うれしい参加

上甲 晃/ 2003年4月15日/ デイリーメッセージ/

「先輩の皆さんは、壇上に並んでください」。そんな一言に促されて、『青年塾』の先輩諸氏が、会場に設けられた舞台上に並んだ。第七期生入塾式後のパーティでのことである。しかし、余りにも人数が多すぎて、とても壇上には並びきれない。舞台の前にも一列に並んだ。私は慌てて、人数を数えた。三十七人。その前に既に帰ってしまった人たちもいる。合わせると、先輩諸氏は、第七期生の入塾式に、四十人以上は参加してくれたことになる。

九十三人の入塾者を受け入れるのに、四十人を越える先輩諸氏が応援に駆けつけてくれた姿は、大感動だ。四十人を越える先輩諸氏は、自腹を切り、後輩のためにすべての役割を果たしてきた。私は、彼らに、手当ても、交通費も支払っていない。お金がもらえるから参加したのではない。自らの意志で、後輩のために参加してくれたのだ。それがたまらなくうれしかった。我田引水ではないが、今時、珍しい風景である。

『青年塾』が成功していると実感するのは、先輩や後輩にかかわらず、塾生諸君が骨惜しみすることなく、みんなのために力を発揮してくれることにある。今回の入塾式でも、東海地区はもとより、関西や首都圏、さらには九州や北海道からも先輩諸氏が、駆けつけてくれた。式典の司会をした斎藤和子さんは、着物を販売している職業柄、札幌から着物姿で馳せ参じた。そして司会をしながら、「青年塾生を実感しました」と声を潤ませた。私が導いてみんなが目を開いたのではない。自分自身の心のもち方により、自らの内なる可能性に目覚めたのである。心を開き、人のために骨惜しみなく働けば、人はこんなにも良い方向に成長するものかと、私自身、改めて教えられる気がする。

教育とは、英語で表現するとエデュケーション、すなわち「引き出すこと」と言われるが、その意味を改めて感じさせられる。「教えてやる、導いてやる」、指導する側がそんな気持ちをもっている間は、相手の心を開くことはできない。一人一人の内なる可能性に目覚めさせることこそ、教育の最大の要諦であろう。人は、生まれた時から、目に見えない力が働いて、もともと成長するように仕組まれているのだ。ただ、心が開かれないと、可能性は蓋をしたままになってしまう。

私は、慌てないことにしている。早く成果を上げようとあせると、塾生の心がゆがんでくる。人は心を開くのに、いささかの時間がかかる。そのいささかの時間を待てないために、教育成果が損なわれるのだ。「待つことは愛」と教えられた意味が改めて理解できる。