熊野詣

上甲 晃/ 2004年9月25日/ デイリーメッセージ/

和歌山、奈良、三重の三つの県にまたがる熊野が、世界遺産に登録されたのは、今年の四月である。私がいつも利用する南海電車は、車内のポスターはもとより、ターミナルや駅などにも、「世界遺産に登録」を大きく売り出している。また、熊野に関係する美術展なども、開催されている。今、ちょっとした゛熊野ブーム゛である。

この三日間、熊野の中心とも言える熊野本宮大社の入り口にある瑞鳳殿を借りて、『青年塾』関西クラスの研修を行った。大社へ上がる階段のすぐそばにある建物は、もともと、昭和四十二年に篤志家から大社に寄付されたものである。現状は、かなり老朽化しているし、何よりも掃除を始めとする手入れが行き届いていない。お借りしながら言うのもはばかられるが、「いささか居心地の悪い建物」になっている。ただ、熊野本宮大社の境内にあるから、神域の雰囲気を味わうことができるのはありがたい。

朝六時、まず、かつて本宮大社が建っていた場所まで散歩した。その地を、「大斎原」と呼ぶ。熊野川の中洲にある。古来、盛んであった熊野詣は、この大斎原にある神殿をめざしたのである。明治二十二年、今から百年少々前、熊野川の氾濫で起きた大洪水が、神殿を襲った。辛くも流失を逃れた社殿は、そのまま現在の場所に移築された。だから、中州にはごく最近建立された大鳥居が建つものの、あとは平地である。

私は、この中州の雰囲気が気に入った。いかにも、神々の宿る地を体感させる雰囲気に満ちているのだ。大斎原は、熊野川の川原とつながっている。川の向こうは、熊野の山々がそびえる。辺りを見回すと、すべて山、山、山。その山々に白い雲が低くかかっている様子も、神の住まう地を髣髴とさせる。日本一の高さを誇る鳥居と、手水だけがあるのもいい。

かつての社殿の跡には、二つの石の祠が、頑丈に鍵をかけられて、立っている。それ以外は、緑の芝生である。石の祠が何かは、どこにも、何の説明もないので分からない。祠の横にも、後ろにも、文字は何もない。私は、その素性を確かめるのをあきらめて、静かに石の祠に向かって拍手を打った。後で分かったことだが、石の祠には、流失された社殿の神々が祀(まつら)れている。

古来、゛ありの熊野詣゛と呼ばれ、都にいる天皇や上皇、皇族、貴族はもちろん、庶民が蟻(あり)のように行列をなして参った地に立ち、私は、先人と魂が通い合うような不思議な気持ちを味わった。