二人の死

上甲 晃/ 2008年11月28日/ デイリーメッセージ/

十一月十四日、十五日と連続して、私の知人が亡くなった。二人の死に、私は大きな衝撃を受けた。
一人は、『青年塾』第六期生の小栗正育君。四十歳の若さであった。死因は、急性心不全。普段どおり出勤した働き盛りの人が、遺体となって帰宅したのである。家族の驚きと悲しみを思うと、胸が締め付けられる。

その日、小栗君は、岐阜グランドホテルで開催された、一泊二日の研修に参加していた。二日間の研修も無事に終わり、帰り支度を急いでいた時、小栗君は、隣の人にもたれかかるように倒れた。すぐに救急車が呼ばれて、五分ほどしか離れていない病院に運び込まれた。救急車の中ではまだ呼吸があった。しかし、病院では既に事切れていた。

小栗君は、愛知県に本社を置く中部飼料株式会社の中堅幹部。とりわけ豚の餌に関する研究部門では、将来を大いに嘱望された人だ。私が何より高く評価するのは、その気骨と筋を通すところだ。「最近ではまれな」と言うと語弊があるが、背筋の通った生き方は、周りの人たちに一目置かせるものがあった。

それにしても、将来を嘱望された若い人の死は、こちらの気持ちまで悲しみのどん底に陥れてしまう。葬儀の時、気丈に立って、会葬者に対してお辞儀をしている母親の側で、二人の小学生が無邪気に数珠をおもちゃにしている姿は、涙を誘う。私は遺影に向かって、「小栗君、待て。まだ早過ぎる」と怒鳴りたい気持ちに駆られた。

もう一人の死は、私が松下電器に入社して、初めて配属された報道部で、机を並べていた坂田憲一氏だ。坂田氏とは、いつも机が向かい合わせか、隣り合わせだった。遊ぶのも一緒。仕事も一緒。新入社員のころをともに過ごした、無二の親友の一人であった。年齢も私とまったく同じ。入社年次は、坂田氏のほうが一年早かったが、若手コンビで、ずいぶん暴れまわったものである。

坂田氏は、定年退職の前、広報本部長の要職にあった。とりわけマスコミの窓口責任者として、心身をすり減らすような激務に追われていた。定年退職して、すぐに胃がんの手術をした。それから後の経過も芳しくなかったようで、「たまに一杯やろう」と声をかけたら、「体調が回復してからにして欲しい」との返事であった。そしてその返事が、坂田氏との最後の会話となったのである。自らのやつれた姿を見られたくないと言い続けてきた本人の気持ちを汲み取り、葬儀は身内だけで行われた。
二人のかけがえのない知人の死に、私は、深く沈みこんでしまった。