中国の驚異と脅威

上甲 晃/ 2001年4月9日/ デイリーメッセージ/

今年は、”志ネットワーク”活動を旗揚げしてから、満10年。そして2001年という、新しい世紀の始まり。大きな時代の節目をとらえて、「中国理解講座」を開始した。初年度のテーマは、「日中近代の歴史」。すなわち、日本と中国が、近代に入ってから、どのようなかかわりあいかたをしてきたかを、現地で検証しようとの思いである。

志ネットワークの会員、そして『青年塾』の塾生、さらにはその家族や知人・友人も含めた参加者は、総勢28人。2001年の4月3日から、4月8日まで、中国を訪問した。訪問地は、北京、南京、蘇州、上海.蘇州以外の訪問地では、日中近代の歴史的な場所を訪問した。

とりわけ、日中戦争の発端になった蘆溝橋と抗日記念館、南京大虐殺記念館訪問は、重苦しい問題提起となった。日本の軍隊が、中国のなかに奥狭く入り込み、激しい戦闘行為を行ない、多数の犠牲者を出したことは、日本と中国の間の不幸な歴史的な事実である。そうした歴史的な事実をまず承知しておくことが、第一回「中国理解講座」の目的であった。

とりわけ、中国には、根強い被害者意識がある。それに比較して、日本には、加害者意識があまりない。その認識の違い、隔たりが、日中関係には、”喉元に引っ掛かった小骨”のように、どんなものを飲み込んでも、ここで引っ掛かってしまう障害となっているのだ。

この講座を、あえて「理解講座」と銘打ったのは、ある一つの方向に参加者を洗脳することが目的ではないことを明確にしたかったからである。大虐殺があったのだ、なかったのだと決め込んで、みんなでひとつの結論を大合唱するつもりは毛頭なかった。「自分の目でしっかりと見届けて、自分の頭で考え、自分なりの考えをもち、自分の言葉で語れる日本人」になってほしいだけのことであった。

これからの日本は、好むと好まざるにかかわらず、中国と深くかかわらざるをえない情況にある。その情況のなかで、”無知”こそが”無恥”、すなわち、「知らないことが、いちばん恥ずかしいこと」なのであり、両者の関わりの障害になる。たとえ小さな合弁会社をつくるにしても、日本と中国と間に横たわる歴史的事実、それにたいする認識がなければ、必ずどこかで破綻をきたす危険性がある。

私は、昨年の下見と、今年の本番、二年連続して、同じコースを回ったことになる。そして、「中国が、戦争責任を日本に対して強<求めるために、意図的な国民への教育を展開している事実を確認するとともに、やはり、戦乱のさなかに、通常の戦闘同行為を逸脱した殺戮が行なわれた事実は認めないわけにはいかない」と思った。中国側が発表している30万人の大虐殺について、数が多すぎるなどといった議論は、ほとんど相手に理解不能と思われた。要するに、今までの日本の論理が、「誤りを認めずに、屁理屈ばかり言う卑怯な態度」としかうつっていないことは、まことに残念である。

そもそもが、日本の政治にリーダーシップが欠如していることを思わざるをえない。歴代の内閣は、「火中の粟を拾いたくない」態度に終始してきた。歴代の首相は、これだけの大きなテーマについて、国民の意志統一を図りつつ、中国に対して明確な意思表示をして、決着を付ける強い意志などなかった。任期が平均して1年程度の内閣に、そんな大事業を求めること自体、無理な注文なのだろう。そして、事あるごと、中国政府の感情を逆撫でしない程度の現実対応を繰り返してきたために、謝罪しないことが日本政府の断固とした姿勢であるとは受けとめられず、いつも逃げ回っている無責任で、卑怯な態度にしか受けとめられなかったのである。

私は、日本においても、国論を一致させつつ、毅然として、中国に理解を求めるべきものは求め、謝るべきは謝り、正すべきところは正してもらう、まさに「日本の意志の明確化」が不可欠のように思われてならなかった。その場しのぎの、のらりくらりの対応は、相手を苛立たせるだけではなく、両国の将来にも禍根を残すものである。

しかし、情況が刻一刻と変化しつつあることも承知しておかなければならない。今回、中国の国内において、大衆の意識の多様化が一段と進みつつあることをいっそう強く実感した。とりわけ、消費経済が進み、物質的な豊かさが幅広く浸透すればするほど、国民の意識もまた、一枚岩のものではなくなるだろうと予感した。その変化は、猛烈なスピードで進み、日本と中国の間の相互理解のあり方に強く影響する気がしてならなかった。こちらがはっきりとした意志をもって事の解決に取り組むなら、意外に早い段階で、歴史問題の解決もはかれる可能性がある。要するに、「今までとは異なる情況が急速に広がりつつある」ということだ。

改革開放により、中国の市場経済は、驚くほどのスピードで拡大しつつある。わずか1週間の滞在でも、大都会では、日本と遜色がないほど、商品があふれている。商業の形態も、日本にいるのかと錯覚するほど、彼我の差はない。そして、それとともに、意識の多様化が進んでいる。とくに若い人達は、忌まわしい戦争の記憶が残る古い世代ほど、頑固ではない。若い人達は、共産主義よりも、消費主義を信奉しているように見える。

ただ、経済の発展が進み、消費経済が大きくなればなるほど、意識は多様になる。意識が多様になることが、一党独裁の政治体制とどのように折り合うのか、折り合わないのか、この点は、私にとって、今後、もっとも注目すべき動きである。

中国は、すべての面において、巨大な力を備えつつある。すべてが右肩下がり傾向にある日本から見ると、猛スピードで右肩上がりの成長をしている中国の実態は、圧倒されるものがある。そのうえに、政治のリーダーシップが弱々しい日本と比較する、政治のリーダーシップがきわめて強い中国の急激な変化は驚嘆に値する。古い街が、あっと言う間に取り壊されて、新しい街があっと言う間に出現している。道路は、一年で、二倍の広さになる。どぶ川が、見る見る観光名所として清流になる。数十年単位でしか物事が進まない日本から見ると、中国は脅威であり、驚異である。

すべての面において、中国の巨大化は、すぐ隣にある日本に、大きな影響を与えることは間違いない。順調に巨大化の道を歩むことは、同慶の至りであるが、日本が飲み込まれる危険性と裏腹。逆に、巨大化の道を迷走し始めると、混乱の影響が大波として日本に押し寄せてくる。どちらの場合も、21世紀の中国は、日本にとって、実に目の離せない存在である。だからこそ、この「中国理解講座」をこれから10年続けることは、いっそう重要な意味をもつと確信した次第である。

中国理解講座