送り人

上甲 晃/ 2009年3月25日/ デイリーメッセージ/

永年の友人である本多邦年さんは、長崎県島原市で葬祭業を営んでいる。数年前、本多さんに招かれて、゛やすらぎ講演会゛と名付けられた会合で、話をさせてもらったことがある。その時、私は、「葬祭業は、本来、大変に大事なお仕事です。もしみなさまの仕事がなかったら、人はおちおち死ぬこともできません。目の前の遺体を前にして、どのように扱ったらよいか、途方に暮れてしまうことでしょう。みなさまがいてくださるからこそ、死んだ後も安心して任せておける。その意味では、本当はもっともっと胸を張ってもいいはずの仕事です。ところが、業界の人達は、必ずしも胸を張っていない。みなさんの子供さんも、お父さんの職業を聞かれた時、葬儀屋ですと胸を張って答えていないのではないでしょうか。まことに残念なことです」と話した。

永年、死を扱う仕事は、忌み嫌われてきた。死を忌み嫌う気持ちが、死を扱う仕事まで忌み嫌ってきたのである。また、葬祭業を営む人達も、みんながどうしても必要とする大事な仕事をしているのだといった使命感を必ずしも持ち合わせてこなかった。そこに、業界や仕事に対する偏見を生んできたのである。

「送り人」という映画が、最近、アカデミー賞の外国語映画のグランプリに輝いたことは、周知の事実である。本多さんは、「あの映画のおかげで、私達の仕事も随分見直されるようになりました」と言う。私も、今年の初めにシンガポールに向う飛行機の中で見た。゛送り人゛という名前もいい。また、人の死を、尊厳を持って送る仕事の意義が、見ている人達の心を打つ。まさに、葬儀業の本当の意義が見直されるきっかけになったのだ。本多さんは、「あなたから教えていただいたとおりの映画ですね」と言う。「その通り。私の言ったことを映画にすれば、゛送り人゛です」と答えた。自慢するわけではない。どんな仕事でも、儲け仕事としてやると、人に嫌われる。逆に、どんなに゛汚れ仕事゛と嫌われてきた仕事も、使命感を持てば、光り輝くのだ。

私は、本多さんに、一つの提案をした。「葬儀業という名前を改めて、゛一世一代業゛と変えたらどうですか。人間にとって、゛一世一代の舞台゛と言えば、葬式しかない。結婚式は、二度三度やる人もいるし、やり直せる。ところが、葬儀は、すべての人にとって、一回きりなのだ。゛一世一代゛そのものである。そしてさらに提案した。「セレモニーデザイナーという職業を作るのです。生前のうちに、自らの一世一代のセレモニーをどのように挙行するかを企画してくれる仕事です。私も頼みたい」。