箱根会議レポート9(政治家の決意)

上甲 晃/ 2009年3月28日/ 日本志民会議/

鈴木康友 浜松市長

鈴木康友 浜松市長

浜松で取り組んでいる「共生」精神。浜松は多くの自治体との合併によって、人口80万の政令指定都市となった。合併された市町村の人々は、我々は飲み込まれて疲弊していくのではないかと感じており、財政力の弱い自治体を抱えることで、自分たちの税金がそちらに使われるのではないかと感じていた。そこで「供に助け合う」。

自立した市民によって、自立した地域を作る。言い続ける、やり続けることが大切だと感じている。過疎地域を抱え、大企業の工業地域も抱えて、全国の縮図だという学者もいる。

「がんばらまいか佐久間」NPOができた。過疎地域でほとんどの人が参加して活動している。「市長何とかしろ!」だけでは困る。「自分たちはこうしているがここだけは市で応援してくれないか」となればコミュニケーションも深まり協力できる。

国から1円でも多く補助金を持ってくる首長が偉いと今までは言われた。これからは国から1円も補助金を貰わず自立する地域を作る首長が偉いという時代になる。それを浜松から発信したい。

長浜博行 参議院議員

長浜博行 参議院議員

衆議院議員を4期やり、衆議院議員を辞めて参議院議員になった変わり種。知事は47人、政令指定都市は十いくつしかない。国会議員700人以上は多すぎるのではないか。

私は民主党の国土交通担当。昨年来、「道路特定財源」に直面している。この道路特定財源は田中角栄が作って50年もそのまま。日本新党のほんの短い期間以外は自民党政権が続き、官僚と自民党がつながっている仕組みを変える

脱官僚化そのためには政権交代しかないと考えている。

村井嘉浩 宮城県知事

村井嘉浩 宮城県知事

かつて陸上自衛官でヘリコプターに乗っていた。松下政経塾に入り、県議会議員をやり知事になった。大阪出身の私が宮城で政治家になったのは、上甲さんが「損得で決めてはいかん」と言われたお陰。将来性のある地域と考える東北、宮城で政治家になった。

政治家になるのに反対した親父に二つだけ約束しろと言われたこと。「金儲けをするな」「全体を考えて行動しろ」。

高齢化は子供が減っているから高齢者の割合が増えている。高齢者の絶対数は増え続けるのではない。30年後にピークが来てそれからは減る。30年後に年金はどれだけ必要なのか。それをきちんと示して、10年後、5年後をどうするかを国民に示す。それが政治のやるべきことだと考える。

宮城県の経常収支比率97%。誰が知事をやろうが、自由に使えるのは3%しかない。誰が知事をやろうが、宮城県でやれることはほとんどない。やるべきことは道州制。国と地方の権限を分ける。皇室、外交、防衛だけを国がやる。あとはすべて地方に任せる。国への陳情が無くなる、そんな道州制を実現したい。

逢沢一郎 衆議院議員

逢沢一郎 衆議院議員

目の前にある危機にどう対処するか。年度末で地方の経済は大変な状況になっている。ただそれだけでなく日本の未来についてどう考えるか。

金が有れば好きなだけ外国からモノを買える。これからも本当にそうだろうか。自給率40%しかない。もっと深刻になるべき。

命の大切さ、食を基本にする。稲作、水田の大切さを日本人がもう一度見直す。畑作には連作障害がある。田んぼは水や太陽や自然の力で連作ができる素晴らしいもの。

エイズ、マラリアなどを撲滅するグローバル・ヘルス組織の代表も務めて取り組んでいる。

中田宏 横浜市長

中田宏 横浜市長

市長になって7年。赤字の財政を黒字にし、多額の借金を返済し、ズウと赤字続きのバスを黒字にし、風俗店の取締りをしてきた。それらの政策について賛否両論はありますが、「このまま行ったら必ず行き詰る」ことに手をつけてきた。

