経済見通し

上甲 晃/ 2001年2月5日/ デイリーメッセージ/

日曜日の講演である。会場は、新潟県の神林村。主催者は、同村の商工会。大阪からの日帰りである。新潟空港から新潟駅に出て、そこから秋田へ行く特急列車に乗り、およそ40分。一面真っ白な景色のなかを行く。下りの特急列車が遅れて、私の乗った特急列車も、20分遅れで坂町駅へ到着した。会場へ直接来るようにとの指示に従い、タクシーに乗り込む。しかし、講演会の始まる1時30分まで、あと5分少々しかない。イライラしながら、会場に向かう。しかし、会場に到着して安心した。来場者が続々と会場に向かっている。とても、講演が始まるといった雰囲気ではない。私の顔を見た主催者は、「駅に電話をしたら、遅れているとのことでした」と涼しい顔だ。こちらは、救われる。

この日のテーマは、「今年の経済展望と企業経営」。私が、本当はいちばん苦手とするテーマなのである。来場者は、今年の景気が良くなるかならないか、それを聞きにくるはずだ。私は、「そんな先のことがわかるはずがない」と思っているから、とても来場者に責任のもてる話ができるはずがない。むしろ、データーを並べ立てて、もっともらしく経済予測すること自体、私はあんまり信用していないから、鼻から経済予測などするつもりはない。「景気が良くなるかどうかと考える暇があったら、この厳しい経営環境をどのようにすれば生き残れるかを真剣に考えるほうが、はるかに生産的である」、私は、その持論を展開するしかないのだ。

経営者には「これからは」、「どうなるか」といった他人ごとのような見方ではなく、「どうするか」といったきわめて主体的なとらえ方・見方しかない、それが私の考え方である。

そもそも経済の将来見通しについて、私は、楽観的ではない。物事は、手を打つから、結果が出るのである。はたして、日本の国では、バブルが弾けて以来、どれほどの手が打たれてきたのであろうか。ほとんどが、後始末に終われるばかりである。未来に向かって、国民も痛みを我慢するほどの改革の手はほとんど打たれていない。相変わらず、だましだましの先延ばしが、日本の国の実体ではないか。先延ばしして、打つべき手を打たずに、どうして良い結果が出るだろうか。それこそ、神風が吹くのを待つしか道はない。「空白の10年」などと言っておれないほど、本当は深刻な事態である。    

膨大な借金で、財政がたちいかなくなると、消費税を大幅に上げるしかない。年金や保険は、ますます破綻情況に近付いて、あてにならなくなるかもしれない。本当は、暗い見通しばかりになる。そんなことを言うと、石が飛んできそうだが、現実はそれほど厳しいことを認識すべきである。