「命がけ」と言う限り

上甲 晃/ 2005年11月7日/ デイリーメッセージ/

「命がけでがんばります」。政治家が好んで使う言葉である。「死んだつもりでやります」といった表現にもまた、゛命がけ゛と同じニュアンスがこめられている。要するに、「必死でがんばります」と言いたいわけである。ところが、この表現の持つ意味が、どんどん低下している気がしてならない。極端に言えば、「口先だけの表現」に落ちぶれてしまっているのだ。
先般の衆議院議員選挙で、郵政民営化に反対した自民党議員は、小泉総裁の決断により、離党せざるを得なくなった。選挙の時に、自民党に公認されなかったばかりか、゛刺客゛と言われる対立候補まで立てられて、離党の悲哀を味わったことは、記憶に新しい。泣く泣く、議席を諦めた人もいるし、選挙に敗れ去った人もいる。
私が問いたいのは、その後だ。当選して後、自民党に戻りたいあまり、郵政民営化反対から賛成に転じた人達てある。「選挙結果に民意が表れた。民意に従う」などと屁理屈を言う。とんでもない人達である。こんな人達は、一日も早く、政治家を辞めてほしい。舌の根も乾かないうちにという表現があるが、節操のなさこそ、政治家失格の烙印を押す最大の理由である。
政治家は、自らの決断の一つ一つに命をかけるべきである。「命をかける」とは、その決断により、゛打ち首゛になっても致し方ないという覚悟のことを指して言うのである。事実、昔なら、打ち首、さらし首、少し寛大に扱われたとしても、切腹ものだ。昔の人達は、本当に命をかけて決断し、行動した。とりわけ、指導者はすべてにわたって、命をかけていたのだ。指導者の迫力は、「本当の命をかける」ところから生まれてきた。
時代が変わったから、本当の命など奪われないし、問われることもない。その結果、゛口先だけの言葉゛になってしまったのだ。政治家を始め、各界の指導者に迫力がなくなってきたのは、本当の「命がけ」の覚悟がなくなってきたからだ。政治家なら、本当の命は問わないとしても、政治生命ぐらいはかけるべきだ。自らの決断の結果、政治生命を失ったとしても、「覚悟の上」と腹をくくるべきである。
「民意に従う」と郵政民営化賛成に転じた政治家諸氏は、得票率においては、郵政民営化反対票が多かった事実をどのように説明するのだろうか。今回の自民党の圧勝は、小選挙区制のマジックである。得票だけを見れば、小選挙区において、郵政民営化賛成が三千三百万票、反対が三千四百万票。これは民意ではないのか。「まさかこんなことで離党させられるとは」などと嘆く人は、離職したほうが良い。