成人式

上甲 晃/ 2004年1月21日/ デイリーメッセージ/

「今年の成人式も、全国各地で、ずいぶん荒れました。中には、ディズニーランドで成人式を行うことも検討されていると聞きます。何のための成人式か、成人式の目的は一体何か、疑問に思います。萩の成人式は、今年もまた、厳粛な雰囲気のうちに行われました。日本でも、一番厳粛な雰囲気の中で行われた成人式ではないか、そんな自負もしています」と話してくれたのは、萩市長の野村興児さん。成人式で、一升瓶をラッパ飲みしているような映像を見るたびに、苦々しい思いをしてきた私は、野村市長の話をまことに新鮮に受け止めた。

野村市長は、成人式が荒れる原因の一つとして、主催者の責任を指摘する。「市長の挨拶文の原稿を見たら、十年一日のような決まり文句ばかり、これでは、新しく成人になった人が、心を新たにすることなどできない。挨拶一つも、新成人の心の響くような内容のものを年々考えなければならない。次々と挨拶に立つ来賓諸氏が、お決まりの退屈な挨拶を延々としていたら、若い人たちが暴れたくなるのも当然だ。また、主催者が、何のために成人式を行うのか、その意義をしっかりと理解していないから、目的からどんどんと離れて、若い人に迎合するような内容のものばかりになる」。若い人たちに問題があるというよりは、主催する側に問題ありとする姿勢は、私も大いに共鳴共感するところだ。

「今時の若い者は」と切り捨てることは簡単だ。しかし、若い人たちもまた、時代の子である。親の世代がしっかりとしておれば、決しておかしなことにはならないはずだ。大人の責任。それを痛感する。大人をさらに限定して言うならば、「若い人たちを導く立場にある大人たち」である。私などもその範疇に入る。広く言えば、゛おじさん、おばさん達゛だ。

どうやら、成人式が荒れるのは、゛おじさんやおばさん達゛が若い人たちになめられている証拠ではないだろうか。言葉を変えれば、若い人たちは、゛おじさんやおばさん達゛を馬鹿にし、軽んじているのだ。

おじさんやおばさん、さらにはおじいさんやおばあさんが、若い人たちから畏敬の念をもって迎えられていないことに、まず気づかなければならない。若い人たちが一目置くような生き方を過去にしてきたか、今現在しているか、これから先もしようとしているか、それを鋭く問われているのだ。歳を重ねるに従い尊敬される生き方をする。それがおじさんやおばさんの責任であり、おじいさんおばあさんの責任だ。

明治維新を起こした萩の町には、いささか気骨や気概、格式が残っているようだ。若い人たちは、それを敏感に感じ取っているのだろう。