茨城県高萩市緊急支援活動報告(井場元伸幸)

上甲 晃/ 2011年3月29日/ 震災支援活動・どんぐりプロジェクト/

緊急の支援要請
茨城県高萩市の草間吉夫市長(松下政経塾十六期生)から、上甲代表ほかに緊急の支援要請が入りました。「緊急ボランティアを募る」そんな連絡のメールが届いたのが、3月14日月曜日の夜のこと。

さっそく、友人の杉本哲也さん(松下政経塾27期生)に電話をしました。 彼からの提案で、「某企業から物資を提供してもらって、明日の夜にトラックで茨城県北部へ行きます。運転手が足りません」。
「分かった、俺、行くわ」
自分でも意外に思うほど、あっさり決断しました。

家族に、「明日から茨城県へ行くから3~4日帰って来ない」と話すと、やっぱり大反対されました。
「大丈夫、大丈夫。俺、めっちゃ運がいいから」

幸か不幸か、地震後売上も半減しているから会社を休むことは可能だな。そんなことを考えている時、志ネットワーク会員稲田義昭さんから電話があり、
「いばちゃん、明日、うちの家に集合や。うちが事務局になったから。昔取った免許証なら、4t車まで運転できるから。明日の朝、トラックを段取りしとくから、頼むわな」。
「了解です!」

物資なし、トラックなし
3月15日(火)朝6時半。杉本さんから電話がかかってきた。「某企業に物資の提供を断られました。今から集めないといけません」。

続いて稲田さんから電話がかかってきた。「いばちゃん、トラックがない。引っ越しシーズンも重なってレンタカーがまったくない」。

救援物資今晩行くと決まっているが、何もない。多くの方が支援物資を持ってきてほしいというメールを各所に発信してくれました。同じく私も緊急のお願いを、色々な方にいたしました。午前中に事務局となった稲田さんの家に行きましたが、まだ支援物資はほとんどありません。友人の友人の運送会社が2tトラックを貸してくれることになりました。摂津市鳥飼にトラックを取り行きました。

10時間の奇跡
3時に稲田さんの家に帰ってくると、なんと物資がいっぱい集まり始めているじゃないですか。志ネットワーク会員、青年塾生、一般の方々がたくさん持ってきていただきました。公園にあふれんばかりの支援物資があつまりました。心配したトラックも4t車2台、2t車2台が手配できました。わずか10時間ほどの間に、こんなに集まったのは奇跡のように思えました。夜の8時、ついに大阪を出発です。

下の動画は、青年塾8期生 北岡隆浩さん編集

志の支援部隊

高萩行きのメンバーは、淵脇瑛義さん(志NW)、山本保弘さん(青2)、安田智子さん(青4)、田中真輝さん(青12)、杉本哲也さん(松27)、井場元伸幸(青2)、杉本さんの友人の水谷さん。お米屋さんから派遣されたプロドライバーの方。そして、福井を出発して、浜名湖ICで合流する花山晃さん(青7)

今回、我々よりも一足先に茨城県から福島へ行き放射線量を測定している友人がいました。
古長谷みのるさん(青12)
彼から現地の放射線量の情報をいただきながら我々も北上することになりました。

浜名湖で作戦会議
名神から新名神を経由して、東名高速のルートです。移動中にラジオから速報が流れました。

静岡県で震度6強の地震。清水ICから通行止め。
福井県から水を運んでいる花山晃さん(青7)と浜名湖PAで合流する予定でしたが、電話が鳴りました。
「今、浜名湖に着いたら、いきなり地震にあいました」。
「とりあえず浜名湖PAで待機してほしい。我々もあと1時間ぐらいで着くから」。

浜名湖PAで作戦会議をしました。プロのトラック運転手達はドンドン東へ向かって走っている。行けるところまで行って、通行止め解除を待つか、下道を走るのか分からないが、プロドライバーの後をついていこう。そう結論を下しました。浜名湖からさらに1時間ぐらい走っていると通行止め解除の速報がラジオから流れました。よし、これで問題なくすすめる。

3月16日朝6時。海老名PAに到着。

震災の道を抜けて
道中のPAでガソリン、軽油を給油しましたがおそらく最後の給油場所である海老名で各車両満タンにしました。ここまで、とりあえず給油に困ることはありませんでした。

ここまで一緒に運転の手伝いをしてくれていた田中さん(青12)を東京へ行かすことになりました。30歳独身と若い彼を被曝させるわけにはいかない。40歳以上で、万が一、もう子供が産めない身体になってもOKという人だけで現地へ向かうことになりました。

ここで、古長谷みのるさんから放射線情報の連絡がありました。「現在のところ、放射線は少なく、原発もまだ安定しているようだ。今日一日は健康に影響を与えることはないだろう」

