熊野、そして那智

上甲 晃/ 2003年9月28日/ デイリーメッセージ/

熊野古道が、今、人気である。間もなく、世界文化遺産に登録されるとも言われ、人気に拍車がかかっている。平安時代から、熊野詣は、天皇から庶民にいたるまで、大勢の人たちでにぎわった。蟻が行列を成しているように、お参りする人たちが途切れることなく列をなす様子は、『蟻の熊野詣』と言われたほどである。そんな話を聞くにつれ、熊野は日本人の精神の原点を表わしているような気がしてならなかった。我々の先祖が、都から、あるいは全国各地から、一カ月、二カ月の時間をかけて、熊野に参拝したと知り、私もまた、是非行ってみたいと願い続けていた。その私の思いを受けて、『青年塾』第七期生関西クラスの人たちは、熊野大社のすぐ側で研修する手はずを整えてくれた。

大阪の天王寺から乗った特急は、本州最南端の駅である串本からさらに紀伊半島を三重県のほうに回る。やがて紀伊勝浦に到着する。大阪市内からの所要時間はおよそ三時間半。紀淡海峡から太平洋を望む沿線の景色は美しいが、とにかく遠い。駅に着くと、マグロと鯨の看板がやたらと目に付く。ここ紀伊勝浦は、生マグロの水揚げ基地として全国第一の実績を誇る。鯨は、近くの大地が有名だ。漁業の衰退、主力農業であるミカンの低迷などで、産業は干上がりつつあると聞いた。駅前の商店街は、典型的なシャッター通り。昼下がり、人の姿はまったく見えない。駅から車で二十分。那智大社にいく途中の宿が、今回の研修会場である。゛おく勝浦゛と名乗る宿は、古くて、庶民的。宿の台所を借りて自炊した。食器は、各自持参。掃除すべて自己負担。

最終日、熊の古道を歩いた。杉の木が林立する山に、苔むした石畳の階段が続く。過ぎ去った千年の時間に、私たちの先祖は、どれほどこの道を信仰の心を胸に秘めて歩いたことであろうか。うっそうとした杉の山は、すべてを静寂の中に包み込んでしまっている。先人たちの踏みしめた石の階段を、先人達が息を弾ませながら上ったように、私たちもまた、息を荒げた。しかし、心が静まる。信仰の地に至る道には、言葉には表現しにくい霊的雰囲気があるようだ。

那智大社に参り、それから滝に回った。滝の高さと熊野大社と西国三十三所一番札所・青岸渡寺とは、すべて同じ高さにある。古代の人たちの敬虔な心と深い思いに打たれる。那智の滝そのものが、一つの神様である。日本人は、百三十三メートルの高さから白いしぶきを上げながらまっすぐ落下する水に、神を感じたのだ。滝壷に虹が出た。みんなが歓声を上げた。虹に、神を見たような喜びの声がひときわ大きかった。