親に育ててもらい、松下政経塾に入り上甲さんに鍵山さんに出会い、役割、使命を自覚した。

国政を見ると、政策論ばかり。日本はどんな姿を目指すのか、そのうえでどういう政策論を行うという姿は見えない。

役割、使命はどこから自覚するのか。子供が、親が居て、そのまた親が居てこそ自分が居る。自分の役割を自覚していない。子供も日本も縦糸をしっかり持つことが今必要ではないか。

「男らしく」「女らしく」を男女同権の法律論ではなく、私は「男らしく」ありたいと思っている。「お兄さんらしく」「お姉さんらしく」「社長らしく」、「日本人らしく」、『らしく』が必要だと考えている。

山田宏 杉並区長

山田宏 杉並区長

日本人の精神の根源。もっと自信を持つべきだと思っている。パリのドゴール空港に多くの学生服を着た日本の高校生を見た。席がなくだらしなく床に座っていた。そんなだらしない人は日本人しか居ない。ロサンゼルス空港では日本の高校生が集団万引きをした。日本人はいつからこんなになってしまったのか。

「もったいない」をアフリカの女性のお陰で日本人は思い出したが、「みっともない」も日本人は忘れている。確かに経済も悪い、政治が悪い。でもそれよりも日本人の心が悪い。心さえしっかりしていれば、どんな状況であれすべては乗り越えられる。

首長は政策で何かやれば誰かは反対する。その政策が得かどうかは人によって違うからだ。大切なのは正しいかどうか。長期的にみんなにとって良いのはどちらかを説明し続ける必要がある。これが政治の根幹にあるべきだ。

松下幸之助はNHKの歴史番組に愕然とした。奈良の大仏の解説で、あれは聖武天皇が民衆の血と汗と涙を集めて作ったものだと説明していた。もちろんそういう要素もあったかもしれないが、もしそれだけなら、1千年以上も大事にしてくるわけが無い。民衆が疫病や天変地異から民衆が守られるように仏にすがってできたからこそ、ぴかぴかに磨かれながら維持されてきた。なぜそのことを教えないのかと。

私は毎年成人式の祝辞で必ず同じことを言います。靖国神社にある20歳の青年の遺書を読む。60年前に君たちと同じ成人を迎えた人はこう考えていた。今日成人したことは親に感謝することはもちろんこういう人にも感謝してほしいと言う。いつもざわざわしている成人たちもこの遺書を読むとも必ずシーンとなる。

今大切なのは信念を貫く政治家。愛される政治家ではない。

今の状況は放っておけない。中田横浜市長、中村松山市長と3人で言いだしっぺになって、『日本よい国構想』をみんなと議論してきた。

渋沢栄一は片手にそろばん、片手に論語と言った。最近のアメリカは両手にそろばん。それでは行き詰るに決まっている。

中村時広 松山市長

中村時広 松山市長

私は今日集まった政治家は皆松下政経塾出身ですが、私は違う。「坂の上の雲」を縁に上甲さんと知り合い、共感した。

政治を弱くした原因は2世、3世議員のせいであることは間違いない。私も2世ですが、家族も自分もまったく政治をやるつもりも無く大手商社で石油の輸入をしていた。後援会などはまったく無かった。

国の政治はまったく現場を知らずに行う。高齢者の医療も今回の給付金もそうだ。現場が困難することを平気に行う。

政治の質を高めるのに簡単な方法。市町村合併。議員は80人を45人に。幹部職員は辞めてもらう。しかしそれを実行できるかどうかは市民、国民にかかっている。

私は政治家になるつもりはまったく無かった。一部の市民の方々が勝手に私に立候補させようという運動を始めた。固辞したら止めるどころかさらに運動を広げて署名を6万人も集めた。それで仕方なく立候補した。政治家の力では何もできない。市民の力が広がった時初めて実現する。

司馬遼太郎がこの作品だけは映像化させないという遺言があった『坂の上の雲』。その映像化を奥さんがなぜ許可したのか。「いつから日本人はこんなになってしまったのだろう。」と映像化拒否の封印を解いてくれた。

『坂の上の雲』は極めて楽天的な人々の話し。前のみを見つめて歩いた。今私たちもそこに学ぶべきだと、松山は『坂の上の雲』の街づくりを進めている。

(このレポートは青年塾3期生大久保守晃さん作成です)