感動

上甲 晃/ 2005年7月21日/ デイリーメッセージ/

四泊五日のシルクロードの旅を終え、西安に戻った。私達の講座をしめくくる行事は、解団式である。必ず、参加者全員に、旅の間に感じたことを発表してもらう。三十八人が発表すると、一人の持ち時間を一分としても、四十分はかかる。しかし、私にとっては、これほど貴重な機会はない。また、この感想は文章にして、後に一冊の文集にまとめる。
幸いにも、今回の参加者の多くは、シルクロードに深い関心を持っていた。「いつか来たいと思っていた」、「念願のシルクロードに来ることができた」、「とうとう夢を果たすことができた」などと感想を述べる人が多かった。どうやら、日本人の多くは、仏教の源流とも言うべき敦煌、あるいはシルクロードに対して、関心が高いようだ。あるいは、NHKの報道の影響もあるかもしれない。
壁画の美しさ、砂漠の雄大さなどに、多くの人達が感動していた。ラクダに乗ってキャラバンよろしく砂漠を行ったことも、「月の砂漠そのもの」と、詩情をかき立てられた人も少なくなかった。そんな中で、不思議なことに、自然の計画にはなかった一つの民家の訪問が、「いかなる仏像や壁画、砂漠の美しさよりも印象に残った」と言う人が少なからずいたことである。写真を撮るために、偶然にバスが止まった場所の近くにあった民家。その中からひょっこりと顔をのぞかせた婦人の心が、多くの人達の心を打ったのである。
みんなが景色の写真を撮ることに夢中になっている間に、民家に近づいたのは、私であるから、そのときのことは私が良く知っている。おばさんは、入り口の戸をわずかに開けて、見慣れない私をいぶかしそうに見た。そこへ、親近感を持って近づくことにかけては、今回の参加者の中では筆頭とも言うべき黒田孝夫さんが現れた。私は、「おばさんと一緒に写真を撮りましょう」と持ちかけた。おばさんは、まったく躊躇せずに、何かしきりにしゃべりながらも、にこにこと写真に納まった。あまりにも愛想が良いので、家の中を見せてほしいと頼んだ。
その家は、外から見ても、中に入っても、人間が住む最低レベルの粗末さであった。土で固められた家。金目のものなど、何もない。狭い中庭にいる数頭の汚れた羊。暗闇から目だけをぎょろりとこちらに向ける寝たきりの老人。ただ一つの財産と言えば、使い古して壊れそうな籠の上に山のように盛られた桃とバナナぐらい。その桃とバナナのすべてを、私達に差し出してくれたのである。その心遣いが、旅の最大の感動であり、学びであったと言う人が、何人もいたのである。