目に見えない難敵の襲撃!

上甲 晃/ 2001年9月18日/ デイリーメッセージ/

背筋がぞくっとするような恐ろしさを感じさせる事件が相次いでいる。ニューヨークめ超高層ビルに旅客機が相次いで突っ込むような事態が現実に起きるなどとだれがいったい想像しただろう。人間のエネルギーが爆発的にたぎる大都会が、瞬時にして、巨大な墓場と化す光景は、恐怖以外の何物でもなかった。

世界の経済は、急速にグローバル化し、巨大化している。それをプラス面か見ると、華やかな経済発展のダイナミックな動きである。超高層ビルが世界中に立ち並び、地球的な規模で物質的な豊かさを満喫できるようになりつつある。しかし、マイナス面から見ると、実にもろい社会をみんなして、作りあげているとも言える。ちょっと突き崩せば、瞬間に、すべてが崩壊してしまう”もろさ”の上に生きているのである。

また、何となく”対岸の火事”であった狂牛病が、日本にも発生した。牛の病気とかたづけられない恐怖感が、ぬぐいされない。腰が抜けたようになった牛の症状が、そのまま人間にも移るのである。そして、圧倒的な死亡率である。しかも、発病するまでに8年ほどの時間的な潜伏期間があると言う。と言うことは、狂牛病がどの程度に恐ろしいか、今のところはわからないのである。テロ、そして狂牛病。いずれも、目に見えない敵である。しかも、人間自身が作り出した目に見えない敵なのである。人間は、自分が生み出した”見えない敵”から襲撃を受けるという、皮肉な状況におぴえざるを得なくなってしまったのだ。

テロ事件の陰に隠れて、いささか影が薄くなっている狂牛病。一頭の牛だけの問題でとどまるのか、それとも、恐怖の広がりを見せるのか、予断を許さない。また、狂牛病は、エイズなどと異なり、だれもが口にしている牛肉である。すべての人がかかるかもしれない病気は、底知れぬ恐ろしさと隣合わせである。

私は、今、人類全体が歩んでいる方向はおかしいと思われてならない。神の目から見れば、「悪魔の選択」をしているように見えるのではないだろうか。人類は滅びるのではないか、そんな恐ろしささえある。百年前ならそんな恐怖感はなかったはずだ。地球が狭くなり、経済がグローバル化すればするほど、あっという間に、致命的な影響が人類全体に襲いかかる世紀を迎えているのだ。

ドミノ現象というのがある。将棋倒しを連想すればいい。一つが倒れれば、全部倒れてしまうのである。昔は、日本の中で起きた将棋倒しは、隣の国には及んでも、遠くヨーロッパやアメリカには及ばなかった。世界がまだまだ一つにはなっていなかったのである。今は、一つ倒れたら、全部倒れる状況にある。人類が滅びるための前提がととのったとも言える。恐ろしい時代の予感である。

人間は、すべて、「経済原則」に照らし合わせて物事を進めてきたように思われる。それが、「経済的に損か、得」の一点を判断の基準にして、物事の価値判断をしてきたのである。

例えば、狂牛病などは、典型だ。本来は草食動物である牛に、なぜ動物の骨粉を食べさせる必要があるのか。「成長が早い」から、ただそれだけの理由である。成長が早ければ、経済性が高まるのだ。牛のことを、経済動物と呼ぶ、その呼び方からして、人間がいかに経済性を求めて活動しているかがわかる。

企業もまた、すべては経済性を基本として営まれるのが大原則である。経済性に反することは、企業としては許されない。だから、目先の経済的な効果に合わなければ、人の首を切ることも、人を犠牲にすることも、やむを得ない。それどころか、経済的な効果が大きければ、大向こうから喝采の拍手を浴びることになる。

しかし、すべてを目先の経済性だけで律してもよいのか、根本的な疑問が私にはある。我々の営みの根本に人間性があることは許されないのか。目先の経済性よりも、人間性が優先されたのではいけないのか、強く思う。

そんな中で、うれしい会社と出会った。志ネットワークの当初からの会員の一人である井上 修さんが勤務する寒天の専門メーカーである伊那食品工業株式会社との出会いである。『青年塾』の東海クラスを伊那地区で開催した折に、同社を訪問して、塚越社長の話を聞き、会社の中も見学させていただいた。

目先の経済性よりも、人間性を基本に据える経営を、塚越社長は、「経営の原点」だと言う。私は大賛成である。何のための経営か、「人間が幸せになるため」なのである。それが経営の原点である。人間を犠牲にして目先の経済性を追求することが果たして、是か、非か。答えは、自明である。ところが、世の多くの人たちは、「会社がつぶれてしまったのでは、結局人間は不幸せになる」との大義名分をかかげて、非人間的なことを臆面もなく行っている。

例えば、伊那食品工業では、中央アルプスの裾野の傾斜をそのまま巧みに利用した建物の建て方をしている。背の高い松林も見事に残している。普通の会社が考える目先の経済原則に照らし合わせると、「経済性に反している」のだ。普通の会社なら、まずわずかな土地でも使わなければ損だと、平地にして、残らず木を切り倒すはずだ。

地域の人たちの誇りの持てる会社、働いている社員が誇りの持てる会社、そんな価値が優先される会社は多くない。直接的な経済効果の少ないことは、できるだけカットする、それを合理化であると決め込んでいる経営者さえいる。あるいは、「とてもそんな余裕はない」と頭から否定してしまう経営者も少なくない。

街道筋にできる量販店の建物の、何と薄っぺらで、安直で、安物なことか。聞くところによると、不採算が見極められたら、すぐに撤退できるようにするために、できる限りお金をかけない設計になっているとか。目先の経済性追求も、ここまできたかと嘆くのは私だけだろうか。

伊那食品工業は、具体的な売上げ目標や利益の目標を掲げて、社員の尻をたたくようなことはしない。「木の年輪が一年で一回り大きくなる。どんな厳しい環境のときにも、ちゃんと一年分の年輪ができる。だから、企業の活動もまた、毎年、いかなる環境下にあっても、少しづつでも一回り大きくなればいいと考えている。それが同社の売上げや利益に対する基本姿勢である。人間の活動も、年輪と同じであるべきだと塚越社長は考える。私は、天地自然の法則に従う活動を理想としているので、伊那食品工業の姿勢には、これまた大いに共鳴している。