村長の気骨

上甲 晃/ 2005年09月13日/ デイリーメッセージ

下条村伊藤喜一村長の口から出る言葉は、辛らつであるが、ポイントを射抜いている。昭和十年生まれ。言葉の辛らつな分、痛快でもある。
「地方公務員は、゛痴呆公務員゛になる危険がある」などといった言葉が、ぽんぽんと飛び出すから、聞いている者達は、ついつい話に引き込まれる。「公務員というものは、目標が示されないと、仕事はのろいし、やることはとろい。しかし、目標をきちんと示せば、実に良くやってくれる。とりわけ外の空気を吸うと、見違えるように良くなる」。自ら役場の職員を叱咤激励して、やる気にさせてきたからこそ言えることなのだ。
伊藤村長は、日本の未来を非常に心配している。とりわけ教育が危ないと心底思っているようだ。「まず親が悪い、例えば、朝起きて、自分はきれいにお化粧し、爪の先まで磨き上げて、後は時間がないからと、子供に食事もさせないまま保育所に連れてくる。そんなことが当たり前の時代になっています。先生も悪い、かつて若くて、きれいな先生がこの村の学校に転勤して来ました。早速、その先生のために、新しい一戸建ての家を提供しました。容姿も美しいけれども、ファッションもいい、いつもこぎれいでさっぱりとしている、実に魅力的な先生でした。その先生が転勤しました。先生が住んでいた家の様子を見に行った人が、唖然としました。柱という柱に、無数の傷があるのです。調べてみると、その先生は、畳の上でシートを敷いて、ウサギを飼育していたのです。弁償してもらいましたが、そんなことが日常茶飯のようにあるのです。日本の教育は本当におかしい」と、村長は憤る。
伊藤村長は、「言うことは言うけれども、やるべきことは何もやらない。何とも無責任な時代になったものです」と嘆く。そんな世相を、「後出しじゃんけんの時代だ」と伊藤村長は、厳しく言い切る。「どういう意味ですか?」と聞いてみる。「人がじゃんけんを出した後からこちらがじゃんけんを出せば、必ず勝つ。それと同じで、世の中、済んでしまえば、いくらでも偉そうなことが言える。そんな卑怯な人が多い。マスコミなどの論調はまさにその典型です」と舌鋒鋭い。
その伊藤村長が、下条村に行政視察に来た、ある自治体の人達からの礼状を紹介してくれた。「本当に良い勉強をさせてもらいました」といったお礼の締めくくりに、「これこそ、これからの行政のあり方だと強く感じました。私達の今までの仕事の進め方を大いに反省しています」。「行政の人達は、感じたり、反省はするけれども、そこから先の行動がない。それが最大の欠点です」。伊藤村長の気骨は、なかなかのものがある。

この記事をシェアする