出陣式

上甲 晃/ 2005年10月06日/ デイリーメッセージ

目の前にはテレビカメラが、五台並んでいる。歩道の一角を区切った報道陣のためのコーナーには、カメラマンがひしめいている。ビルの軒先にしつらえられた白い台は、高さが五十センチはある。私に手渡されたマイクは、およそ十本。すべてのマイクが、ひとかたまりにまとめてある。目の前は、仙台市の目抜き通りである広瀬通。私は司会者に促されて、壇上に立った。壇の上から見ると、左手には、宮城県知事選挙に立候補した村井嘉浩君の夫婦が立つ。そして右手すぐ横には、自民党の官房副長官である安部晋三氏が立っている。
私は、壇上から、辺りをまず見回した。報道陣の向こうに、大勢の支持者が立っている。広瀬通をはさんで、向かい側の歩道にも人が大勢こちらを向いている。街頭宣伝車が、これから始まる選挙戦に向けて、いつでもスタートできる体制を整えている。
私は、一呼吸置いて、話を始めた。左手、壇から少し離れた所に、松下政経塾出身で、気仙沼市を選挙区としている衆議院議員の小野寺五典氏の顔が見える。私は、力を込めて、次の話をした。
「私は、村井嘉浩君を塾生として選び、五年間、寝食を共にしながら育ててきました。その意味で、私は、村井君について、品質保証責任を負っています。今日は、大阪から、村井君を品質保証するためにわざわざ馳せ参じました。松下幸之助は、塾生を選ぶ時、三つの条件を求めました。まず、゛運と愛嬌゛です。考えてみれば、゛運と愛嬌゛があれば選挙には当選するわけです。村井君は、一目見ただけで、誠実さが顔に表れています。県会議員当選三回にして、知事候補に押し出されるのも、運が良い証拠でしょう。そして第三番目の条件が志です。塾生時代、村井君から相談を受けたことがあります。それは、選挙に出る時に、出身地である大阪から出るべきか、それとも生活の本拠地である宮城県から出るべきかについてです。その時、私は、どこから選挙に出たら得か損か、そんなレベルで考えるような政治家になるな。自分はどの地域に命をかけたいか、それを考えて決めるべきだと助言しました。村井君は、宮城県に命をかけると決断しました。今回の挑戦は、命がけの選択の結果であります。松下幸之助は、政治家の数を誇るのではなく、本物の政治家を育てるのだと思って松下政経塾を創設しました。日本は中央からは変えられません。日本を変えるのは地方です。どうか、宮城県こそ日本の新しいモデルであるとの思いを持って、本物の政治家として羽ばたこうとしている村井君のご支援を心からお願いします」。

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