強い人間

上甲 晃/ 2001年3月19日/ デイリーメッセージ/

「青年塾」第4期生出発式における私のスピーチ。時代は大きく変わっていく。高度経済成長をめざしてひた向きに努力してきた「昇り調子の時代」から、さまざまな意味における「厳しさに耐える時代」へと転換していくように思われる。過去の時代のつけ残しを清算しながら、新しい時代に備える「厳しさ」が身にしみるような時代が待ち受けているような気がしてならない。
 
「厳しさの時代」に求められるものは、一人一人の人間的な強さ、すなわち”強い人間”である。もとより、”強い人間”とは、体力や腕力の強さではない。精神的な強さ、心の強さ、それが”強い人間”の意味するところである。日本人は、いつのまにか、ずいぶん甘い生活に慣れてしまい”弱い人間”になったような気がしてならない。この弱さを克服して、精神的に強くなる、私たちの大きな課題である。
 
“強い人間”、すなわち、”強い心を持った人間”になるためには、まず、何よりも自立することである。自分のことは自分でする、その当たり前のことができる人である。人に頼るのではない、自分の生活は自分でなんとかする、自分の老後は自分でなんとかする、自分の会社は自分でなんとかする、自分の町は自分たちでなんとかする、すべて、自分の足で立つ。
それが、”強い人間”の第一の条件である。
 
次に、”強い心をもった人間”になるためには、人間の目を基準として判断するようではだめである。「人が見ているからやらない」、「人が見ていないからやる」といった判断基準では、いかにも弱々しい。大事なことは、「天が見ているから」という判断基準である。「人はだれも見ていないが、天が見ているからやらない」といった厳しい基準がもてるかどうかである。また、「人にはなかなか認められない」ことであっても、「天が見てくれている」といった大きな安心感をもてるかどうか、だ。

絶海の孤島に、仮にたったひとりでいても、「天が見ているから」、やるべきことはやり、やってはならないことはやらない、その心の強さだ。それ位の大きな判断基準がなければ、”強い心を持った人間”にはなれるものではない。人が見ていないからやるといった姑息な態度、人に認められないからと自暴自棄になる態度、いずれも弱々しい。

そして最後の条件は、やさしさである。本当に強い人は、本当にやさしい。強い心をもてば、自然のうちに、他人にやさしくなる。やさしさは、愛の心でもある。その意味では、やさしさは、強い心を持った人の心のなかに結果として芽生えるものであるのかもしれない。