プロのアドバイスはありがたいです。しかし気持ちは映画「アルマゲドン」状態での出発です。

常磐道首都高速を抜け常磐道に入りました。常磐道は空いています。順調に北上を続けました。水戸市を過ぎたところで、警察が検問をしていました。市長の書類を見せると、すぐに通していただけました。さすがに検問をしているだけはあります。そこから先の道路はうねっていました。道が波打ち、道路をつないでいるつなぎ目には大きな段差。一部道路が崩壊しているところは、片側車線の真ん中にコーンを立てて、車が行きかうようになっています。

徐行しながら高萩を目指します。高速から街の風景を見ていると、ブルーシートを屋根にかけている家が結構増えてきました。11時ごろ。ついに高萩ICに到着いたしました。

朝11時、高萩に到着
高萩IC高萩ICを降りた最初の信号は消えていました。道路はひび割れがおこっているところを何カ所も見ました。ただ、街全体では崩壊している家は少ないです。テレビや新聞で見る東北の壊滅した街と比べると全然被害は少ないように思えました。ICから5分ぐらいの所に高萩市役所があります。市役所の壁が崩壊寸前でした。あと1回、震度5以上の地震が来ると庁舎が崩れるらしいので現在は引越しの準備を始めていると言われていました。

高萩市茨城県内、特に北部を中心として約70万世帯が断水です。市民の方がポリタンクを持って並んでいます。自衛隊の給水車が来て、順番に水を配給していました。

我々は市長の要請できていますので、市役所の役人さんから庁舎裏の屋根のある自転車置き場に物資を降ろすように言われました。トラックを庁舎裏に回して、荷物を降ろし始めました。荷降ろしを、市役所の方も手伝ってくれたのですが、段ボール箱を面倒くさそうに、足蹴にしている役人がいました。
高萩市役所さすがに、これには「カチン」ときました。多くの方の思いが詰まっている荷物なんです。しかし、ここは我慢、我慢です。ボランティアを押し売りしてはいけない。彼らも、厳し状況の中で、精神的に疲れているのだろうと自分に言い聞かせて、こらえました。

市長から、「高萩市よりも、北茨城市のほうが水不足が深刻です。水を持って行っていただけませんか」と言われました。もちろん即答で「行きます」と答えました。

さらに北へ
福島原発から高萩市・・・約80km。福島原発から北茨城市・・・約70km。
さらに北上します。市役所の30歳ぐらいの役人さんを同行させてくれました。この若い役人さんが、とても気持ちいのいい人で救われました。
「昨日は雨が降って、ずぶ濡れになりました。もう、放射線なんてどうでもいいです。高萩のために働きたいです。実は、先月家を新築して完成したばかりです。海岸に近いところですが、家はつぶれずに残っています。手抜き工事でなくて良かったです。津波で少し床上浸水しましたが、大丈夫です」とお話しいただきました。

北茨城市役所北茨城市へ向かう途中、風が吹くと白い煙が上がります。津波で運ばれた土が乾燥して、土煙になっています。北茨城市役所に着き、水を運んできたというと大歓迎されました。庁舎裏に水を降ろし始めたのですが、役所の方が何度も何度も「ありがとうございます」と頭を下げられます。その横では自衛隊員が炊き出しの準備をしていました。向かいのグランドでは200人位の市民がポリタンクを持って給水車の順番待ちをしていました。同行してくれた高萩市役所の役人さんに、「もっと被害の大きい海岸線を見たい」と話すと、「行きましょう。ご案内いたします」と応えてくれました。

海岸線へ行きました。車から降りて撮影をしようとしたとき突然携帯が鳴りました。

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エリアメール
緊急地震速報
茨城沖で地震発生。強い揺れに備えて下さい(気象庁)
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常磐線震度4の地震が起こりましたが、緊急時は、こんなメールがくるのか。

津波の爪痕
車で移動しながら写真を撮りました。写真では分かりにくいかもしれませんが、線路がかなり歪んでいます。常磐線です。がれきやゴミが一杯です。ガソリンスタンドも閉まっています。海岸線にある家は、ほとんど崩壊しています。堤防も崩れています。津波に流された車。そして、高萩市庁舎にもどってくると先ほどの地震でさらに壁が崩れていました。

海岸線東北ほどの惨状ではありませんが、しかし、水道、電気、ガスが不通。スーパーやコンビニもすべて閉まっています。ガソリンもありません。茨城北部は、生活物資が何もなく買うところもありません。原発におびえながらも、ガソリンがないので逃げることも出来ません。


ご支援ご協力ありがとうございました

海岸線多くの皆様に、今回はご支援・励ましをたくさんいただきまして本当にありがとうございました。普通に暮らせることの幸せを、今感じています。高萩市では死者も少なく、まだましと言うもののそれでも市民生活は大変苦しいということが分かりました。電気も灯油もないので、夜はとても寒いそうです。小さな一歩ではありますが、今後とも微力を尽くしていきたいと思います。