世も末

上甲 晃/ 2004年3月8日/ デイリーメッセージ/

ホテルの外からガラス越しにロビーを見た時には、華やかな着物姿の群れにしか見えなかった。どこかの女子大学の卒業謝恩会が開かれているのだろうと思いながら、横の入口からロビーに入ろうとした。入口のドアーを押そうとして驚いた。入口の横に置いてタバコの吸殻入れを囲んで、着物姿の女性がかがみ込み、ぷかぷかとタバコを吸っているのだ。着物姿が華やかなだけに、その姿は異様を通り越して、醜いと思った。

ロビーの中で談笑する女性達も、着物姿のあでやかさとはかけ離れた醜い姿をさらしていた。「酔っ払っちゃったわ」などと、大きな声で怒鳴っている人もいる。しゃべり方に、つつしみ深さや奥ゆかしさなどかけらも無い。外見の着物は上品であっても、中身の人間性はどうしようもないほどに下品である。目を覆い、耳を塞ぎたくなった。

福岡のキャナルシティにあるグランドハイアットホテルにたどり着いて、私は自分の間違いに気がついた。私の目的とする講演会の会場はここではない。このホテルから車で十分ほど離れたところにあるハイアットリージェンシーであった。着物姿の女性達の醜さに辟易して、逃げるようにしてロビーを後にし、早々にタクシーに乗り込もうとした。そこで目撃したのも、別の着物姿の女性達が座り込んでタバコを吸っている姿であった。とても絵にならない光景だ。

私が乗り込んだタクシーの運転手さんも、客待ちをしながら、入口に座り込んでいる女性達を呆然と見ていたようだ。タクシーに乗り込んだ途端に、「ひどいですな」と私に声をかけてきた。「着物は美しいけれども、中身の人間が美しくない」と、私も吐き捨てるように同意した。運転手さんは、「先ほどから見ていましたが、手にしているのもすべてブランド物の高級品ばかりです。贅沢なものです」とさらに追い討ちをかけた。

日本人が、美しくなくなった。凛々しさも消えた。奥ゆかしさ、つつましさ、楚々とした様子、そんな言葉がすべて死語となりつつある。悲しいではないか。昔は今ほど贅沢ではなかった。持ち物も、質素で、つつましかった。それでも、中身の人間性は、今よりはずっと優れていた。゛外見二流・中身一流゛であった。今は逆だ。゛外見一流・中身三流以下゛。それどころか、眉をひそめたくなる醜さがある。

若い女性だけでない。中高年のおばさん達の多くも、中身は三流。つつましさを失った姿は、醜悪でさえある。立居振舞にも美しさを求めた日本人の精神性の高さを今一度取り戻したいものだ。せめて、私の主宰する『青年塾』や『志ネットワーク』は、゛美しい心の集団゛でありたい。