天下の大道を歩きたい

上甲 晃/ 2003年1月1日/ デイリーメッセージ/

五十年に一回めぐってくる大転換期。私は、今と言う時代を勝手にそのように思い込んでいる。それが正しいか、正しくないかは、誰も確かめようがない。第一、そんなことは確かめる必要がない。きわめて主観的な問題であるし、それが証明されるのは、これから百年も後のことだ。

今の日本を見ていても、あるいは世界を見回してみても、物質的欲望を求めて、金銭的な価値観ばかりがのさばっているではないか。私は、この状況を資本主義とも呼ばない。資本主義には、もう少しましな倫理観と哲学があった。現在は、共産主義も行き詰まり、資本主義も行き詰まり、物欲主義が地球的な規模で徘徊している時代であると理解している。今は、世界的な規模で、物質的贅沢を得るために、なりふり構わずに金銭を求める時代なのである。しかも、金が金を生む異常さが、年を追うごとに顕著になりつつある。「額に汗を流しながら、こつこつとお金を稼ぐ」ような時代ではなくなりつつあるのだ。

アメリカに高邁なる哲学はあるのか。中国に高邁なる哲学はあるのか。ヨーロッパの各国はどうか。どの国も、口ではもっともらしい大義を唱えているが、金のためには、戦争も辞さない姿勢である。日本も例外ではない。「武士は食わねど、高楊枝」などといった美学は、今や、世界の物笑いのタネ。それにしても、世界的規模で、さもしく、卑しい時代になったものだ。グローバル化などというと、いかにも聞こえが良いが、「世界的規模でのマネー戦争、マネーゲームの時代」の裏返しではないか。

「人は、パンのみにて生きるにあらず」。お金は大切で必要ではあるが、本来、人間が幸せに暮らすための手段であったはずだ。それがいつの間にか、目的となってしまった。金を稼ぐ力をもつ者が、まるで人間としての力をもつ者を意味するようになってしまった。古来、戦争などというものは、どんなに大義を掲げてみても、経済的利益を求めるもの以外の何ものでもない。アメリカだって、イランと戦争をしたくてしたくてたまらないのだ。ただ、本音丸出しに戦争をするわけにはいかないので、大義を求めて、いろいろと難癖をつけ、理屈を捏ね回しているのだ。

世界が挙げて、物欲主義に目の色を変える二十一世紀、せめて、天下の大道を、大手を振って歩くような生き方をしたいものである。人から見られて恥ずかしくない生き方などではない。天から見て恥ずかしくない生き方を貫き通したいものである。物欲主義がのさばる世界において、物欲に超然とした生き方を貫きたいものだ。「奇麗事を奇麗事に終わらせるのではなく、現実化できる人」になりたいものである。