バングラディッシュスタディーツアー無事に終了

上甲 晃/ 2000年5月15日/ デイリーメッセージ/

電気のない村でのホームステイや鶏の解体などを体験

志ネットワーク、そして「青年塾」の「特別講座」であるバングラディッシュ・スタディツアーは、今年が4回目。毎年、1月早々に開催してきたが今年は、2000年問題もあり5月1日から9日までの開催となった。参加者は総勢25人。60歳代から9歳の小学生まで、幅が広がった。バングラディッシュ・スタディーツアーの様子をレポートしたい。

《バングラディッシュレポート》
関西国際空港から、タイの首都バンコクまでの飛行機は、長期の休暇を利用して、海外に遊びに行く人たちで、さすがに超満員だった。しかし、それはバンコクまでのこと。そこから先、バングラディッシュの首都ダッカに向かう飛行機に、日本人の姿はなかった。世界でも一番貧しい国のひとつを、黄金週間に訪ねるような日本人は、まずいないようだ。ちなみに年間にバングラディッシュを訪れる日本人は、1万人にも満たないそうだ。

その世界でも最も貧しい国のひとつであるバングラディッシュへ、毎年、日本の若い人たちを連れて行き始めて、今年で4年になる。

飽食、ぜいたくの極致にある日本。それに慣れ切ってしまった日本人。いつの間にか、この生活が当たり前であると思い込んでいる若い人たちにこの生活が、世界的には例外的なぜいたくであることを知ってほしいと思った。また、貧しいということの悲惨さ、つらさ、悲しみ、みじめさを身をもって、若い人たちに体験してほしいとも思った。そんなさまざまな思いを込めたバングラディッシュ行きに、今年は25人もの参加者があった。

ある参加者は、「世界の観光地を訪れ、高級ホテルに泊まり、人がとても飲めないような高級ワインを飲み、ぜいたくのかぎりを尽くしてきたけれども、何か心が満たされない」と言う。その裏返しのような、バングラディシュ訪問は、参加者に、強烈な衝撃とともに、自らの生活のあり方を深く見なおす大きなきっかけとなったようである。

とりわけ、電気も水道もない村で、ホームスティをする経験は、今回はじめての試みであった。ひとりひとりに、村に点在する別々の家にホームスティしてもらうのは、いささかの冒険でもあった。しかし、言葉が通じない、食物は慣れない、水も飲めない、何もかも不自由な生活に、若い人たちは結構うまく適応することができた。

手を伸ばせば望むものを何でも手に入れることができる日本。手を伸ばしても何も手に入れることのできないバングラディッシュ。その極端な落差を日本の若い人たちは、自らの体でしっかり味わったのだ。

夜、ろうそくの下での食事。ドアーのないトイレ。壁一枚隔てた屋外からみんなが見ている寝室。土間を走り回るゴキブリ。ろうそくを消してしまうと、あらゆる明かりから遮断される闇の世界。地べたに座り込んで作られる料理。「生まれて以来、こんな怖い思いをしたことがなかった」と、正直な思いを語る人もいた。

しかし、生活が不自由であればあるほどに、現地の人たちの親切、もてなしの心、心遣いが痛いほど伝わってきたことも事実である。「本当の幸せって何だろう」、そんな問い掛けを若い人たちは繰り返した。物にあふれる日本と比較すれば、ほとんど何もないに等しいバングラディッシュの村の暮らしは、みじめなほどに貧しい。けれども、それが不幸だとは決して思えないのだ。

貧しい家のなかに、家族はひしめくように暮らしている。そこでは分かち合い、助け合わなければ生きていけない。父親の威厳は日本では考えられないほど強くある。人々は、朝日とともに起き、夕日とともに休む。たった一日とは言え、そんな暮らしのなかに身を置いてみて、貧しいことが必ずしも不幸ではないと、日本の若い人たちは考え始めていた。

バングラディッシュで、もうひとつ、日本の若い人たちに体験してもらったことがある。自らの手で生きた鶏の命を絶ち、解体して、食べる体験。日本で、トレーに乗っていつでも食べられるように整えられている鶏肉しか見たことのない若い人たちには、堪え難い苦行であったようだ。

暴れる鶏の胴体を抱えて固定する人には、もがく鶏の動き一つ一つが、断末魔の苦しみとして伝わってきたはずだ。鶏の白い首を伸ばして、そこに刃物を当てる人は、命を絶つことのつらさを手に感じた。他の存在の命を絶つことの残忍さを実感しつつも、そうしなければ命を保てない人間の存在の意味も考えたのである。「いただきますという言葉の本当の意味が分かりました」とつぶやいた若い人の声は、少し震えていた。

私は、現実に根ざしている原体験を、教育の中でもっともっと重視すべきであると考えている。現実に人間が生きている場面で、自らの手、自らの身体で、現物に触れていくこと、そこから、「心が育まれていく」と思っている。生きた鶏を自分の手で死なせてしまうことの悲惨さを自ら体験することにより、命を大切にする心を育むのだ。貧しい人たちのなかで乏しい食料を前にして、分かち合う心を育てるのである。

バングラディッシュから帰国した私達を待ち受けていたのは、17歳の少年の殺人事件のニュースであった。それは、底知れない不気味さを味わわせるものであった。また、物質的繁栄の裏にはびこる異常さを、ひしひしと感じたことも事実である。

IT革命で、記号の世界が猛烈な勢いで広がっている。生身の人間に向かい合わなくても、日常生活において、何の不自由も感じない。それどころか、煩わしい人間関係から逃れることもできる。しかし、それは、「バーチャルリアリティ(仮想現実)ではなく、リアリティ(本物の現実)に向かい合うことこそ、人間教育の基本であると確信を深めている。

以上