旅から帰る

上甲 晃/ 2000年8月28日/ デイリーメッセージ/

8月21日、18日間の欧州の旅を終えて帰国した。
ほぼ満席の全日空機が、関西国際空港に到着したのが、定刻の午後2時35分。欧州一のヒースロー空港に比べると、海のうえに浮かぶ関西国際空港は、まことに可愛らしい。田舎ののんびりとした飛行場の雰囲気を漂わせている。全国各地に、滑走路たった一本の田舎飛行場をこまごまとつくっている日本の現状が、いじましい。地域の利害と密着しているから、採算の取れない小さな空港を数多くつくらざるをえないのが、日本の政治構造なのである。無理してつくった海上空港が、どんどん地盤沈下してやがて水没する危険もある。これから未来の日本の象徴にならなければと心配しつつ、飛行機は滑走路をかけ走り、私は現実へと舞い戻ってきた。

家に帰ると、息子夫婦が訪ねてきた。夫婦ともども、朦朧とした頭で、二人に旅の報告をした。といっても夕食時の雑談ではある。

夫婦ともに、旅の印象はかなり共通しているように思う。とりわけ、もっとも印象的な所はどこであったかと質問されれば、二人ともほぼ同じ答えである。

まず、やはりアイルランドの西の端に浮かぶアラン島だ。たまたま、息子夫婦は、テレビ番組でアラン島のことを知っていた。あるタレントが世界各地のさまざまな所へ出掛けていき、特異な体験をする企画の番組でアラン島が紹介された。岩一枚の島で、飛び来る砂を手ですくうようにして集め、それを石積みした囲いのなかに敷き詰め、海から取ってきた海藻を肥料として乗せ、何代にもわたって畑を作っていく映像に、息子夫婦も感動していた。「えっ、あそこに行ったの」と驚くことしきり。私たち夫婦の耳の底には、今も、島全体に響き渡る馬のひずめの音が残っている。

つぎに印象に残っているのは、ナチスドイツ時代のダッハウ強制収容所だ。最初に作られた強制所は、ナチスが政治活動を旗揚げしたミュンヘンの郊外にある。広漠とした敷地のなかが、とても空虚で、無機質で、とても一言では表現しようのない雰囲気を漂わせていた。展示の写真、記録の映像、どれもが、「人間とはどこまで残酷で、どこまで悲惨なのか」と深く考えさせられた。多くの見学者のなかに、日本人はほとんどいなかったことも、悲しい現実だった。ロマンティック街道は、日本かと錯覚するほど、日本人が多かったのに。

三番目は、JFケネディ元アメリカ大統領の曾祖父が住んでいた小さな家を訪問したこと。そして、そこを大統領が訪問したときのアイルランドの人たちの熱狂ぶりを知ったのも、忘れがたい。アイルランドの歩んできた苦難の歴史を改めて教えられた気がした。