トスカーナ旅行記

上甲 晃/ 2006年6月13日/ デイリーメッセージ/

農村生活を堪能しました
アグリツーリズムを体験

おいしいワイン、美しい景色、人情

時間に追われ、売り上げ目標に追われ、世知辛い生活に追われ、偏差値に追われる日本人からしたら、スローライフや゛ゆとり゛は、とても心地良い響きをもって聞こえてくる。しかし、イタリアの人達の生活ぶりを見ていたら、とても日本人には受け入れられないことばかりだ。
トスカーナ州に滞在することが、今回、旅をする一番大きな目的である。とりわけ、この地で盛んな゛アグリ・ツーリズム゛を体験したい、出かけてきたしだ い。重たいカバンを持って、次々と移動することはしないつもりだ。しかし、私には、「思いあって、計画なし」。その計画の具体化を担当してくれたのが、 ローマ在住の村上佳子さん。インターネットを駆使して、 私の要望に応えるような宿を探し、訪問の計画を策定してくれた。
トスカーナの景色は、 なだらかな丘の連続である。そして、丘の一番高い所に、集落が開けている。日本では、丘の麓に集落があるのに対して、トスカーナでは、決まって、丘の上に 集落がある。とりわけ一番高いところには、教会の建物がそびえる。凝灰岩の露出しているところが、渓谷になっている。渓谷以外の土地は、羊を飼育する牧場 か、オリーブ、ぶどうの畑である。景色にアクセントを添えてくれるのが、糸杉。ゴッホの絵を思い起こさせるかのように、至る所に、糸杉がすっくと立つ。
私達が滞在する゛丘の上ホテル゛は、田舎町の駅であるキウージからタクシーでおよそ三十分。村の名前は、「地球の歩き方」の地図にはない。有名観光地を目 の色を変えて歩き回る人達とはまったく無縁の世界だ。アグリーツーリズムの宿を売り物にする宿は、名前を゛丘の上のホテル゛と呼ぶ。その名の通り、宿は、 小高い丘の上に立つ。そこからの景色もまた、絶景だ。標高千七百メートルのアミアタ山をはじめとして、見渡す限り、千メートル急の山が見渡せる。そして、 小高い丘には集落があり、麓には牧場やぶどう畑、オリーブ畑が広がる。
早春のトスカーナ風景を彩るのは、ピンク色の桃の花やミモザ、そして゛白いとげ゛と呼ばれる、まるで満開の桜のような木々。百年前も、五百年前も、人々は、この景色の中で静かに生きてきたのであろう。ここに来て、初めて、スローライフの意味するところが読み解ける。
゛ 丘の上のホテル゛は、母屋があり、その一階は、フロント、事務所、レストラン。私達の滞在する部屋は、二階の一角にある。すばらしい景観が楽しめる。部屋 も快適だ。ベランダに出ると、変化するトスカーナ風景を楽しめる。正面の小高い丘には、小さな集落がへばりついている。この日、宿泊客は私達だけの貸切状 態。同行の村上さんの部屋は、母屋と離れた所にある建物。ここは、田舎暮らしを味わえるように、農家と同じの構造になっている。いよいよ、アグリ・ツーリ ズムの世界に突入である。ちなみに、母屋はかつて、ウサギや鶏などの飼育小屋だったとか。
゛丘の上ホテル゛は、農家の一家が経営する。ホテルに滞 在すると、農場の見学ができる。この日、午後四時、ホテルの前に一台の車が止まっていた。私達一行を農場に案内するためである。しばらくしたら、背の高い 息子が現れた。ついさっきまで昼寝をしていたのではないかと思うような、大儀そうな動きで運転席に座った。
私はその若い青年の目を覚まさせるた めに、矢継ぎ早に質問した。「あなたのホテルはいつ創業したのか?」。「私の家は、百年以上前から農業を営んできました。今から二十年前、父と母が相談し て、アグリ・ツーリズムのホテル、乗馬クラブなどの経営を始めました」。「農業は何を作っているのですか?」。「今から案内するブドウ畑、そしてオリーブ です。さらに黒豚の飼育、ハムやソーセージ、サラミの生産も手がけています」との答え。次々と、息のつく暇もないほどの速さで質問するものだから、若者の 背筋も伸びてくる。「ワインも造るの?」と聞いた。「もちろん、自家生産しています」と若者。段々と、゛丘の上のホテル゛の様子が理解できてきた。若者に は、姉がいる。その姉は、ホテルの事務を担当している。まさに、一家総出の多角経営の姿である。
若者は、年齢二十五歳。「何の疑問もなく、親の 姿を見ているうちに、この仕事をしたいと思うようになった」と、きわめて優等生の答えが返ってくる。「若い人は農業をしたがらないのではないの?」と、少 し意地悪な質問もぶつけた。「僕はこの仕事が好きだ」と若者は、胸を張る。
案内してくれたブドウ畑は、はるかかなたまで続く。「あなたが一人で作業するの?」と聞いてみた。「私もします。しかし、後は地元の人二人と、ルーマニアから来ている男が働いています」とのこと。家族総出の経営を、地元の人達と外国人労働者が助ける。
二百頭の黒豚を飼育する現場は、トスカーナ風景をはるかかなたに見晴らせる傾斜地にある。「これは私の家の敷地より広い」と私は思わず大きな声を出した。 豚一頭につき、広々とした一区画の土地が与えられている。三角の小屋に豚一頭。その小屋の敷地は、我が家よりはるかに広い。贅沢な暮らしの豚達である。こ れなら運動不足になるどころか、大自然の空気を吸いながら、存分に走り回れる。うまい肉になるはず。
家族総出の経営の圧巻は、母親の経営する乗 馬クラブ。ホテルに滞在しながら乗馬を楽しむ人達もいるが、正規の生徒も多い。広大なパドックと、数十頭の馬を飼う小屋を見せてもらった。「農業の多角化 をしたかった」と語る奥さん。「後は軌道に乗せるだけ」と、鼻息が荒かった。
朝の七時、窓を開けると、青空が抜けるようだ。まだ太陽は上がってい ない。日の出前のトスカーナ風景は、神秘的でさえある。太陽が昇る直前、東の空が輝き始める。それとともに、西の方にある山々が、緑色に輝く。山の頂上周 辺に開けた村が、夜明けを迎える。牧場の緑が明るく映える。やがて太陽が、東の山の上に頭を出す。洗面所で身づくろいしている妻に、「日の出だ」と声を掛 ける。妻が急いで、ベランダに出る。トスカーナの風景に光が差す。一日の始まりだ。