付き合いきれる人が増えてきた

上甲 晃/ 2003年3月21日/ デイリーメッセージ/

知らないことは、いたずらな不安感を増幅するばかりである。無知は、恐怖をもたらし、影にさえおびえてしまう。

中国について、日本人の受け止め方は実に様々である。ある人は、親しみを覚え、ある人は頭から否定し、ある人は、関係ないと無関心を装う。中国の事業で失敗した人たちは、「もうこりごりだ」というケースが多い。もちろん、その実感を否定するわけではないが、もっともっと中国について多角的で、深い理解をしておれば、もう少し異なる受け止め方、印象をもてたのではないかと思うケースが多い。

二十一世紀、日本にとって、中国は避けて通れない国である。好き嫌いを越えて、深くお付き合いせざるを得ない関係になっていくことは自明の理である。好きだから付き合う、嫌いだから付き合わない、そんな悠長なことなど許されないほど深いかかわりを持ち合うことになる。だから、日本人は、中国に対して、深く、冷静で、多面的な理解をするべきであると私は考えてきた。できれば、十年間、中国を右から左から、上から下から、縦から横から、正面から斜めから、とにかく観察し続け、研究し続けていくのである。そうすれば、中国と、対等で、適切で、実りのあるお付き合いと関係が生まれると、私は確信している。

第三回目の中国理解講座を終えて、私は、中国に対するいささかの親近感を覚えている。今でも、平気で唾を道路に吐いたり、テーブルの下に物をぽんぽんと捨てながら食べている人たちの姿を見たり、私が行儀良く並んでいる前に平気で割り込んでこられたりすると、「とても付き合いきれない連中だ」と思う。しかし、一方において、理性的で、マナーも良く、品性・知性共に優れた人たちとのお付き合いが広がっていくと、少しづつ、この国に対する親しみが増していくのである。三回も継続して訪問すると、付き合いきれる人たちの数が、徐々に増えてくる。そしてそれと共に、この国の人たちとの距離が縮まっていく気がする。相手もまた、私が感じているのと同じことを感じ始めているかもしれない。

例えば、「三国志」一つを取ってみても、中国人と日本人には、共感がある。この種の共感は、中国人とアメリカ人やヨーロッパの人たちとの間にはない。「三国志」の話になると、中国人と日本人の会話は、まるで同じ国の人たちのようにはずむ。だから、「三国志」を読み込み、その世界に関心をもつことは、そのまま中国の人たちとの共鳴・共感につながっていく。人間同士でも、国同士でも、相手を好きになる第一歩は、相手に対して関心をもつことだ。