農業など、厳しい自然条件の中で働くからこそ、お互いに力をあわせなければならない。厳しい自然条件は、人と人との関係を見直す機会も与えてくれます。今の世の中、分業が進み、自然とかけ離れたところで働くので、人と自然の関係、人と人との関係が見えなくなっています」。そのような説明をしながら、小田島校長は、身振り手振りで、話に熱を入れる。

北海道家庭学校は、゛実物教育゛にも力を入れている。生徒たちは、野菜をつくり、ミルクを搾り、木を切り出し、机や椅子を作る。「生徒たちは、汗を通して、みんなとの関係を知ることができます。この野菜は、夏の暑いときにみんなで汗を流して収穫したものである。この机は、みんなで苦労し苦労しながら作りあげたものだと知る。みんなの苦労が見え、みんなの汗がわかり、みんなの苦心の後がうかがえる。そこに感謝の思いが生まれ、人への思いやりの心がはぐくまれるのです」と、小田島校長は語る。私が、『青年塾』の教育において求めているのと、まったく同じものがそこにあった。

『青年塾』の研修のとき、食事はコンビ二弁当にする方法もある。あるいは、レストランで食べることも一つの方法である。そのほうが、手軽で、手間がかからない。しかし、残念ながら、人の苦労を知ることはできない。『青年塾』では、可能な限り、食事づくりは自分たちでする。あるいは味付けが多少うまくいかない時もある。しかし、このねぎを切るのに誰がどんな苦労をしたか、この野菜を刻むのに、誰がどんな汗を流したかが全部見える。みんなの苦労が見えるのだ。汗が、みんなの心をつないでいくのである。心の教育とはそのようなことをさす。

研修の準備もすべて塾生諸君にやってもらっている。仕事をしながら準備をすることの大変さをみんなが知る。人に全部世話をしてもらったら、人の苦労が見えない。だから、感謝の心など生まれるはずがない。感謝の心がなければ、思いやりの心は望むべくもない。北海道家庭学校の教育の理想は、『青年塾』の教育の理想と根本的に共通しているのである。改めて、手間ひまかけて、苦労の実体験をしよう。

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